2011年5月21日のブログ記事一覧-ミューズの日記
ミューズ音楽館からの発信情報  ミューズのHP  http://www.muse-ongakukan.com/

 



<あれも聴きたい、これも聴きたい> アンドレス・セゴヴィアのLP

 アンドレス・セゴヴィアは晩年多くの録音をデッカで行い、私たちが若かった頃はセゴヴィアのレコードといえば、十数枚あったはずのこれらのシリーズのことを指していた。最晩年にはMCAレコードへわずかに残した録音(トローバの連作、スペインの城など)もあるが、ほとんどはイギリスに本拠地を置くデッカへのものであった。最近ではいろいろなレコード会社がこぞってセゴヴィアの録音を復刻させていて、私たちも知らないような若い時代の演奏が聴けるようになってきたが、私としてはできれば当時のジャケットをそのままに再現して販売してもらえないかと切に願っている。
それらは当然だがナイロン弦が登場する前のものがほとんどで、中にはスチール弦の音ではないかと思えるものもあって、聴いていてなかなか興味はつきないとともに、先人達の苦労が偲ばれて感慨無量である。

若い頃のセゴヴィアの演奏はとにかくすさまじく、猛烈なテクニックを誇っており、わずかに残る他のギタリスト達の演奏が足元にも及んでいないことがよく分かる。おそらく当時の他の同業者達には恐怖に近いものを抱かせたであろうし、それ以外の人たちに対しても、ギターの表現力に無限の可能性を感じさせたであろうことは容易に想像がつく。作曲家にしても、あるとき突然、創造力を刺激するまったく新しい素材が目の前に現れてきたわけだ。黙って見過ごすわけはない。
それらの作曲家や音楽関係者の中では当時こんな会話が広まっていったのではないだろうか。
A:「おい、最近ギターですごい演奏をするセゴヴィアとかいうヤツが出てきったってぇ話だが、おめぇ聞いたことあるかい?なんでもできねぇこたぁねぇって話だぜ。とにかくそいつの手にかかった日にゃおめぇ、あのバッハのシャコンヌだってギターで弾きこなしちまうっていうじゃあねぇか」。
B:「そりゃほんとかい?おめぇまた狸にでも化かされてんじゃねぇだろうなぁ。こちとらギターなんてものぁ、スペインの片田舎でフラメンコをチャラチャラかき鳴らすしか能のねぇ低俗な民族楽器くれぇにしか思っちゃいなかったのによぉ。そいつがいっぱしにあのバッハを弾いちまうなんざぁ、よっぽどの天才か間抜けな世間知らじゃねぇのかい?」。
A:「しかしよぉ、これだけ世間さまが騒いでるんだ。話のネタにいっけぇぐれぇ(一回ぐらい)聴いてみたらどうでぇ。ひょっとしたらこりゃ、えれぇ拾いもんかもしれねぇぜ」。
B:「そうさなぁ、あちこちでいろんなもんを聴きに行ってるおめぇの言うこった。騙されたと思っていっけぇ(一回)行ってみるとするかぃ。ところでそのセゴなんたらいうやつぁ、舞台の上で裸でギター弾くのかい?」
A:「それほどヤツもバカじゃねぇだろうヨ。何でだい?」
B:「だっておめぇ、チラシにゃぁ「アン・ドレス(服を着ていない)」ってけえて(書いて)あるじゃねぇか」
A:「ちげぇねぇ!間抜けなやつだったらそれぐれぇやっちまうかもしれねぇなぁ」。
B:「そうだなぁ、こりゃあおもしれぇことになってきやがった」。
とまあ落語に出てくる江戸の町人が、初めて吉原へ繰り出す前のような会話があったのではなかったかと想像する。それにしても当時セゴヴィアの演奏を目の当たりにした聴衆は、プロもアマも、ギターに関係するしないに関わらず、皆一様に度肝を抜かれたのではないだろうか。

そんな時代からずっと下って、そのセゴヴィアが晩年、前にもいったデッカに素晴らしい遺産を沢山、しかもステレオで残していってくれたことには我々は感謝しなければいけない。今回はその中の1枚で、A面が(懐かしいなぁこの言葉)なんとあのアグアドの超簡単な練習曲が8曲とソルの練習曲が4曲。これはセゴヴィアが自ら編纂した20の練習曲から抜粋したもの。セゴヴィアはこのようにソルの練習曲の中から特に有益と思える作品をわざわざ20曲選びだして校訂・運指を行っており、今でもギターにおけるバイブル的な存在となっているんだが、ご本人はそれらをまとめて演奏することなんぞにはまったく興味がなかったと見える。とにかく好きなときに好きな曲だけ演奏する。そこがまたセゴヴィアらしいといえばセゴヴィアらしいのかもしれない。
そしてB面はポンセの3つのメキシコ民謡から第2曲目の「歌」、同じくポンセの南のソナチネの第1楽章で、セゴヴィアが勝手につけたと解説にある「歌と風景」。(これも大変セゴヴィアらしいことで、ソナタの中のある楽章だけ取り上げて演奏するなどということは他の世界ではあまりないはずだが、この人くらいになると許されっちまうんだねぇ)。そしてアルベニスの有名なグラナダに続き、タンスマンのマズルカ、グラナドスのこれまた名曲、スペイン舞曲第5番「アンダルーサ」となっている。これらの曲はそれまでにセゴヴィアは何回となく録音しているが、このレコードにある録音が本当に最後の録音ではないだろうか。とにかくギターによる「うた」が素晴らしい。ギターという楽器をこれほど歌わせることが本当に可能なんだろうかと思えるほど歌心に溢れている。普通初心者がまず手がけるアグアドの練習曲も、ほんの数章節で終わってしまうのがもったいないほど美しい作品に聞えるし、ソルの練習曲のアルペジオもこれほどレガートに弾かれたことを私は知らない。まさに珠玉の名曲になっている。3つのメキシコ民謡はポンセがギターのために書いた作品の中でもほとんど初期の作品なので、手法としてあまりこなれているとはいえず、誰が弾いてもあまり様になっていることはないのだが、ここでのセゴヴィアの手からはさすがといわせる表現が聞かれ、これも小さな名曲として楽しむことができる。グラナダやスペイン舞曲といった自国の作品は当然ながら、タンスマンのような東欧ポーランドの作曲家の作品を聴いても、その音の繋がり、絶妙のグリッサンド、消え入るような弱音と輝かしい弦の響など、到底なまじっかな才能ではマネのできない個性と歌心が光を放っている。

当時私はあまりセゴヴィアのLPを購入できず、現在CDで復刻されたものは別として、いまだに数枚しか持っていないが、このボブリの手になる美しい装丁のLPは、ポンセの作品を聴いてみたくて購入したものと記憶している。しかし今ここに聴くそれ以外の演奏にも心癒され、あのころ多少の無理をしてでももっと手に入れておくべきだったと後悔しきりの思いがしてならない。
内生蔵幹

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )