2011年5月8日のブログ記事一覧-ミューズの日記
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<あれも聴きたい、これも聴きたい> イエペスによるF.ソルの24の練習曲集

 時が過ぎていくということは、良いこともあれば少なからず寂しい思いをさせられることもある。ついにかの有名なナルシソ・イエペスを知らないギター愛好者が出てきてしまった。
「あの有名な映画『禁じられた遊び』のテーマをギター一本で弾いていた有名なギタリスト」といっても、その若者は「禁じられた遊び」という映画自体を知らないらしい。メロディを教えてやると「あぁ、その曲だったら知ってるよ」といった程度の認識で、映画に使われた音楽ということをまったく知らないでいるようなのだ。そんな状態なので、ましてや「アンドレス・セゴヴィア」なんてえらーい人のことなんぞ、まったくご存じなくて当たり前らしいのだ。
こいつらギターやっておるくせにギターのCD(まさかLPとまでは言う気はないが)なんぞは聴かないのか、と思うとそんなことはないらしい。これだけ世の中CDやDVDだけでなく、YOU TUBEなんぞといったインターネットの世界でいくらでも新しいギタリストの演奏を見たり聴いたりすることができるので、我々のようにセゴヴィアやイエペス、はたまたジュリアン・ブリームやジョン・ウィリアムスがレコードで聴ける唯一のギタリストだった世代とは違って、セゴヴィアやイエペスを知らなくても、ましてや「禁じられた遊び」といった戦争の悲惨さを描いた映画なんぞを知らずとも、なんの不都合も来たさないのだ。
たしかに最近のギタリストは、そういった昔(?)の有名なギタリストに比べれば遥かに技術的には優れており、実際の演奏を生で聴いてもまるでCDを聴いているかのように完璧に近い演奏をしてしまう。ましてやCDなんぞはあくまでもデジタルの世界。ツギハギも修正も思いのままだ。あやうい演奏なんぞは皆無といってよく「こんなんでもええんだべか?」というような気がするだけでなく、どの演奏もあまりに完璧なため、CDを聴いただけではまったく演奏者の区別がつかないようになってしまった。これも時代なんだろうが、時が過ぎて、どうも芸術の世界そのものが変化してしまったのかもしれない。
 
ところで今回のテーマであるイエペスの弾くソルの練習曲なんだが、解説には1967年の録音とあるからもう既に44年も前の演奏ということになるが、イエペスがソルの練習曲ばかりを24曲そろえて録音しているLPがあった。
*今までソルの練習曲をかなりの数まじめに取り上げた録音といえば、古くはジョン・ウィリアムスがあり(これはさすがに立派な演奏ではあるが、少々生真面目過ぎて物足らないような気がしてしまう)、最近ではナクソスが何人かの若手演奏家を起用してソルの作品全曲録音を行ったものがあるのは皆さんご存知のことと思う。またごくごく最近では「ポルケッドゥ(?)」とかいうギタリストが録音した20の練習曲が出たので聴いてみたが、あまりにも・・・・な演奏であったため正直途中から腹が立ってきた。表現がわざとらしく、いやみなことこの上ない。
イエペスにしてみたらなんのことはない曲ばかりであろうし、曲の並び順もセゴヴィアの編纂した20の練習曲とはまったく異なり、あまり必然性を感じさせるものとは言い難いが、それぞれの曲の内容はさすがと思わせるものがあって、このような練習曲でさえも、ここまで細心の注意を払って演奏すべきなんだと感心してしまうほど立派な演奏になっている。しかもイエペスが時おり見せる「なにもそこまで・・・・」というような“これみよがしなわざとらしさ”は、無くは無いが気になるほどではない。
とにかく作曲者のソルがそれぞれの曲に込めた訓練としての技術的、あるいは音楽的な要求は見事に再現されているだけでなく、イエペスの個性といったものもいやみなく、しかも充分に発揮されており、聴いていて気持ちが良い。曲によっては演奏のスピードやスタッカートの使い方に異論を挟めなくはないが、それでも旋律と伴奏の弾き分けや音楽そのもののうたいまわしには誰もが規範とすべきものがあり、このレコードがさすが超一流のギタリストの仕事といえる見事な芸術作品となっている。時代様式はともかく、これほど単純で簡単な音楽でさえ、芸術としてはここまでやることがあるんだということを聴くものに教えてくれる優れた演奏になっている。

皆さんはギターの練習をするとき、ここまで考えて演奏をしているだろうか。音階練習やアルペジオの練習といっても、出来ないところや弾き難いと感じるところだけちょこちょこっとやって済ましてはいないだろうか。
単純な音階練習といっても、まず楽器の構え方はどうであろう。理想的なフォームになっているだろうか。本当の意味で正しい左手の押さえ方はできているだろうか(指の曲げ方、押さえる角度、弦に触れる指先の位置など)。左肘はくねくねと左・右に動き回っていないか、肩には無駄な力が入っていないだろうか。右指からは正しく美しい音が出せているか。また左指と右指の押弦・弾弦のタイミングはベストであろうか。音階練習の最も重要な目的はこの左右の指のタイミングの練習といっても過言ではない。アルペジオの練習でも正しく均一な音量で弾けているか。またアルペジオに含まれるどの音にも自在にアクセントを付けて弾くことができるだろうか。
基礎練習はあまり楽譜を覚えるという必要がないからこそ、それらのことに気を配って練習に打ち込めるのだということを忘れてはいけない。基礎練習といっても、それがあたかも優れた音楽であるかのように美しい音で弾かれる必要がある。しかもそれが力学としてまったく理に適って効率よく(楽に)行われなければならない。いかなる基礎練習もただ音が出たというだけでは、なんの効果も望むことはできない。上達のコツとして、ぜひともこれらを忘れずに毎日の練習を行ってほしい。
内生蔵幹(うちうぞうみき)


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