2011年5月18日のブログ記事一覧-ミューズの日記
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<あれも聴きたい、これも聴きたい> ギターのアンサンブル

 先日大阪のいずみホールで行われた村治佳織さんと弟の奏一君の弾く二重奏を聴いて思ったことがある。勿論この日の演奏は大そう素晴しく、久しぶりに本物のギターデュオを聴かせてもらうことができた。
お2人それぞれの独奏は今まで何回となく聴いているのだが、二重奏となるとさすがに私としても今回初めての経験。年齢も近く、なによりも兄弟が演奏するわけだから、当たり前といえばあまりにも当たり前なのかもしれないが、普段我々が耳にすることができるギターの二重奏とは段違いに息が合っていただけでなく、驚くほど撥弦のタイミングが合っていて、それはもうゾクゾクするほどスリリングで気持ちの良いコンサートだった。
私も若い頃はギターの二重奏に随分打ち込んでいたことがあり、それなりに難しさは理解しているつもりだけれど、ギターの場合この撥弦のタイミングをぴったりと合わせることがとにかく難しい。
 そもそもギターの場合複数の演奏者のリズムを合わせることが難しい。これはヴァイオリンのように擦弦楽器のそれとは大違いだ。とにかく音そのものがパルスで出るわけだから、リズムにおける出だしの音だけではなく、全てに渡って2人の出す2つ以上の音を揃えて出すようにしなければならない。ヴァイオリンにしたところで全ての音をピツィカートで演奏してみればその難しさがわかるだろう。なかなかぴったりとは合わせ続けられないはずである。ギターの場合、最初から最後までそれを要求されるわけであるから、友人同士お手軽に楽しめる演奏形態の割には、コンサートのステージに乗せようというようなレベルを要求すると途端にそうはいかなくなる。2人が1st.2nd.に分かれて単に一緒に弾いているだけになってしまい、下手をすれば合わせるだけで精一杯というところが聴く側からも見えてしまうということになり勝ちである。これではお金を払って聴かされる方はたまったものではない。なにしろ音楽を聴きに来たつもりが、とてもじゃないが楽しむどころではなくなってしまうわけだから。聴きながら「何とか合わせろよ!」、「無事終わりまで行ってくれ!」と祈るような気持ちで聴き続けなくてはならないはめになる。何が悲しくて演奏会へ来て、演奏が無事に終わるよう祈らなくちゃいけないんだ?とおかしな気持ちになり、ちょっとオーバーかもしれないが、こんな演奏会へ来てしまったことに対し自己嫌悪にも陥りかねない。

 こんなことは意外とレコードやCDになっているほどの合奏団にもあって、現在世界中で発売されているレコードやCDの中には、よくもまあこの程度でCDなんか入れさせてもらえたもんだと感心するようなものにも結構出くわすことがある。それはそれで珍品レコード・CD収集として面白いんだが、いつもこんな調子ではそうも言っておれなくなる。やはり昔のプレスティとラゴヤのように得もいわれぬ魅力をかもし出すような演奏をしてほしいし(そう簡単に出来りゃ苦労しないって!)、昔瞬間的に存在した「アブリュー兄弟」や最近の「アサド兄弟」のように丁々発止、火花を散らすようなというか鬼気迫るというか、とにかく聴いていて胸のすくようなアンサンブルを聴かせてもらいたいと願うばかりである。(自分が弾くんじゃないと思ってむちゃくちゃ言うなぁ!)
 以上のようにたかだか2人で弾く二重奏ですら簡単にはいかないのに、3人、4人となるとますます難しくなることは当然だし、果たして「同じ音域のギターを2台以上並べてどうするだぁ!」という意見ももっともな気がするので、ここではギターの場合、せいぜい二重奏までということにしたいと思うが、いずれにしてもギターのように音がパルスでしか出せない撥弦楽器のアンサンブルというのは難しいものなのである。

 とにかくただでも難しいギターの二重奏で何が難しいかというと、2人が出すパルスとしての音の、出るタイミングそのものをぴったりと合わせることほど難しいことはないのではなかろうか。独奏の時はあまり分からないが、普通指が弦に触れたのち、爪が弦から離れる瞬間(これが音の出る瞬間なんだが)までの時間が人それぞれ微妙に異なる。これは癖といってしまえばそれまでだが、とにかく人さまざまだからいたしかたがない。(それだけでなく、そもそも右指と左指のタイミングがしっかりと合っていない人が多いので、まずはそこから訓練する必要があるが)
しかしこれが揃わないと音楽のリズムとしては合っていても、なんとなく音楽がなくきたなく聞えてしまって、二重奏の魅力を損ねてしまう大きな原因となる。これは一言では片付けられない困難さを伴うものなんだが、しかしこれを克服しないことには良いギターのアンサンブルは望めないので、目指しておられる方達はそのあたりに充分気をつけて練習に励んでもらいたい。
 またこれも重要なことであるが、アンサンブルで音楽を作っていくときに、誰がその音楽の主導権を握って引っ張っていくかということである。通常そこそこの腕前の演奏者がアンサンブルを行う場合は、お互いを尊重し合ってどうしても中間的な音楽作りになってしまうことが多い。結果それぞれの腕前の割にはただ楽譜通りに弾いただけになり勝ちなので、やはりここはどちらかが主導権をもって音楽作りをしていくとよい。当然のことだがオーケストラのように人数が多くなった場合も音楽作りを多数決でとはならず、指揮者がいてオーケストラを自分の楽器のように扱うわけだし、そのときはいかに優れたソリストが中に混じっていようと、「それはちょっとおかしいんでないかぃ?」とはなかなか言わないだろう。とにかくうまくやろうとすればそこは「お代官様」である指揮者に任せるしかないわけだ。
アンサンブルというのは、確かに独奏をすることからみればテクニック的にもそこまでは要求されないことが多く、しかも手軽に友人同士楽しめるものなので、皆さん大いに挑戦してもらいたいのだが、譲り合ってもだめ、我を張り合ってもだめ、かといって中間をとってもだめと、それなりになかなか難しいものなのである。そのあたり村治姉弟のデュオは近年稀なと思えるほど見事で、これからも末永く我々にアンサンブルの魅力を披露してもらいたいと願っている。
内生蔵幹

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