杭州までの電車の中には、鉄道雑誌が何冊か置かれており、なんとなく眺めていると始めて知った面白い記事がありました。
日本でも馴染みの深い三国志の英雄の一人、「曹操の墓が見つかった」というものでした。三国志ファンの方はご存知かと思いますが、魏呉蜀のうち蜀の劉備の墓は、現在そのスタッフだった諸葛孔明を祭る武侯祠(四川省成都)の境内の中にあります。
また、呉の孫権の墓は、南京の公園のようなところに小さくありました。明の最初の皇帝洪武帝の大きな陵墓と、中華民国の総統孫文のやはり巨大な陵墓がほぼ並んでおり、観光地になっているのですが、そこから降りてきてぶらぶら歩いていると、案内標識があり、おお、これが孫権の墓なのかと思う程度の小さな物ですが、現存しています。
三国の中で最強だった?曹操については、安徽省に曹操の一族の墓が残っているというのも、黄色い旅行ハンドブックの中で見たことがあり、てっきり底にあるものだと思っていました。
ところが、曹操の墓は今でも正確な所在地は不明で、中国の歴史の謎になっているそうです。中文ですので完全にりかいしていませんが、何でも唐の時代までは曹操の墓の記録があるそうです。その後の混乱の時期を経て何処にあるかわからず70ヶ所くらい候補地があるそうですが、河南省と河北省の境にある河南省側にある盗掘された墓がどうやら曹操の物らしいという事です。
日本でも過去の天皇家の陵墓について、発掘が許されていない関係もあり実際にはどこが誰の陵墓なのかはっきりしないそうですが、中国も同じなんですね。
中国市場の皇帝のうち、日本を攻めてきた元の皇帝の墓は、モンゴルの風習が陵墓を作らない習慣だったので見つからないというのは、以前何かの本で読んだことがあるのですが、三国志であれだけ有名な人のお墓が見つかっていないというのは少々驚きでした。
日本でも馴染みの深い三国志の英雄の一人、「曹操の墓が見つかった」というものでした。三国志ファンの方はご存知かと思いますが、魏呉蜀のうち蜀の劉備の墓は、現在そのスタッフだった諸葛孔明を祭る武侯祠(四川省成都)の境内の中にあります。
また、呉の孫権の墓は、南京の公園のようなところに小さくありました。明の最初の皇帝洪武帝の大きな陵墓と、中華民国の総統孫文のやはり巨大な陵墓がほぼ並んでおり、観光地になっているのですが、そこから降りてきてぶらぶら歩いていると、案内標識があり、おお、これが孫権の墓なのかと思う程度の小さな物ですが、現存しています。
三国の中で最強だった?曹操については、安徽省に曹操の一族の墓が残っているというのも、黄色い旅行ハンドブックの中で見たことがあり、てっきり底にあるものだと思っていました。
ところが、曹操の墓は今でも正確な所在地は不明で、中国の歴史の謎になっているそうです。中文ですので完全にりかいしていませんが、何でも唐の時代までは曹操の墓の記録があるそうです。その後の混乱の時期を経て何処にあるかわからず70ヶ所くらい候補地があるそうですが、河南省と河北省の境にある河南省側にある盗掘された墓がどうやら曹操の物らしいという事です。
日本でも過去の天皇家の陵墓について、発掘が許されていない関係もあり実際にはどこが誰の陵墓なのかはっきりしないそうですが、中国も同じなんですね。
中国市場の皇帝のうち、日本を攻めてきた元の皇帝の墓は、モンゴルの風習が陵墓を作らない習慣だったので見つからないというのは、以前何かの本で読んだことがあるのですが、三国志であれだけ有名な人のお墓が見つかっていないというのは少々驚きでした。