伊香保ろの 夜左可(やさか)の井手(ゐで)に 立つ虹(のじ)の
顕(あらは)ろまでも さ寝をさ寝てば
=巻14-3414 作者未詳=
伊香保の高い井堰の上に現れる虹がはっきりと見えるように、人目につくまで一緒に寝ていられたらなぁ。という意味。
「伊香保(いかほ)ろ」は群馬県の榛名山周辺をさす。「夜左可(やさか)」は地名であろうが、所在不明。「井手(ゐで)」は水をせき止める設備。「虹(のじ)」はニジの上代東国方言。「顕(あらは)ろまでも」のロは、連体形ルの上代東国方言。虹が現れることと人目につくことの両方の意味がある。「さ寝 (ね)」は共寝をすること。「さ寝(ね)てば」は、下二動詞サヌの連用形+完了ツの未然形+順接仮定の接続助詞のバで、供寝ヲ続ケタナラバの意。なお、虹には不吉な印しの意味があり、末句のバには不安の心がある、との説もある。(中西進編「万葉集」講談社文庫、日本古典文学大系「万葉集」岩波書店 等による)
岩波書店編では夜左可(やさか)は八尺(やさか)で八尺もある高さの井手としているが、新潮社編では夜左可(やさか)を地名ととらえている。
一説では、水沢のあたりに八坂の塔の跡があったり、井出野という地名も残っていることから水沢周辺とみることができる。私はこちらの説を採りたい。
この万葉歌は伊香保に3基も建っている。(水沢観音駐車場、水沢観音植物園、伊香保神社)水沢2基は万葉仮名、伊香保神社は楷書表記である。
この万葉歌碑は水沢観音の駐車場付近に建っているものである。
歌碑は楷書表記だが、歌碑裏に説明文(右手)および4枚の銅版(左手)をはめ込んだ副碑には、和洋両文で説明がなされている。
水沢観音は水沢山の中腹におよそ1300年前に開かれた天台宗の寺で坂東三十三観音第16番札所となっている。東京へ三十三里、日光へ三十三里、善光寺へ三十三里と霊験あらたかな場所に位置して、ご利益を授かることができる観音様として親しまれている。
参道には江戸時代から作られていた水沢山から湧き出た名水で作られた手打ちうどんである「水沢うどん」を売る店が軒を連ね"日本三大うどん"に数えられている。
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