「21世紀倶楽部」という組織がある。
その倶楽部が1996年10月31日、「第五回・リバティ・オープン・カレッジ」で、宮澤喜一・元首相の講演会を開催した。
題して、「二一世紀への委任、過去50年間の日本の選択を振り返る」という講演であった。同氏の講演は、占領というもののもつ理不尽さへの憤りが素直に吐露されていた。しかも、独立国家になったはずの日本政府の、対米関係は、占領期のそれと大差がないことを臭わす内容であった。
講演の内容の要約ではなく、講演のなかで対米関係における屈折した日本の位置に関して宮澤が感じたことを抜き書きしよう。
昭和20年8月17日、「東久邇稔彦内閣という、日本で初めてで、その後も例がない皇族首班の内閣ができ」た。
当時、「誰も戦争に負けたということがどういうことかがわかっていませんし、占領についてもどういうことかよくわかりませんでした。とにかく電気がついてうれしかった」。屈強な米兵がくるというので、婦女子の安全を図らなければならないから、政府が慰安所を作ることまで閣議決定をした。こんなヘンテコなことに日本人の意識が傾く有様であった。「そこいらが、まず占領というものではないかと思いました」。
「占領とは、文字通り政府がやること、箸の上げ下ろし一つにいたるまで、第一生命ビルに居るマッカーサーの指示を受けるのです。地方には軍政部があり、県庁の人はみんなそこへいって指示を仰ぎます。これ以上の屈辱はないのですが、そういう状況であって、それは行政府ばかりではありません。国会そのものに占領軍指令部の国会担当者が乗り込んできて、こうやれ、ああやれと指示をするのです」。
そうした屈辱の最たるものが、ある米国人に「日本の議会制度の確立に非常に寄与した」との理由で叙勲したことである。宮澤が総理大臣のときに叙勲をする書類が彼のところに回ってきた。しかし、その米国人は、「国会へ乗り込んできて、ああやれ、こうやれと指示をした男であった」。別に国会に貢献した人ではなかった。ただ、口やかましい人にすぎなかった。宮澤は皮肉を込めていう。「五十年経つとそういう指示が議会制度に寄与したことになるのだなと複雑な思いがしたものです」。
宮澤は断言する。「したがって、よい占領などは本来はあり得ない」と。
「日本政府という大組織があり、一方に占領軍という大組織があると、日米が対立するのは当り前ですが、そのうちに、たとえば、財政は財政同士、交通は交通同士で気持ちが通じてきますから、相手国との対立が自国の部門同士の対立になったりします」と日本政府機関の内情を説明する。
日本と米国との対立ではなくなる。米国内部の意見対立が日本内部の意見対立をだしていたのである。「組織とは時間が経つとそういうものですが、それをうまく利用したりして、何とかやってきました」。
米国の内部対立を利用して、日本の独自性を守ってきたという自負を宮澤は吐露した。まだ公開できない機密がそこにはあるのであろうが、独立後、米国の外圧を利用することが省庁の内部対立を調整する大きな手段となったことも、占領期から受け継いだ姿勢なのだろう。
「昭和二十四年頃には、もう占領はごめんだと日本は思うし、米国もマッカーサーが、『占領は長くやってはいけない』という哲学をもっており、当時の吉田茂総理大臣も早期に占領を終結させようと努力していました」。
そして、宮澤は、米国にはないが西欧には綿々としてある社会民主主義の伝統に敬意をもつ。宮澤自身は、市場中心主義者ではあるが、
「市場経済にはそれなりの欠陥があり、ことに世の中には貧しい人と富む人の間に財産の差、あるいは所得の格差がある。そういう貧富の差を再配分することが、そもそも政治の機能であるとソーシャルデモクラッツは考えます。ですから、高額所得者からは高い所得税をとるべきである。資産課税は厳しくすべきである。産業政策も労働政策もある程度は政府がしなければならない。それがために政府があるのであり、極端にいえば、市場経済でよいのなら政府は要らないのだという立場です」。
「そういう立場の政党が日本でどれくらい成功するかは別ですが、そういう政党が生まれてくるのなら、私はまことに理屈が合っているとは思います」。
そうした政党が日本に生まれるべきだと宮澤はいう。市場経済中心主義の政党と、市場経済の欠陥を是正する守備一貫した政策を打ちだせる社会民主党とが、日本で競い合い、国民の選択肢を増やすことが必要である。
「西欧をみても、高福祉・高負担がゆき過ぎると、保守党が税金を下げる政策を打ちだします。日本もそうであれば、有権者も政策の選択がしやすいだろうと思いますが、なかなかそうはなりそうにないので、心配をしています」。
宮澤が首相のときに、カンボジアPKO(平和維持活動)で、自衛隊をカンボジアに戦後初めて派遣した。戦闘行為ではなく、橋をかけたり道を直したり、いわゆる国づくりの手伝いをすることをPKOという。その活動で二人を亡くした。
「私は一生、これは自分の責任だと背負ってゆかなければならないのですが、しかし、自衛隊がいってあれだけの貢献をしたことは、国内でも評価されたし、国際的にも評判がよかったと思います。しかし、あれが日本のできる国際貢献の限度であるとも私は思っています」。
「つまりそれは、日本国憲法の下で、戦争前・戦争中の経験にかんがみて、『海外で武力行使をしてはいけない』という言葉に尽きると思います。たとえ国連の旗の下であっても、また、他国がわが国に攻めてきそうだから、こちらからでかけていってその出端をくじくといったような場合であっても、日本は海外で武力行使をしてはならない。これが戦後、我々が守ってきた規則であるし、これからも守らなければならないことだと私は思います」。
現在の自民党の閣僚と宮澤との格差は歴然としている。彼は、基本的には親米であり、けっして、米国から中立の立場をとる政治家ではないが、小泉体制以降、宮澤ですら政治の表舞台から追放されてしまったのである。これに、「姿なき占領」が本格化した証左である。
テレビの怖さも宮澤は、率直に認めた。
たとえば、ソマリアで部族間の争いがひどく、食料援助が届かないので、両方の部族を分けて届けるべく、国連は、多国籍軍を派遣した。しかし、米軍が部族間の争いに巻き込まれ、「米兵の死体が道を引きずられていくのがテレビに映りましたから、米国の国民がとても許せないということで、ソマリアから撤退してしまいました」。
「米国のクリストファー国務長官も、『いまの外交政策はテレビで決まる。テレビに何が映るかで、外交政策が左右されざるを得ない時代になった』と私によくいます。湾岸戦争のときも、当時のチェイニー国防長官が記者会見で、『CNNでみた」などというのですから、テレビの影響は大変なものだと思います。しかし、テレビの情報は総合的なものではありませんので、政府は報道があったらすぐに総合的な情報をとるように動かねばなりません」。
ソマリアで戦う米軍兵士の勇猛果敢な姿を描く映画がハリウッドで戦略的に製作されたことについて、私は以前、触れた。正しくは、テレビが外交政策を左右するのではなく、政府が自己の政策を実施しやすくするために、国民世論を誘導する狙いでテレビを利用するのである。「姿なき占領」の常套手段が権力によるマスコミの利用である。
ボスニア・ヘルツェゴビナでも国連軍が人質になっていて、国連の旗の下で軍事行動などできるものではない。その点、米国がもっとも痛切に感じているであろう。米国は、その点で、単独行動と他国の協力を求めるであろうとのニュアンスの発言をした後、日本では、「カンボジアPKOでおこなった程度が限度だと私は思います」と断言する。
「また、他国が日本を攻めてきそうだから、あらかじめでかけていって出端を挫くということは、まさに自衛の名の下で我々が第二次大戦中におこなったことですが、少なくとも我々が過去において自衛の名でおこなったことは少しも成功しませんでした。ですから、たとえどういう事情であれ、国外で武力行使をしてはならないのが鉄則だと私は思います」。
どんな事情があっても、「海外で武力行使をしないということを、我々はきちんと守っていかなければならないと思っています」というのである。
為替の完全自由化に対しても宮澤はそれが投機を刺激するからとの理由で批判的である。
「為替には、思わぬ事が起こるので、非常に怖いと思います。為替のスペキュレーション(投機)をやられると、大変なことになります。たとえば、今年(一九九六年)の二月にも英国の名門証券会社ベアリングス・グループがデリバティブ(金融派生商品)で失敗し、巨額損失を出して倒産しました。為替レートが投機の対象になるのは変動制になってからです。 コンピューターの進歩で瞬間的に投機が可能となり、それにデリバティブが加わると、毎日、一兆ドル単位で取り引きするようになります。どこの国の大蔵大臣も、『為替レートはファンダメンタルズ(経済の基本条件)を反映している』といいますが、相場がこう激しく動くと、それは大変に疑わしくなります。ファンダメンタルズがそう変わるわけはありませんからね。震災や不景気、政治が不安定といわれる日本の通貨が上がり、ニューヨーク市場で史上最高の株高をつけた好景気の米国の通貨が下がるわけを、きちんと説明できる人はいないでしょう。このようなことを、いつまでも放っておいてよいのかと思います。「投資はいいが、投機はいけません」などと私も大蔵大臣のときにいった憶えがありますが、通貨安定は二一世紀までに何とかしなければならない課題の一つです」。
少なくとも、宮澤は、金融面まで完全に市場に委ねるという米国流市場至上主義者ではない。古典的な「管理通貨体制」維持派である。
そうした政治家が、米国から遠ざけられるようになったことに、「姿なき占領」が表現されているのである。
箸の上げ下ろしにまで指令するのが占領である。社会の隅々まで日本は米国に占領されている。米国資本にとって、日本経済がおいしいものだからである。
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