消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(342) 韓国併合(20) 心なき人々(20)

2010-10-27 19:51:07 | 野崎日記(新しい世界秩序)


 おわりに


 神職の小笠原省三は言った。


 「日本人のあるところ必ず神社あり。神社のあるところまた日本人があった」(小笠原[一九五三]、三ページ)。

  そして、敗戦。一六〇〇社あった海外神社のほとんどが廃絶された。

 「終戦と共に暴民の襲撃を真っ先に被ったものも亦神社であったことを知らねばならない。・・・社殿は焼かれ財物は略奪された。中には奉仕神職及び家族が殉職した神社もある。・・・海外神社は遂に壊滅したのである(小笠原[一九五三]、四ページ)。

 朝鮮における日本の神社への強制参拝に対する告発は、数多く出されていた。中でもD・C・ホルトン(Holton)の著作は、連合軍の対日占領政策に大きな影響力を持った(Holton[1943])。占領下の日本の「神道指令」はこの書をテキストにしたものである。

 「神道指令」とは、一九四五年一二月一五日に連合国軍最高司令官総司令部(General Headquarters=GHQ)による「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」という覚書のことである。信教の自由、軍国主義の排除、国家神道の廃止が指令された。「大東亜戦争」とか「八紘一宇」の用語も使用禁止になった(http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/kaisetsu/other/shinto_shirei.html)。

 韓国併合前後の東アジアを巡る国際関係を振り返る時、日本を悲惨な壊滅に導いた太平洋戦争は、強引な韓国併合に大きな原因があったことが分かる。歴史は常に複雑な要素を包み込んで進行するものなので、一刀両断的な歴史解釈は危険である。それでも、韓国併合とは何だったのかは問い続けられなければならない重要問題である。何故、強大国・米国に日本が戦争を仕掛けたのかという問いも大事だが、何故、韓国を併合しなければならなかったのかの問いの方がはるかに重大な意味を持つ。韓国を併合したいために清と、そしてロシアと、戦争をした。併合した韓国の利権を守るために、満州、華北をも統治下に置こうとした。当然、列強の反発を買う。

  反発を乗り切るべく、列強間の亀裂を利用した駆け引きに終始したのが当時の日本の外交であった。当然、友人はいなくなってしまった。世界からの冷たい視線に耐える唯一の支えが、「神国日本」という幻想であった。神が常にわが日本の危機を救ってくれるという逃避的思い込みに、権力者も多くの市井の人も耽溺していた。当時、隣国・韓国の歴史・文化・心を真剣に学ぼうとする日本人は少なかった。時代への抗議の文は、非常に少ない。

 日本人は、文化を伝えてくれた師たちを輩出してきた地、私たちの父祖の地の人々の心をついにつかめなかった。日本の権力者を批判することはたやすい。しかし、彼らを権力の座に押し上げたのは日本の庶民である。韓国併合一〇〇周年。同じことを私たち日本人は繰り返している。

 専門家だけでなく、素人も、自己の生活感覚に基づいて時代に異議申し立てをしなければならない時がある。いま、自分たちが冒してしまった行動に対する自省を言葉にしなければ、私たち日本人はかなりの長期に亘って、歴史の闇に押し込められることになるだろう。

   時代は、私たち日本人に対して苛酷な試練を与えている。こんな大事な時に、「坂の上の雲」?