消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(332) 韓国併合100年(10) 心なき人々(10)

2010-10-17 18:57:03 | 野崎日記(新しい世界秩序)


四 韓国併合を巡る伊藤博文

 伊藤博文(一八四一~一九〇九年)は、一九〇六年から一九〇九年まで韓国の初代統監を務めたが、韓国併合に対する姿勢を明確にすることは晩年まで躊躇していた(馬場[一九三七」、一六一ページ)。それでも、韓国は日本の支配下に入るべきであるとは主張していた。一九〇五年一一月一五日、伊藤は当時の韓国皇帝・高宗に対して、日清、日露の二つの戦争で血を流した日本には、韓国を支配する権利があると、申し渡していたのである(金[一九六四]、第六巻の一、一九~二七ページ)。

 そして本稿第一節でも触れたように、、一九〇五年一一月一七日、「第二次日韓協約」が結ばれ、、韓国の外交は、すべて日本の指令に従わざるを得なくなった。外交だけではなく、警察、金融、宮廷関係にも日本人役人が入り込むことになった。そうした費用を負担すべく、日本政府は、一九〇六年初めまでに、韓国政府に一〇〇〇万円を供与していた。一九〇八年三月にはさらに二〇〇〇万円を供与している(Lone[1991], pp. 145, 151)。

 さらに、一九〇七年五月、伊藤は、韓国の内閣改造を図り、首相に李完用(I Wan Yong)、農商大臣に一進会(Ilchinhoe)の指導者、宋秉(Song Pyon Jun)を就けた(4)。新内閣の閣僚就任式で、伊藤は次のように語った。要約する。

 東アジアの勢力地図は変わった。中国はもはや強国ではなくなった。その広大な国土は列強によって食い散らかされようとしている。韓国が日本の監督なしに、独自外交を展開するようになれば、韓国もまた列強の餌食になってしまうだろう。それは、日本の安全も脅かす。無私の姿勢で韓国を保護できる国は、日本をおいてはない。よって、韓国民は、日本に対して善意を持ち、日本に自国の運命を委ねるべきである(金、同上書、四八二~八三ページ)。

 伊藤から首相を命じられた李完用は、伊藤のこの言葉に答えて次のように挨拶した(これも要約)。 
 私たちは、日本と協同関係に入ったことを喜んでいます。国家というものは、人間と同じく、強い力なくして立つことができるものではありません。つまり、力なくして国家の独立を望むのは愚かなことです。力のない韓国にとって、地理的に近く、運命においても密接に結びついている日本との協同関係を持つことが最も有益です。これが、日韓協同をする一つの理由です。いま一つの理由は、中国や他の国に従属しても何の益もないという点にあります。日本には韓国を併合する力がありますが、そうしなくて、韓国と協同関係を日本が維持してくれれば、韓国は力を蓄えることができるのです。韓国にとって、日本との協同関係こそが自国を守る最上の方策なのです(金[一九六四]、第六巻の一、四八四ページ)。

 李完用のこの発言について、森山茂徳は言う。李の挨拶は、伊藤への単なる追従ではない。いろいろな場所で、伊藤が韓国併合について積極的でないニュアンスの発言をしていたので、他の日本人政治家によって韓国が統治されるよりも、伊藤による統治の方が望ましいとの判断を李はしていたと。事実、李は、伊藤に向かって、もし伊藤が統監を辞める時は、自分も首相を辞めるとまで言い切ったという(森山[一九八七]、二〇一ページ)。
 高宗帝を退位させた直後の一九〇七年七月二八日、伊藤は、新聞記者に語った(要約)。

 併合など日本は望んでいない。韓国に必要なことは自国の自治である。韓国に日本と韓国の国旗が並べて掲揚されるべきである(小松[一九二七]、第二巻、四五五~五九ページ)。

 李完用ほどの日本への傾倒ぶりこそ示さなかったものの、日本の力に依存しなければ韓国の自立はできないといった考え方は、クリスチャンである尹致昊(Yun Chi Ho)にもあった(姜[一九八二]、四四二ページ)(5)。

 しかし、伊藤は、一進会などの愛国者精神を怖れていた。如何に、対日協力の立場を採っていても、日本が韓国を併合してしまえば、彼らは断固として日本批判に結集するであろうとの危惧を、伊藤は、当時の駐韓英国領事、ヘンリー・コックバーン(Henry Cockburn)に伝えている(F.O.[1908], 410/52; Lone[1991], p. 148)。
 一進会については、当時の日本の首相・桂太郎も、伊藤と同じような認識を持っていた。

 一進会は、強烈な愛国心の持ち主だが、韓国の政治状況から彼らはその感情を抑えている。日本は彼らに文明を教えているが、彼らが豊かになり、文明を学習すれば、彼らは必ずや自らの足で立とうとするであろう(黒龍会[一九六六]、第一巻、二六九~七〇ページ)。