具体的には健康保険制度がそうです。健康保険制度も日本のように国民皆保険制度にするのではなく、バウチャー制です。バウチャーという優先券を国家が国民に配る。バウチャーを持って国民が好きな医者にかかれば、そこに自由競争がある。
今のアメリカの医療保険は民間がやっていますので、実際には選択権はありません。その人の保険料によってかかれる医者が左右されています。何よりも病気にかかっている人は保険に入ることができません。これがアメリカの医療保険制度のたいへんなマイナスです。アメリカでは日本型の国民皆保険をナチス型というのです。オバマは、ナチス型はだめだと言ったので、結局バウチャー制になっていきます。
大きな政府への鞍替えのために、3兆ドルをばらまくという方向に舵を切りました。実はハミルトン・プロジェクトのメンバーが大挙してオバマ政権に入閣しています。こういうことに私は危機感を感じます。
アメリカ政府は、目も眩むような巨額の公的資金を供与しました。それでも銀行の経営者たちの高額所得はまったく減っていません。AIGでとてつもなく高いボーナスをもらってすぐ辞めてしまって、注ぎ込んだ公的資金がどのように出ていったのか調査が何もありません。資金供与した銀行が「そんなことを言うならお金を返す」という恫喝をしても何らの手を打つことができません。公的資金供与は、とにかく金融を助けるということです。アメリカ政府が破たんさせたのは結局リーマン・ブラザースだけです。これが史上最大の倒産劇です。GMが倒産しても史上4位くらいで、リーマン・ブラザースは突出して大きいのです。
日本の野村証券がリーマン・ブラザースを買収した背景には何かあると思われます。リーマン・ブラザースが傘下に押さえたクーンレーブ商会という会社は、日露戦争の戦費を1社で支えました。戦費をロンドンで起債しても誰も買ってくれなかったのですが、そのときにクーンレーブ商会が買ってくれたのです。その恩義で日本は2回もこの会社の代表、シフを叙勲しています。そのクーンレーブを支配したリーマン・ブラザースを野村が支えたのは、経済的打算を超えた国家的意志が働いたと思います。
かつてはアメリカの政治家は金融に対する反感を持っていました。トーマス・ジェファーソンは、次のように言っています。「民間銀行にわれわれの通貨発行権を認めてしまえば、 最初はインフレーションによって、その後はデフレーションによって、人々から財産が奪われるだろう。子どもたちは、建国してくれたその国において孤児になってしまうだろう。今われわれがやらなければならないのは、通貨発行権を銀行の手から奪い返し、本来の所有者である国民に返還することである」。これが国家紙幣です。
ドルのことをグリーンパックと言いますが、実は違います。グリーンパックはリンカーンが作った国家紙幣です。リンカーンは南北戦争のときに民間銀行が国債を誰も買ってくれなかったので、怒ってグリーンパックという国家紙幣を作ったのです。どちらかと言うと北部の銀行はイギリス側だったので、リンカーンは必死なって闘わなければなりませんでした。リンカーンはそれでこんなきつい言葉を残しています。「南軍と並んで金融権力という敵がいる」と。
日本人は穏やかな国民性を持っていますので、金融マンに対する攻撃がありませんが、アメリカではウォール街を背広姿で歩いていると、「お前たちがアメリカをつぶしたんだ」と石が投げられるといいます。
私は恐慌という言葉は使いませんが、今ほどアメリカで国家と国民と金融界と産業界がバラバラになった時代はなかっただろうと思います。オバマは何もしていません。アメリカの落ち込みを救済するために、八百長的な粉飾決算をやって、6四半期ぶりに黒字になったから大丈夫だと言うのですが、これからが本番だろうと思います。まず、貸し渋りが露骨に進行しています。企業倒産がこれから増えるでしょう。
日本はアメリカのバブルのおかげで成り立っていました。内需拡大論をかなりアメリカから言われて、国も地方自治体も公債を発行して必死になって公共事業をやり、バブルを作ってしまいました。今度は小泉内閣になってから、公共事業の見直しということで、バッサリと予算を削減しました。悲鳴を上げた金融界はアメリカに救いを求めました。世界でもっとも貯蓄率の高い、1500兆円という日本の資金がアメリカに流れました。10年にわたるゼロ金利政策があり、FX為替取引やエンキャリトレードという形でものすごい金額のお金がアメリカに流れて行って、アメリカのバブルを煽りました。中国もこういう形でアメリカのバブルを煽った。アメリカは借金体質になり、お金を日本と中国が注ぐものだから、いくらでも借金ができました。
その借金目当ての産業がアメリカに輸出していくわけです。内需拡大論のときは、日本の輸出はGDPの8%ありました。これがバブル最高期の2008年7月には20%です。自動車生産にしても、日本の国内需要の50%を上回る輸出がアメリカに行っています。現在、アメリカを大きな顧客としていた自動車、弱電、家電が危機に陥るのも無理はないと思います。
もう一度日本の戦後直後のことを思い出していただきたい。日本の再生はそこに帰るしかないのだろうと思います。
護送船団方式という言葉が悪いのであって、棲み分けという言葉を使えばいいのです。マーケットというものは、みんなに平等に作用するものではありません。儲かる産業と儲からない産業が露骨に区別されています。いくら鉄鋼業が世界最高の技術を持っていても、その買い手は自動車です。自動車会社は1円でも安く調達するために資材課を持っていて、世界の薄板の値段が分かります。だから自動車の薄板の交渉は半年がかりです。ですから、いくら新日鉄が世界一の技術を持っていても、8%の利益が精一杯になります。こういうところを一斉に競争させたらどうなるかというと、鉄鋼業、造船、アルミなどに貼り付けられた銀行は経営が成り立つはずがありません。そのために、日本は、これらの産業に日本長期銀行や日本工業銀行などの政府系の銀行を貼り付けていたのです。農業はもちろん農林中金、中小企業には相互銀行、町工場には信用金庫や信用組合など、非常にきめの細かい金融機関の棲み分けをしていて、1行たりとも銀行の倒産はなかったと言いたいのです。そして日本の銀行は一生懸命に自分のお客さんを育ててきました。
1945年の敗戦の頃、日本は世界でもっとも貧しかったと思います。何も食うものがなかったので、この時期に生まれた年齢の日本人は、平均身長が落ちています。それが何と11年後には世界5大工業国家に復帰しました。まず製造業からやって行こう、そのためには金融を取り締まろうということで、銀行には泣いてもらっていました。とにかく製造業に力を入れました。
政府の審議員はほとんどがマルキストで、アメリカ帰りの新自由主義者は1人もいませんでした。しかも、労働組合が弱いから、官僚たちが利益の半分は労働者に回せとなりました。その心は正しいのです。ケインズも、賃金は一定水準に保持されていなければならないのであって、それがなくなれば資本主義は終わりだ、と言っています。あるいはW・S・ルイスというノーベル賞受賞者も、「賃金が高い国が高度成長するのであって、高度成長したから賃金が高いのではない。賃金は社会的要件なのだ」と指摘しています。
現在、中学・高校卒の子どもたちの非正規比率は70%です。これを財界の大御所たち、トヨタ、キャノンなどが率先してやりました。このために購買力がなくなっていくわけですから、日本の資本主義は歯止めなく落ち込んでいくだろうと思います。このようにアメリカ、日本は悲惨なことになります。ヨーロッパはその点は少し救われていくでしょう。
GMの幹部が、「年金や医療のコストをどんどん削ることによって、トヨタと同じ賃金水準になれば、GMの復活がありうるだろう」と言っています。トヨタは世界でもっとも賃金水準が低い、ということをGMの幹部が言っているのです。
そういう意味では、資本主義は「100年ぶりの危機」ではなくて、「200年ぶりの危機」だと思います。200年前は、あのJ・S・ミルですら、労働者の労働運動をなだめるために、利潤の適度の配分という意味で、社会主義という言葉を使っていたのです。そういう方向で資本主義は一定の安定をみていました。
激しい労働運動に対して、社会福祉的な国家になることによって、一定の歯止めをかけられたのです。これで高度成長を成し遂げた。今はそれと逆に掠奪的原始資本主義に戻ってしまいました。
高度成長時代の1960年代には、上位0.2%の人が社会全体の賃金の2%をもらっていました。それが2008年には7%を超しました。つまり格差社会が経済恐慌を生むのであって、むしろ中間層が多い方が高度成長時代なのです。
経済学とは、欲望をいかに制御するかということがポイントだったはずです。米をいくら好きだからといって何十杯も食べるわけにいかない。ところが、お金だけは制限がない。お金を自由にしてしまったら、儲かるところにしか資本が動いて行かない。儲かるところは金が金を生む。金が金を求めるという世界にはしてはいけなかったのです。だから、お金の取り締まりは当たり前です。それが、フリードマンが出てきて、20年ですべてひっくり返りました。
そういうときにわけわれがしなければならないことは明らかです。金を統制しろ。余った金は産業活動とわれわれの雇用を生み出す方向に持って行け。金持ちには累進税をかけろ。こういうことをしなければ資本主義社会は破壊されると思います。私は、今ならまだ修正がきくと思っています。
国民からすれば、大事な国民のお金をみんなの雇用を守るために流して行くことです。具体的な提案としては、私たちが預けたお金が中小企業の雇用を確保するために使われていくことを監視したうえで、地元の信用組合や信用金庫にお金を預け直そう。預金者たちは預けた自己責任を持とう。1970年代初期のアメリカでは、地元の人たちの雇用の確保に銀行が役立ったかどうかを、免許更新のメルクマールにしていました。今はお金の儲かる銀行が良い銀行となっています。この発想は完全に逆転させなければならないと思います。
今回の危機を招いたのは経済学者の責任です。経済学者がいつの間にか「マーケット万歳」、「マーケットはお金のことだけ」となってしまいました。このような状況を見直して、高度成長時代には日本のシステムは非常にしっかりしていた、ということをもう一度思い起こすべきだと思います。