消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(258) 新しい金融秩序への期待(203) 日本の進むべき道(3)

2009-12-01 00:33:24 | 野崎日記(新しい世界秩序)
 アメリカは戦後直後、お金が取り締まられ、ドルと金を交換する義務があったために、野放図なドルの印刷はできなかったのです。当時のアメリカは今のように赤字財政を平気で続けるような国ではありませんでした。これは大事なことです。

 1971年までは、わが日本もアメリカ以外の国も、金をやめ、その代わりに1ドル360円でドルに結びつけるという固定相場制の時代でした。1ドル360円で結びつくということは、非常に厳しいルールだったのです。例えば日本でインフレーションが起こったら1ドル400円ぐらいになる。1ドル360円を維持するには、日本銀行は必死になって円を縮小させるべく、デフレをやります。逆に1ドルが300円ぐらいに値上がりすると日本銀行は、もっと円を出します。1ドル360円という関門に合わすべく円を増やしたり、減らしたりしていたのです。これが戦後の流れでした。これが世界的に空前の繁栄をもたらしたのであります。

 各国に固定相場を押しつけた見返りとしてアメリカは厳しい金・ドル交換を自国に課していました。しかし、これはアメリカにとって都合の悪いことでした。

 アメリカという国は、経済の国ではなくて政治の国です。アメリカ的民主主義を世界に強要し、もし「イヤだ」と言われても、ほっぺたをたたいでも押しつける。アメリカは、戦争をしなかった年がないんですね。品川正治さん(経済同友会終身幹事)はいつも「日米は同じ思想をもっている国だから、仲良くしようというが、同じというのはウソだ。アメリカは戦争をしている国なんだ。日本は戦争をしていない。何がいっしょか!」と言われますが、まさに私もそう思います。

 そのアメリカは戦後はじめてベトナムに負けるのです。これはショックだったでしょうね。連戦連勝で「おれほど強いものはない」と思っていたアメリカが、あのちっぽけな国に負けていくんですから。そのときに必死になっていろんなことをやるんです。

 1965年、日韓会談がありました。つまり血であがなった朝鮮半島をこのままアメリカが治めることは難しい。だから日本の進出を認める。そのかわりに日韓会談をやれ、という経緯です。つまり韓国の安全性というのか、そういったものは日本が責任をもてということです。そうしてアメリカは、韓国を輸出加工自由貿易地域としてつくっていきます。香港、メキシコ、シンガポール、台湾といったところへどんどん生産基地をつくっていきます。これが1965年です。そして1965年、インドネシア共産党の大虐殺がはじまります。スカルノが失脚します。同年ベトナム戦争の北爆開始です。一連のこと1965年に起こりました。

 しばらくそういう形でベトナム戦争を遂行していたのですが、いよいよ危なくなってきて、イギリスが裏切りました。実はイギリスも出兵していたし、周辺の治安をイギリスが担っていたのです。わが日本は、アジア貿易の決済通貨はドルではなくポンドでした。イギリスがアメリカを支えていたのです。

 そのイギリスが1970年、スエズから東側は全部引き上げると宣言しました。小イギリスになったのです。その地域が軍事的空白となり、アメリカはどうするかということになって、相次いで日本との「軍事同盟の強化」をやりました。しかし、ベトナム戦争を遂行するための巨額の資金散布によって、アメリカが金兌換の義務やドルとの固定相場制を維持することができなくなったのです。これが、「ニクソン・ショック」です。

 アメリカ人は8月15日というものを特別視します。奇しくも日本はお盆ですが、マリアさまが天国に召された日なんですね。ニクソン・ショックも8月15日でした。今年も8月15日にアメリカは何かをするであろうと思ってください。ズバリ、ドルの切り下げだと思います。ニクソン・ショックは金とドルとの交換をやめたことです。そうなると、世界は「ドルと自分たちの国の通貨の固定制をやめる」という方向に動きます。以後、世界は変動制の時代に突入しました。

 それでもアメリカはまだモノづくりをしていたんです。だから日本に対して輸出自主規制を求めたり、いろんなものを求めて来たりしました。しかし、アメリカはこうした戦略のかいなく、自らのGDPの低下に愕然とします。同盟国であった日本は、彼らの経済競争相手となりました。

 日本に勝てない。アメリカの産業は、日本の進出でつぶされていきます。アメリカにはラジオやテレビのメーカーが1社もなくなりました。日本のメーカーをたたきつぶそうと思っても、アメリカには肝心要の技術がもうありませんでした。そのとき、アメリカはすごい天才的なことに気づきます。

 日本をたたきつぶすには「金融がある」となってきたんですね。当時の彼らの議論はほんとうにすごいです。日本の金融機関を徹底的に調べあげるのです。そして日本の銀行・郵便貯金をつぶしにかかるのです。とにかく日本の銀行すべてが、アメリカの強敵だったのです。

 わかってください。まず日本人の貯蓄率の高さ。OECDは30カ国ありますが、貯金総額の50%以上がわが日本一国の貯蓄です。日本は巨大な貯蓄大国なんです。
巨大な貯蓄を保有している日本の銀行をたたきつぶすにはどうしたらいいか。アメリカはここが天才的なんです。

 日本は預金で成り立っています。その預金を10年、20年という長期の融資に日本の銀行がまわしていることに対して、アメリカは「これはおかしいじゃないか! 預金というのは1年以内と期間が決められているものだ。他人さまのお金で日本の銀行は商売をしている。これはゆるさん」と言うことで世界的なルールをつくりました。これが1988年に定められたBIS規制というものです。国際業務をおこなう銀行の自己資本比率についての取り決めで、銀行の貸付総額のうち8%以上の自己資本をもたなくてはなりません。つまり、自己資本の12.5倍以上の融資をしてはいけないということです。当時、日本の大銀行はほとんど自己資本をもっていませんでした。株式を発行しても申し訳程度に発行するので、少なくとも一般の人は三菱銀行とか、
住友銀行とかの株を保有していませんでした。

 私たちは良い銀行といえば、ものすごくたくさんの預金を集めている銀行だと思っていました。そして、われわれは浮気しない。地元の銀行に預けっぱなし。金融の自由化前までは銀行は1行足りともつぶれなかった。しかも5.5%利子をわれわれはもらえた。それが自由化になったとたんにゼロ金利。21行あった都市銀行が3行に集約されました。これが自由化です。構造改革や金融の自由化で何かいいこと1つでもありましたか。ほんとうに恐いですよ。ワンフレーズのお殿さまというのは無責任で腹立ちます。

 BIS規制によって、自己資本比率4%台だったほとんどの銀行は、えらいこだと危機感を覚え、貸し渋り、貸しはがしが起こりました。これが1990年代半ばです。

 さらに追い打ちをかけます。日本の旧財閥系列の元締めが銀行であり、その銀行が系列会社の株をもっていました。この株を手離させるために自己資本を上回る株式の所有を禁止しました。あの小泉元内閣のブレーンだった竹中平蔵が言い出したことです。「株を離せ」と言われたら優良株から離すしかありませんよね。まずソニーが売られ、トヨタが売られていきました。一流一流会社の株がどんどん売られました。