消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

ギリシャ哲学 05 神政政治

2006-06-29 23:52:19 | 古代ギリシャ哲学(須磨日記)


エドアルト・マイヤー『古代史』第3巻「ペルシャ帝国とギリシャ人たち」(1901年)
によれば、アテネのデルフォイ神託は、ギリシャ世界の最高の権威である。その祭司たちは、ペルシャに屈服することをアテネで画策していたという。もし、この路線が実現すれば、以後、アテネは神政政治の呪縛に苦しみ、以後の西洋の基本にはなりえなかったであろうと、マイヤーは言う。

「ギリシャ世界の最高の権威であり、一般的に受け容れられる精神的ならびに政治的指導の役割を手にしていたデルフォイの神託は、これに反対の考えをもっていた」(同上)。

反対の考えとは、アテネを中心とする市民共同体国家の対ペルシャ徹底抗戦の決意である。大まかにいって、ポリスには、神託を司る祭司、武装勢力、武力をもたない平凡な市民といった区分があった。徹底抗戦は、武装勢力の方針であり、市民はその方針に同調していた。こうした動きに対して、デルフォイの司祭たちは、ペルシャとの同盟を指向していたのである。

「デルフォイの祭司たちにとって、ペルシャ軍は優勢であってそれに対する抵抗は無駄だということは、疑いの余地がなかったのである」。
「ペルシャはけっしてギリシャ民族を絶滅する戦争を仕掛けたのでなかった。ペルシャは、ギリシャの神々と聖域を尊重し、個人の所有や権利と動揺に都市にも手を触れないつもりでいた。(ギリシャ人が)従順さを保ち、上位の支配者に貢租をきちんと納め、高位での政治に参与することをあきらめるかぎりにおいては、(支配者であるペルシャが保証する)もろもろの共同体の心地よい穏やかさについては、ほとんんど何の変わりもなかったのである」


マックス・ウェーバー『古代農業事情』(初版1898年)の1909年改訂版では、

「ペルシャ戦争さえもが ―マイヤーが賢明にも考えたように ―神政政治的な動向と、ギリシャ文化の『世俗性』との間の決戦と見られる」と記されている。

総じて、古代オリエント世界、つまり、メソポタミア、バビロニア、イスラエル、エジプト、ペルシャの諸王朝は、強力に組織された祭司神政勢力の支配下にあった。もし、ペルシャにギリシャが支配されれば、ギリシャ・ポリス国家もまた、デルフォイ神殿を中心とする祭司階級に支配され、オリエントを同列の世界に組み込まれていた可能性が強い。
 アイスキュロスは、ペルシャ戦争に参加し、その体験を元に書いた悲劇『ペルシャ人』で、ペルシャ人が、ギリシャの聖域と神像を破壊することを目的としていたものとして描いた。これに対して、マイヤーは反論した。

「(アイスキュロスの信念は)事実と相違している。確かに、抵抗があったところでは、ペルシャ人は町と寺院を焼いた。しかし、そうでないところでは、彼らはギリシャの土地を荒廃させ絶滅させようとはしなかったのであり、ただ服従させようとしたのである」。

ここから、マイヤーは重要なことを書いている。

 「(ギリシャ人の)民族的な聖域は、ペルシャの支配にとって最良の支柱であった。デルフォイ神は、ペルシャと与したギリシャ諸族からなる『隣保』(アンフィクティオン)同盟に最高の神聖神として関わったばかりでなく、熱心にペルシャのために働きかけた。クセルクセス大王がデルフォイの聖域を略奪するなどというようなことは、考えるはずがないのだ」。

ペルシャは、ギリシャの既成の宗教と連携し、その権威を借りることによって、ギリシャ人を支配しようとしていた。デルフォイ神託は、全ギリシャの隅々まで最高の影響力を保持していた。デルフォイの祭司たちは、吟遊預言者、星占術師たちの心のよりどころであったし、占い師たちは民衆からの信頼を得ていた。そして、ペルシャは彼らと密接な関係を保っていたのである。

 ペルシャ人たちが利用しようとした宗教の権威に頼るギリシャ支配は、宗教の中身はなんでもよかったのである。ただ、その宗教が民衆にとっての最高の権威でありさえすればよい。これは、エジプトやユダヤで実施されていたものである。

 支配的地位に祭り上げられた祭司は、カリスマ的個性に依存するのではなく、体系的神学の構築を権力側から要請されるようになる。この点についてマイヤーは次のように言う。

「最後には、単一の教会と首尾一貫した神学大系が、ギリシャ人の生活と思想に首枷をはめ、あらゆる自由な活動を束縛するようになったであろう。こうして生まれた新たなギリシャ文化は、オリエントと同じく、神学的・宗教的刻印を捺されることとなったであろう。
外国人支配、教会、神学の同盟は、ここギリシャでも、国家ととともに、人間生活と人間的活動の最高の地域へと、ギリシャが発展してゆくのを、永久に妨げたであろう」。

マックス・ウェーバーの『支配の社会学』(創文社、1962年)は、このマーヤーの仮説に大きく影響されて書かれたものである。デルフォイ神殿がギリシャ人にペルシャへの屈服を勧めていたことをウェーバーは、「いささか奇怪な行動」として、その意味を分析しようとしたのである。

ウェーバーによれば、ペルシャの対ギリシャ支配は、世俗的政治権力としての国王が、教権制支配として宗教的権威としての祭司層と手を結び、比較的おとなしい商工業市民層を抱き込み、こうした三者連合によって、もっとも権力に牙を剥く軍事的貴族層を圧殺しようとした。ウェーバーは言う。

 「市民的勢力と宗教的勢力との間の一般的親和性は、両社の一定の発展段階において典型的に見られる減少である」(「政治的支配と教権的支配」)。

私が、最近、米国のネオコンの基盤である福音主義的メガ・チャーチの存在を重視している意味もこの点にある。

今回も、いいだもも氏の叙述の咀嚼の試みである。