朝倉家の拠点であった一乗谷から九頭竜河の北に位置する丸岡町まで通じる朝倉街道という山間を抜けるひなびた街道がある。鯖波~東郷~成願寺~小坂畑~下吉野~荒川~松岡~鳴鹿(なるか)~丸岡に至る路で、北国街道と並び、朝倉が一向一揆勢を叩きのめす軍事街道として機能していた南北を縦断する旧道である。現在も、交通の要所として使用されている。鳴鹿の地は、九頭竜河の渡しがつい最近まであり、現在は鳴鹿堰として、九頭竜の水を満々とたたえ、農業用水を福井平野の各地に流している。この点については、後日、お話する積もりであるが、今回はこの街道の吉野にある新荒川の話をしておこう。正式の荒川は足羽(あすわ)川に通じる結構、大きな川であるが、地元も吉野小学校の児童が、平成12年から小さな農業用水を新荒川として、蛍が生育しやすいように、苔、草、柔らかい土、石を川底に配置し直し、蛍が飛び交うようになった。
毎年、この作業は続けられ、6月2日~4日には、九頭竜フェスティバルの一環として、地域有志による源氏蛍鑑賞会が開かれる。まるで、天の川のように、新荒川が輝くと地元の人は自慢している。
福井に来て気づいたことがある。蛍の飛び交う地域は上(かみ)吉野という。それより、北を下(しも)吉野という。つまり、京都に向かうことを上といい京都から離れることを下というのである。関西人は単純に北を上、南を下と呼んでいるが、京都より北の地は、呼び方が反対になる。越(こし)という別称で呼ばれ、京都に近い越が越前(福井)、遠い越は越後(新潟)という地名も嫌味な呼称である。