消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

ギリシャ哲学 04 ファシズムに傾斜しがちなプラトン主義者

2006-06-28 23:51:07 | 古代ギリシャ哲学(須磨日記)
万人が万人と顔見知りであり、歩いても一日で全域を見渡せる古代民主主義国家、アテネ。アテネが、ペロポネソス戦争を経て疲弊し、無政府状態の末に大衆扇動家に手にかかって、僣主制へと滑り込んで行く危機的状況において、プラトンが認識したのは、民主制の宿命的な不安定性であった。実際、危機に権力が追いやられる時、民主制とは、国家形態の中で、もっとも市民的連帯性が弱い体制として、権力者は受け取ってしまう。

 プラトンの時代、アテネは、エーゲ海上の覇権を失っていた。貴族の権力基盤である土地私有制も揺らぎだしていた。自由・平等をスローガンとするポリス国家の法(ノモス)は機能せず、市民はエゴをぶつけあい始めていた。

 こうした民主主義の危機へのプラトンの処方箋は、『国家』(ポリテイア)で打ち出された。周知のように、哲人王が支配する独裁国家形態を、プラトンは、推奨したのである。プラトンは、絶対主義支配の秩序を志向していたのである。

 1931年、東大は、ハンブルク大学教授のクルト・ジンガーを招聘した。ナチス政権の成立とともに、東大は彼を解雇したが、彼は、仙台の二高で教鞭を執り、1940年、日本から退去を言い渡され、オーストラリアに移住したユダヤ人である。

 彼は、プラトンの理論の中に、ファシストを引きつける部分があることを容赦なく批判していた。彼は、プラトンの哲学が学問的関心からではなく、国家的精神を形成するためのものであることを喝破した。

 「彼、プラトンは、都市を樹立し、秩序づけ、法を与え、再建し、市民共同体を純化し、確固たらしめようとする。・・・人間、国家、万物は、彼、プラトンにとって、同一の法に従って秩序づけられた同心円である。その円心において、法はもっとも純粋に把握され、もっとも美しい形で直視される。・・・この円心をめぐってすべての思想、行為、知覚、魂、精神が秩序づけられており、国家によってはじめて人間は万有の中で自らを満たし、万有は人間の中に現れる。その仲介者は哲学者である。『饗宴』は、彼(プラトン)をデーモンの形で示し、地上的なものと天上的なものとを媒介し、万有を結びつける」(Singer, Kurt, Platon der Gründer, München, CH Beck, 1927)。

 秩序崩壊に怯える権力者たちが、自己の正統性の補強に、プラトンをつねに使ってきたのは、ジンガーが指摘したプラトンのもつ哲人国家論である。

 1942年、軍部ファシズムが最高潮に達していた時、東大の南原繁は、敢然と、権力に媚びる日本のプラトン信奉者を批判していた。

 「彼ら(プラトン信奉者)が、プラトンの国家について理解するところは、神話的原始像以外のなにものでもなく、畢竟、国民の本源的国家生活としての生の共同体の思想である。現代ドイツのナチス等が、その掲げた政綱または現実の行動のいかんは別として、根底において要望するところのものに至ってや、必ずや以上の精神と相触れるものがある」(『国家と宗教』岩波書店、1942年)。

 「(プラトンをこのように解釈することが)現代に唱道される『全体国家』のよき範型として、人がこれをよく役立てるとしても、不思議はないであろう。けだし、現代に論ぜられる『全体国家』或いは『権威国家』について、これにも勝るような、深い精神的基盤は求め得ないであろう。それには本源的な統一状態として、もろもろの文化よりもさらに高い度合いにおいて民族本来の生の統一体の実在と、これに対する国民の信仰が前提されている。したがって、およそ、国家の価値を問うがごときは、すでに存するこのような本源的なものへの素朴な信仰の喪失を語るものでしかあり得ない。正義も、すでに見たように一つの国家的感情として非合理的な体(てい)の共同体の原理と解釈される結果、もはや、国家権力者の把握するカリスマ的権威と、これに対する国民の側からの信仰の関係があるのみである。言い換えれば、一方には支配する少数者の神秘的直感があり、他方には一般国民のこれに対する遵奉があるのみであって、人々は自己自らを知り、欲する事ではなくして、支配者の信条に対する絶対の服従が要求されるだけである。プラトンの解釈の非合理主義はここに至って極まると見ることができる」(同上)。

 私たちの日本で、ほんの半世紀前には、このような高尚な精神をもつインテリが、命をかけて文を書いていた。軍部ファシズムが社会を支配していた時に、このような文を書くことは、書き手は、想像を絶するほどの恐怖におののいていたであろう。しかし、南原の勇気が後世の私たちを勇気づけてくれる。学者とはこうありたいものだ。権力に阿(おもね)るニセ学者は、このような文に接することは生涯ないのいであろうが。それに、これから私が行おうとする宗教研究の方向性を南原はすでに与えてくれているすごい人を私たちはもっていたのだ。吉田茂によって曲学阿世*の輩と言われた南原は、さしずめ、プロタゴラスであり、南原を侮蔑した吉田こそ、プラトンであった。 

*(きょくがくあせい)曲学(真理をまげた不正の学問)をもって権力者や世俗におもねり人気を得ようとすること。

プラトンを全体主義の擁護者として厳しく断罪した人に、バートランド・ラッセルもいる(『哲学史』)。

 「プラトンは、ペロポネソス戦争初期の頃、前428~427年に生まれた。彼は富裕な貴族であり、僣主政治に関係した30人の人たちと親戚関係にあった。アテネがペロポネソス戦争でスパルタに敗北した時は、彼はまだ青年であって、その敗北を民主制度のせいにすることができたのである。彼の社会的地位や親戚関係というものが、彼、プラトンをして民主制を軽蔑させたということは、十二分にあり得ることである。
 彼、プラトンは、ソクラテスの教え子であって、ソクラテスには深い愛情と尊敬を抱いていた。しかも、ソクラテスはその民主制によって処刑されたのである。したがって、プラトンが、自分の理想とする国家の概略の形態を示すものとして、スパルタに目を向けたのは、驚くに当たらない。
 プラトンは、偏狭な自分の提案に、巧みな体裁をつけるだけの腕前をもっていたので、彼のその諸提案は、後世の諸時代を欺き通し、後世の人々は、彼の『ポリテイア』を、その提案が何を意味しているのか全く意識することなしに、ひたすら賞賛したのであった。プラトンを理解することではなく、プラトンを賞賛することがつねに礼儀正しいこととされてきた。これは、偉大な人々に共通する運命ではある。
 しかしながら、私の目的は、こうした態度とは対照的である。私は、彼を理解しようと願っているが、彼が、あたかも、現代のイギリスないしはアメリカにおける全体主義の擁護者であるかのように、できるだけ敬意を払うことなしに、彼を取り扱おうと思っているのである。
 プラトンの共和国が何を成就するのであろうかと考えて見ると、その答えは少なくとも退屈千万なものとなる。すなわち、その共和国は、ほぼ同数の人口をもつ国との戦争には勝利するであろうし、また、少数の人々の生活を保証するであろう。しかしながら、その国は厳格な体制のために、いかなる芸術も、いかなる科学も生まないであろうことは、ほとんど確実である。他の面でもそうなのであるが、この点でもプラトンの共和国は、スパルタに似たものとなるであろう。あらゆる名論卓説にもかかわらず、戦争をやる手腕と食うことに事欠かないということが、その国の成就しうるすべてなのである」。

 なんと、ラッセルのこの言葉が、現在の米国にダブって聞こえることか。

 カール・ポパーの『開かれた社会とその論的』(1945年)でも、第1巻は「プラトンの呪縛」である。そして、第]1章は、「起源と運命の神話」、「プラトンの記述的社会学」、「プラトンの政治プログラム」、「プラトンの攻撃の背景」という4つの章からなる。ポパーは言う。プラトンこそは、歴史信仰の中にイデア説を埋め込んだのであり、変化は悪であり、静止が善であると宣言したのであると。プラトンの全体主義的正義は、「政治的変化を止めよ」という命題と、「自然に戻れ」という命題から合成されていて、彼のイデア論は古い部族的ヒエラルキーへの回帰を謳っただけのものであると。

 プラトンの哲学のエッセンスを取り出すことは難しい。いかに、ファシスト的思想の持ち主であったとしても、プラトンは、少なくとも2500年以上の歳月を生き延びてきた巨大哲人であることに変わりはない。そうした大物を軽々にエッセンスだけにすることは無礼というものだろう。そこで、卑怯ではあるが、プラトン崇拝者によるプラトンのエッセンスを借用することにする。

 プラトンのエッセンスを書き抜いたのは、アレクサンドル・コイレである(コイレ、川田殖訳『プラトン』、みすず書房、1984年重版)。

 エッセンスは4つある。(1)時間を超越したイデアを認識する精神作用が重要である。これは、人間の諸活動の中でも最重要のものであり、経験や実証を超越したものである。(2)自然的世界は数学化できる。イデアとしての秩序を自然がもつからである。(3)思想とは、時間の経過につれてイデアという最重要の秩序世界の認識に辿りつく過程のものである。(4)思想は、混沌の世界から明晰な世界へと進展するものである。

 つまり、人間の経験的世界を超越したイデアという秩序、イデアという真理を科学的に認識すること、これが哲学の課題である。これが、プラトンのエッセンスである。

 見られるように、コイレのプラトンのエッセンス論がいかに新古典派的経済学の世界に極似していることか。

 今回も、あまりにも深くて、なかなか読み取ることができない、いいだもも氏の、スケールの大きい諸説を、私なりに咀嚼しようと試みた。そうした試みが終わった後、私はおずおずと自説を展開する所存である。しばらくは、いいだもも氏にくらいついておりたい。読者諸氏のいましばしのご寛容を乞う。