ふと気がつけば……、信じられないことだけれど今年63歳になる。
うそだ〜!って感じだ。だって、40代の頃って「60過ぎたらおばあさんだなあ」って思っていた。大正生まれだった母が60代の頃ほんとにおばあさんだったからだ。なんかさ、ちりちりのパーマをかけていて、安いヘアダイで髪も痛んでいて、顔もしみだらけだったし……。
母が「歯がガタガタになった」とか「指先がしびれる」とか「心臓がバクバクして眠れない」と訴えていたけれど、若かった私は「大丈夫?」と口ばっかりの同情をして、さっぱり母のしんどさを理解しなかった。というか、出来なかった。想像できなかった。
最近、なにかにつけて「体力がなくなったな」と感じる。そりゃあ、有り余るくらいに体力があった昔に比べたら当然だよ。「飲みすぎると翌朝、指がしびれるなあ」「遅くまで仕事をすると眠れない……」なにより、寝ないと使い物にならない、夜遊びがしんどい。えっ?この私が、12時以降は起きているのが辛いなんて。
真夜中から遊びに行っていたじゃん!いまなんか、夜の繁華街に行きたいとも思わない。家でとっとと寝たい。なるほど、これが年を取るということか!
欲望もずいぶん小さくなった。「物が増えると家が狭くなる」「捨てるのがたいへんだから」「たくさん食べると胃がもたれる」「家で食べるごはんが一番落ち着く」「旅行に行くのもめんどくさい」「バーベキューなんか一生分やったからもういい」って思う。
家に居る時間がないほど仕事で旅をしたから、できれば地元でのんびりしたいと思うに至る。その分、家仕事が好きになった。野菜栽培、洋裁、ペンキ塗、家の模様替えや、ご近所とのささやかなつきあい……。かつて外向きで仕事をしていた時はできなかったことばかりだ。
人生っていうのは「やらなかったことをやる」ように出来ているのかな。それが人生のバランスってものなのか。
私の誕生日は10月3日で、偶然だけれど佐藤初女さんと同じ日だ。誕生日が同じと知った時、初女さんは「あらまあ!」と、とっても喜んでくれた。私もなにか不思議なご縁を感じた。初女さんと出会った頃、つまり私の人生で一番忙しかった頃、1週間のほとんどが外食だったし、月の半分以上が旅だった。家にいる時は閉じこもってひたすら原稿を書いていた。
そういう自分が60を過ぎてから、野菜を育てたり、服を縫ったり、そんな生活をするようになるとは驚きだ。初女さんもびっくりしているだろうな。
初女さんは70歳の時に「森のイスキア」を建てて、孤独な人や悩みを抱えた人と共に在る場をつくった。40代だった私は「70歳でイスキアを始めるなんてすごいなあ」と思った。あれから20年が過ぎたいま、40代だった時以上に「70歳でイスキアを始めるなんて本当にすごい」と思う。
いつでも誰かの電話に出れるとか、いつでも誰かのために台所に立って料理をつくれるとか、それって、自分の疲れとか、だるさとか、眠さとか、そういう身体のしんどさを脇に置くってことだから。初女さんはいつだって、疲れもしんどさも、微塵も顔に出したことがなかった。言葉に出したこともなかった。
私はよく初女さんに聞いた。「初女さんだって、疲れたり、苦しかったりすることがあるでしょう? もう人の話を聞くのなんかうんざりだって思ったりすることもあるでしょう?」
今、考えたら失礼なことをよく言ったものだ。そういう時、初女さんは(さあて、どうだったかしら?)みたいな顔をして、答えない。
「わたしは、めんどくさいと思うことがきらいなんです」と、よくおっしゃった。
「めんどくさいことがきらい」ではなく「めんどくさいと思うことがきらい」この違いを、あまり考えたことがなかったけれど、ぜんぜん違うよね。めんどくさいって思う気持ちには、覚悟がない。
世の中に、めんどくさいことは山ほどある。だけど、めんどくさいことに向き合うときに「めんどくせ〜」と思ってしまう心は、なんかやさぐれているなって、感じる。いやなら止めればいいのであって、やると決めたらしっかりとやるしかないのだ。
ねえ、初女さん。人生には限りがあるよね。人は永遠に生きられるわけじゃない。初女さんが70歳で「森のイスキア」を始めた時、きっといつかそれが終わる日が来ることは予感していたと思うんだ。
限りある日々を生きているのに「めんどくせー」なんて、だらだらするようなやさぐれた時間を過ごしたくないって、私も思うようになりました。休みたいなら休む、やるならやる。めんどくさいと思う気持ちはどっちつかずだもの。そんな気持ちで時間を、たいせつな限りあるこの人生を、過ごしたくないって、思うようになった。
初女さんにとっては、ほんとうに大事な1分1秒だったんだろうなって、その時間を共に過ごしてくれていたんだなって思うようになった。
どんな気持ちでこの瞬間瞬間を、このささやかだけれど大事な時間を生きたらいいのか……そう考えたら、祈りって言葉が立ち上がってきた。
誰にとっても平等に大切な時間がいまここに現れて消えていく。その真実のなかに無言に立ち上がって来るものが、祈り……。でも、もしかして70歳まで生きたら違うものが見えるのかもしれない。
初女さんが見ていたものを、私もいつか見れるかな。
初女さんが感じていたことを、少しでも伝えることができるかな。
できるといいな。
おむすびと祈り。毎年初女さんの誕生日に開催しています。
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