~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

お月さまがついて来る

2022-09-13 23:02:25 | 日記

中秋の名月の美しさに

心奪われました。

ふと、長男が小さかった頃

「お母さん、お月さまがオラの

後をついて来る」と、言って

走り回っていた姿を思い出し

ました。

私はあの時、かわいいな~と

目を細めて子供の姿を見ていた

気がします。

何と同じようなことが新聞に

書いてありました。

元早稲田大学教授の理科教育が

専門だった露木和男先生の

お子さんが、お月さまが

ついて来ることに気づいた時

お母さんが(露木先生の奥さん)

「月はともちゃんが好き

なんだよ」と答え、お月さまが

お母さんとともちゃんと

どちらについて来るか確かめて

みようと、お月さまに背を向け

歩きだしたら、お子さんが

「こっちに来たよ」と言ったら

お母さんが「ああやっぱり

お月さまはともちゃんが好き

なんだ」と言われたそうです。

何て素敵なお母さんでしょう。

露木先生の教育の原点は

理解第一ではなく、子供の

気持ちに寄り添うことだった

そうです。

子供の頃、誰もが一度は

お月さまが自分について来る

この不思議に出会って

いるのではないでしょうか。

そういう時に、心寄り添う

言葉が掛けられていたらな~

「お月さまがオラのあとを

ついて来る」と言って

走り回った息子の姿は

今となっては、息子からの

贈り物のような気がします。

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ご飯炊きは修練~佐藤初女

2022-09-12 23:33:30 | 日記

10月3日の『おむすび&祈り

初女お母さんから娘たちへ』

の集いが迫って来ました。

キャンセル待ちの方も

いらっしゃいます。

何だかドキドキします。

初女さんが、おむすび講習会

をやっていたお宿で私が

やらせて頂くのですから…

今、心してご飯を炊いてます

初女さんはご飯炊きは、毎日の

修練です!と言われてました。

そして、初女さんでもお釜の

蓋を開ける時、毎回ドキドキ

しますと語ってました。

ご飯炊きの奥の深さに、唸って

しまいます。

初女さんは、美味しい

おむすびが作れたらそれは

一つの財産です!と言われて

ました。

講習会に向けて心してご飯を

炊き、おむすびを結んでいこう

 

人に接する時は

その人がいちばん望んで

いることはなんだろう

と考えますが、ご飯を炊く

ときも同じです。

そのお米にいちばん合った

水加減にしたいから

炊飯器の目盛りには頼りません

水に浸したお米を手に取り

じーっと観察していれば

お米が望む水加減がわかって

きます。

       佐藤 初女

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初女さんとの出会い

2022-09-10 20:44:03 | 日記

今日は中秋の名月

お月さまを見ると、宇宙を

感じます。

満月に手を合わせ、

「有難うございます」って

言ってました。

息子が亡くなって数年は、

夏から秋に空気が変わるだけで

涙が溢れていました。

秋風の心地よさも名月の

美しさも息子の亡くなった

秋という季節に繋がって

私には唯辛い季節となって

いました。

風を感じると、見えないけれど

風は吹いている、息子は

見えないけれどいるんだ!

人は大きすぎても

小さ過ぎても見えない

だから息子は見えないだけ…

と、必死で自分を納得させ

ようとしてました。

死が分からなければ一歩も

進めない気がして…

福井県の禅寺に老師を訪ねたり

キリスト教の牧師に手紙を

書いたり…

ハワイ島へ行ったり…

死んだら人間はどこへ

行くのかの答えを求め続けて

いました。

老師は「お母さんといつも

一緒にいます」と語ってくれ

牧師は聖句を記し送って

くれました。

でも、息子の姿かたちを

追い求めていた私には

どの言葉も通り過ぎて

行きました。

初女さんに出会った時、

初女さんは1年前に最愛の

息子さんを亡くされて

いました。

やはり突然の死で…

初女さんは、私にご自分の

ことは何も言わず、私の話を

じっと聴いて下さり、私が息子

リレーの後になぜか心臓が

止まってしまったんですと、

写真を渡すと、長いこと写真を

見ていた初女さんが

「まだ、お若いのに」

言われ、初女さんの頬を

一筋の涙が流れたのを見た時、

私は今まで抱えて来た悲しみも

苦しみもすべて受けとめて

貰えたと思ったのです。

その時から、私はいつの日か

息子の死を感謝を持って

受け容れられる日が来ると

確信したのです。

何の根拠もない確信でしたが

イスキアから帰る新幹線を

追いかけるように大きな虹が

かかったのを見た時、息子の

祝福を感じました。

初女さんと初めてお会いした時

「あなたとは普通のご縁じゃ

ないわね。」と言われました。

そして、初女さんと最後に

お会いした時「直さんとは

深いところで繋がって

いるからね」と言われました。

息子の生も死も与えられた

ものだと思えます。

今はすべてが感謝です。

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初女さんの”食はいのち”

2022-09-09 22:44:32 | 日記

このところ頻繁に初女さんの

人参のくるみ白和えを作って

います。

今朝も作りました。

初女さんの味に近づきたいと

思うのですが…

まだまだ全然です。

初女さんは、食べた人が

涙をながすような料理を

作りたいって言ってました。

初女さんが、調理しているは

あまりの真剣さに、声も

かけられませんでした。

初女さんは、生涯をかけて

”食はいのち”を伝えて

いましたね。

食はいのち。

食材もまたいのち。

食は生活の基本です。

心が苦しみで詰まっている人は

なかなか食べることが

できません。

それでもひとくち、ふたくちと

食べ進み”おいしい”と

感じたとき、生きる力が

湧いてきます。

おなかが満たされると、

心の扉が開くのです。

自然に感謝の気持ちも

湧いてきて

人になにかしてさしあげたく

なってきます。

食をおろそかにすると生活が

乱れてすべてのいのちに鈍感に

なります。

食を大切にする人は、

人をも大切にします。

    佐藤 初女

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おおたか清流さん

2022-09-07 21:55:34 | 日記

おおたか清流さんが

亡くなられました。

私は、お会いしたことが

ないのですが、交流のあった

方々は、大きなショックを

受けているので、どんなにか

素敵な方だったんだろうな~

お会いしたかったと思って

います。

清流さんのおじいさんは

貧乏な絵師でろうあ者だった

そうです。

清流さんは父親から

「話せない者の代わりに話せ

動けない者の代わりに動け」と

教わったそうです。

そのことが清流さんの根っこに

あったのではないでしょうか…

友達がアップしていた

清流さん”いとなみのうた”

心に沁みます。

いとなみのうた おおたか静流 Sizzle Ohtaka

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今朝の空に思う

2022-09-06 23:58:39 | 日記

気がつけば、暑さの中に秋の

気配が…

今朝、空を見上げると何とも

不思議な雲が空の至る所に

あるのです。

これって宇宙からのメッセージ

かしら?と思ってしまいました。

宇宙から見たら、人間と言う

生きものは、自分たちで

殺し合い、生きる環境を悪く

している。

生物多様性の地球という星に

生きているのに、何と愚かな

生きものであろう…

こんな風に見られているかも

しれません。

叡智を授かった筈の人間が…

宇宙は愛だといいます。

この奇跡の星、地球を

私たちは、もっともっと

愛し、慈しまなければ…

宇宙からのメッセージに

気づかなければ、私たちは

地球に生きられなくなる日が

来るかもしれません。

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何の為に生まれてきたか

2022-09-03 22:22:40 | 日記

朝の坐りの前に、何気なく

スマホを取ってFacebookを

見たら、ランディさんの投稿

目に飛び込んできました。

初女さんのことを書いた文章

でした。

初女さんが何度も言われていた

ことが書いてあったのに、心に

直撃を受けたような感じでした。

その後、坐ったらなぜか涙が

ぽろぽろ溢れてきて止まらなく

なりました。

そして、次に来たのが

私は魂を成長させる為に

生まれてきたんだ!

私に巡って来る全てのことは

魂の成長の為なんだ。

辛い体験は、より成長させて

くれるんだ!と言葉が来るの

です。

人が死んで持って行けるのは、

だけだと聞いたことがあり

ます。

限りある人生、魂の成長の為に

生まれて来たんだと、心の底

から思えました。

意識より先に体が反応し

それが止まらぬ涙となったの

です。

初女さんとランディさんの

浄めの雨に打たれたようでした

初女さん、ランディさん

有難うございます!

この衝撃を私は忘れません。


ランディさんのFacebookより

ふと気がつけば……、信じられないことだけれど今年63歳になる。
うそだ〜!って感じだ。だって、40代の頃って「60過ぎたらおばあさんだなあ」って思っていた。大正生まれだった母が60代の頃ほんとにおばあさんだったからだ。なんかさ、ちりちりのパーマをかけていて、安いヘアダイで髪も痛んでいて、顔もしみだらけだったし……。
母が「歯がガタガタになった」とか「指先がしびれる」とか「心臓がバクバクして眠れない」と訴えていたけれど、若かった私は「大丈夫?」と口ばっかりの同情をして、さっぱり母のしんどさを理解しなかった。というか、出来なかった。想像できなかった。
最近、なにかにつけて「体力がなくなったな」と感じる。そりゃあ、有り余るくらいに体力があった昔に比べたら当然だよ。「飲みすぎると翌朝、指がしびれるなあ」「遅くまで仕事をすると眠れない……」なにより、寝ないと使い物にならない、夜遊びがしんどい。えっ?この私が、12時以降は起きているのが辛いなんて。
真夜中から遊びに行っていたじゃん!いまなんか、夜の繁華街に行きたいとも思わない。家でとっとと寝たい。なるほど、これが年を取るということか!
欲望もずいぶん小さくなった。「物が増えると家が狭くなる」「捨てるのがたいへんだから」「たくさん食べると胃がもたれる」「家で食べるごはんが一番落ち着く」「旅行に行くのもめんどくさい」「バーベキューなんか一生分やったからもういい」って思う。
家に居る時間がないほど仕事で旅をしたから、できれば地元でのんびりしたいと思うに至る。その分、家仕事が好きになった。野菜栽培、洋裁、ペンキ塗、家の模様替えや、ご近所とのささやかなつきあい……。かつて外向きで仕事をしていた時はできなかったことばかりだ。
人生っていうのは「やらなかったことをやる」ように出来ているのかな。それが人生のバランスってものなのか。
私の誕生日は10月3日で、偶然だけれど佐藤初女さんと同じ日だ。誕生日が同じと知った時、初女さんは「あらまあ!」と、とっても喜んでくれた。私もなにか不思議なご縁を感じた。初女さんと出会った頃、つまり私の人生で一番忙しかった頃、1週間のほとんどが外食だったし、月の半分以上が旅だった。家にいる時は閉じこもってひたすら原稿を書いていた。
そういう自分が60を過ぎてから、野菜を育てたり、服を縫ったり、そんな生活をするようになるとは驚きだ。初女さんもびっくりしているだろうな。
初女さんは70歳の時に「森のイスキア」を建てて、孤独な人や悩みを抱えた人と共に在る場をつくった。40代だった私は「70歳でイスキアを始めるなんてすごいなあ」と思った。あれから20年が過ぎたいま、40代だった時以上に「70歳でイスキアを始めるなんて本当にすごい」と思う。
いつでも誰かの電話に出れるとか、いつでも誰かのために台所に立って料理をつくれるとか、それって、自分の疲れとか、だるさとか、眠さとか、そういう身体のしんどさを脇に置くってことだから。初女さんはいつだって、疲れもしんどさも、微塵も顔に出したことがなかった。言葉に出したこともなかった。
私はよく初女さんに聞いた。「初女さんだって、疲れたり、苦しかったりすることがあるでしょう? もう人の話を聞くのなんかうんざりだって思ったりすることもあるでしょう?」
今、考えたら失礼なことをよく言ったものだ。そういう時、初女さんは(さあて、どうだったかしら?)みたいな顔をして、答えない。
「わたしは、めんどくさいと思うことがきらいなんです」と、よくおっしゃった。
「めんどくさいことがきらい」ではなく「めんどくさいと思うことがきらい」この違いを、あまり考えたことがなかったけれど、ぜんぜん違うよね。めんどくさいって思う気持ちには、覚悟がない。
世の中に、めんどくさいことは山ほどある。だけど、めんどくさいことに向き合うときに「めんどくせ〜」と思ってしまう心は、なんかやさぐれているなって、感じる。いやなら止めればいいのであって、やると決めたらしっかりとやるしかないのだ。
ねえ、初女さん。人生には限りがあるよね。人は永遠に生きられるわけじゃない。初女さんが70歳で「森のイスキア」を始めた時、きっといつかそれが終わる日が来ることは予感していたと思うんだ。
限りある日々を生きているのに「めんどくせー」なんて、だらだらするようなやさぐれた時間を過ごしたくないって、私も思うようになりました。休みたいなら休む、やるならやる。めんどくさいと思う気持ちはどっちつかずだもの。そんな気持ちで時間を、たいせつな限りあるこの人生を、過ごしたくないって、思うようになった。
初女さんにとっては、ほんとうに大事な1分1秒だったんだろうなって、その時間を共に過ごしてくれていたんだなって思うようになった。
どんな気持ちでこの瞬間瞬間を、このささやかだけれど大事な時間を生きたらいいのか……そう考えたら、祈りって言葉が立ち上がってきた。
誰にとっても平等に大切な時間がいまここに現れて消えていく。その真実のなかに無言に立ち上がって来るものが、祈り……。でも、もしかして70歳まで生きたら違うものが見えるのかもしれない。
初女さんが見ていたものを、私もいつか見れるかな。
初女さんが感じていたことを、少しでも伝えることができるかな。
できるといいな。
おむすびと祈り。毎年初女さんの誕生日に開催しています。
詳細はこちらからどうぞ。
"
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初女さんのお料理

2022-09-01 23:34:33 | 日記

今日は、9月1日

1日は初女さんの月命日

なので、森のイスキアの定番の

人参のくるみ白和えと

カボチャのスープを作りました

人参を湯がくのですが、まだ

硬いのでは?と思えるところで

火を止め、余熱で丁度良く

するのです。

この加減がさすが初女さん

なんです。

私も何度か作るうちに、

うっすらと、この加減が

分かってきましたが、

何が違うかと言うと、くるみ

なんです。

初女さんは、日本のくるみを

使っていたのです。

私は、スーパーで売ってる

お菓子用のカルフォルニア産

のクルミ。

この決定的な違いで、

初女さんの人参の白和えに

近づけないのです。

イスキアへ行くと、ペンチの

ようなクルミ割りを使って

クルミを割っていました。

何て手を掛けるのだろう?

と思いましたが、自分で

作ってみて日本のクルミじゃ

なければ、あの味が出せない

ことが分かりました。

初女さんは、スープを作るのも

ミキサーは使わず、すり鉢で

滑らかにします。

私もミキサーを使った時と

味を比べたら、すり鉢の方が

甘みが出て、断然美味しいの

です。

すり鉢でなめらかにして、

さらに裏ごししました。

初女さんのお料理は、どこま

手をかけています。

ポテトサラダに入れる玉ねぎの

薄皮まで取るのです。

そうすると、味がまろやかに

なるのです。

初女さんは、手を掛けた

分だけ、必ず美味しくなる!

と、確信を持って言われて

ました。

カボチャのスープを口にした

夫が、思わず「美味しい」と

呟いたのです。

初女さんのお料理は、見た目は

地味ですが、体が喜ぶ美味しさ

なんですよね。

あ~初女さんにもっとお料理を

聞いておけばよかった~

これからは、初女さんが遺して

下さったレシピで修練します。

初女さん、言ってましたよね。

心をかけることは

手をかけること

手を掛けることは

時間を掛けることって

そして、美味しいが心の扉を

開くと…

頑張ります!

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