今日は中秋の名月
お月さまを見ると、宇宙を
感じます。
満月に手を合わせ、
「有難うございます」って
言ってました。
息子が亡くなって数年は、
夏から秋に空気が変わるだけで
涙が溢れていました。
秋風の心地よさも名月の
美しさも息子の亡くなった
秋という季節に繋がって
私には唯辛い季節となって
いました。
風を感じると、見えないけれど
風は吹いている、息子は
見えないけれどいるんだ!
人は大きすぎても
小さ過ぎても見えない
だから息子は見えないだけ…
と、必死で自分を納得させ
ようとしてました。
死が分からなければ一歩も
進めない気がして…
福井県の禅寺に老師を訪ねたり
キリスト教の牧師に手紙を
書いたり…
ハワイ島へ行ったり…
死んだら人間はどこへ
行くのかの答えを求め続けて
いました。
老師は「お母さんといつも
一緒にいます」と語ってくれ
牧師は聖句を記し送って
くれました。
でも、息子の姿かたちを
追い求めていた私には
どの言葉も通り過ぎて
行きました。
初女さんに出会った時、
初女さんは1年前に最愛の
息子さんを亡くされて
いました。
やはり突然の死で…
初女さんは、私にご自分の
ことは何も言わず、私の話を
じっと聴いて下さり、私が息子
がリレーの後になぜか心臓が
止まってしまったんですと、
写真を渡すと、長いこと写真を
見ていた初女さんが
「まだ、お若いのに」と
言われ、初女さんの頬を
一筋の涙が流れたのを見た時、
私は今まで抱えて来た悲しみも
苦しみもすべて受けとめて
貰えたと思ったのです。
その時から、私はいつの日か
息子の死を感謝を持って
受け容れられる日が来ると
確信したのです。
何の根拠もない確信でしたが
イスキアから帰る新幹線を
追いかけるように大きな虹が
かかったのを見た時、息子の
祝福を感じました。
初女さんと初めてお会いした時
「あなたとは普通のご縁じゃ
ないわね。」と言われました。
そして、初女さんと最後に
お会いした時「直さんとは
深いところで繋がって
いるからね」と言われました。
息子の生も死も与えられた
ものだと思えます。
今はすべてが感謝です。