大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

「国際地籍シンポジウム」

2018-11-18 20:50:12 | 日記


今週、福岡で「国際地籍シンポジウム」が福岡で開催される、ということで、私も出席(聴講)する予定でいます。
この「国際地籍シンポジウム」は、日調連が「日本代表」として参加して今年は「当番国」として「主催」するものですが、日調連の総会や全国会長会議の議事録などを見ると、はなはだ否定的な意見が多く出されているもので、その意味であまり評判の芳しからぬもの、と言うべきものなのでしょう。
しかし、それらの場で言われている否定的な意見を見ると、その見識の低さ(「下劣さ」とも言いたいところです)に驚かされます。
たとえば、今年の日調連総会の議事録を見ると、次のような「意見」が出されています。
「十数年前から私は同じことを申し上げておりますけれども、台湾と韓国から何を学ぶことがあるのか。彼らからの発表を受けて我々日調連、それから土地家屋調査士、当時は1万8000人、現在は1万6600人がその国際地籍シンポジウムの成果によって何かプラスになったことがあるか、具体的に一つでも・・言ってみてください。」
「国際地籍シンポジウムに2000万投ずるのであれば、是非とも空き家問題とかブロック塀がどうだとか、これを全国の1万6000人の会員に、例えば、出張旅費を出して、それぞれの調査を我々土地家屋調査士がやったらどうですか。」
「韓国人と台湾人の通訳に250万円使う。予算書を見てください。事業を行っていく上においてはこのお金を他に回すべきじゃないですか。」
・・・というような「意見」です(同じ人のものですが)。

「台湾と韓国から何を学ぶことがあるのか」とか「韓国人と台湾人の通訳に」とかの発言の背後には、旧宗主国民としての差別意識も感じられ、そこに「下劣さ」を感じずにはいられないのですが、それはさておき、あまりにも短期的・直接的なものの考え方に驚かされます。
そもそも、日調連のような全国組織が行う一つ一つの施策が、「1万6600人の土地家屋調査士」に直接的に「何かプラスにな」ることなど、まず「ない」と思うべきです。
そもそも、日調連の施策を行うべきかどうかの判断基準を、「1万6600人の土地家屋調査士に何かプラスになるかどうか」ということに置くこと自体が間違っています。
もしも問うのであれば、「国際地籍シンポジウムは、日本の不動産登記制度(地籍制度、土地政策等々)に役立っているのか」というように課題設定するべきです。この問いに答えられないのであれば「やめるべき」ということになるのでしょうが、そうではなく「土地家屋調査士」という「1万6600人」程度の人数の一職種にとっての利益だけを考えるようでは、その「1万6600人」は社会にとって有用なものではないものとして、見捨てられ切り捨てられていくしかない、と言うべきでしょう。
日調連が「国際地籍シンポジウムに2000万投ずる」ことを問題にしていますが、もしもそのように「2000万」等の金額を問題にするのであれば、問題にするべき使途は他にもたくさんあるのであり、その中で殊更に「国際地籍シンポジウム」を槍玉に挙げるのは、土地家屋調査士の目を「世界」にではなく、身内の細かい利益に向けさせたいが故のことのようにしか思えません。「空き家問題とかブロック塀」に取り組むのであれば、何も「国際地籍シンポジウム」から持ってもなくても他の財源を見出して取り組めばいいだけの話です。

その上で、「台湾と韓国から何を学ぶことがあるのか」と言うと、実にいろいろなことを「具体的」にあげることはできるでしょう。日本の植民地支配下で「地籍制度」の原型をつくりながら、戦後日本とは全く違った形での「地籍制度」を創っていった韓国・台湾からは、さまざまなことを「学ぶ」ことができるはずです。その気さえあれば。
それは、「土地家屋調査士が」というような狭い了見からのことではなく、「不動産登記制度が」、「地籍制度が」、「土地政策が」と言ったようなことです。
この「国際地籍シンポジウム」を開催し、韓国・台湾における参加機関との関係を保持しているとことが、「1万6600人の土地家屋調査士」のために直接的に利益を与えるものではないとしても、「不動産登記制度」等に役立つところがあるのだとすれば、それはまわりまわって土地家屋調査士の役にもたつ、ということになる、と考えるべきなのです(現に、その狭い了見での話に付き合えば、そのような「現実的効果」もあることは見ておくべきことです)。

だから問われるべきは「不動産登記制度」等社会的に有意義かどうか?ということです。そして、おそらくはどんな学会などにしても、その開催が「直接的」に何かの役に立つ、ということはあまりないはずです。そんな風に直接的・短期的にではなく、長期的に考えるべきなのです。

もちろん、現在の「国際地籍シンポジウム」が、このような長期的な観点から本当に有意義なものとしてあるのかどうか?ということについては、それとして考えるべきところがあるかもしれません(あるでしょう)。形骸化していて、それぞれの参加国の問題意識にずれが生じていて、長期的に考えてもあまり意味のないものになってしまっているのではないか、というような問題というのは確かに考えるべきこととしてあるようには思えます。
しかしそれは、あくまでもそのような問題なのであって、「土地家屋調査士にプラスになっているのか」というようなケチな話ではありません。

そのような事を考えつつ、今週福岡での「国際地籍シンポジウム」に参加してみて、見極め、考えていきたいと思っています。

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