初めに「余談」。「ポケモンGO」について、わからない・・・。
こんなことが世間の大関心事になる、というのは、「平和」だなぁ、と思います。でも、世界は、本書が示しているようにけっして平和ではなく、むしろ「動乱」「戦争」に近づいているようです。その「危機」と表面的な「平和」のコントラストって何なんだ?と思ってしまいます。「テロの脅威」が喧伝され、インタビューを受ければ「テロが怖いです」と言う人々が、「ポケモンがいる」と言われる所に殺到していく、っていうのは何なんだろう?この程度のもので、いともたやすく大衆が動員されて、一定の方向に向かって進まされる、と言う姿は、やっぱり「平和」ととらえるべきものなのではなく、恐ろしい事なのかと思えます。
さて本題。
まずは、本書は、世界の各地で動いている「現実」を知ることができるもので、勉強になりました。
「1.ポスト冷戦の終わり、甦るナショナリズム」「2.ISを排除しても中東情勢は安定しない」「3.中央アジアは「第4次グレートゲーム」の主戦場」「4.「国境のない欧州」という理想はテロで崩れるか」「5.トランプ減少に襲われたアメリカの光と闇」「6.中国こそが「戦後レジームの挑戦者」だ」「7.「ダークサイド」に墜ちるなかれ、日本」・・・・の各章からなる本書は、最近の世界情勢について、全く知らなかったことを教えてくれるもので、勉強になります。
これらは、とにかく「事実」をめぐることなので、著者たちのような「専門家」から教えてもらえるのはありがたいことです。
ただし、「事実」と言っても、なまの事実のすべてが伝えられるわけではなく、それを伝える人の認識と言うフィルターを通ったものである、というのは当然のことです。そういうところから、時には眉に唾をつけて聞かなければならないこともありますし、その「認識」の上での行動指針的なことにいたっては、さらにそのまま真に受けるわけにはいかないことになります。
著者らの世界情勢への認識は一言で言うと、”世界は危機に直面している”ということになるのだと思います。世界のあらゆるところで自分の利益のことしか考えない悪い奴らが角突き合わせていて、その矛盾はすごい速度で亢進して行っている、ということが、さまざまな「事実」として伝えられます。なるほど日本の「平和」な窓から見ているだけでは、世界は理解できないのか、と思わされるようなことばかりです。こういうことを「知る」というのは、まずは大事なことなのでしょう。
しかし、そのように「世界」を見ている著者たちの、「日本」に関する分析や方針を聞かされると、それまで「なるほど」と思わされたことを含めて「本当かな?」という気分になります。たとえば
・・・ということで、あまり納得のいかない部分もおおくあるものですが、ひとつの知識として考えれば、それを得ることは有意義なことでしょう。
たとえば、、次のような指摘は私たちの業務とのかかわりで捉えることのできるものです。
こんなことが世間の大関心事になる、というのは、「平和」だなぁ、と思います。でも、世界は、本書が示しているようにけっして平和ではなく、むしろ「動乱」「戦争」に近づいているようです。その「危機」と表面的な「平和」のコントラストって何なんだ?と思ってしまいます。「テロの脅威」が喧伝され、インタビューを受ければ「テロが怖いです」と言う人々が、「ポケモンがいる」と言われる所に殺到していく、っていうのは何なんだろう?この程度のもので、いともたやすく大衆が動員されて、一定の方向に向かって進まされる、と言う姿は、やっぱり「平和」ととらえるべきものなのではなく、恐ろしい事なのかと思えます。
さて本題。
まずは、本書は、世界の各地で動いている「現実」を知ることができるもので、勉強になりました。
「1.ポスト冷戦の終わり、甦るナショナリズム」「2.ISを排除しても中東情勢は安定しない」「3.中央アジアは「第4次グレートゲーム」の主戦場」「4.「国境のない欧州」という理想はテロで崩れるか」「5.トランプ減少に襲われたアメリカの光と闇」「6.中国こそが「戦後レジームの挑戦者」だ」「7.「ダークサイド」に墜ちるなかれ、日本」・・・・の各章からなる本書は、最近の世界情勢について、全く知らなかったことを教えてくれるもので、勉強になります。
これらは、とにかく「事実」をめぐることなので、著者たちのような「専門家」から教えてもらえるのはありがたいことです。
ただし、「事実」と言っても、なまの事実のすべてが伝えられるわけではなく、それを伝える人の認識と言うフィルターを通ったものである、というのは当然のことです。そういうところから、時には眉に唾をつけて聞かなければならないこともありますし、その「認識」の上での行動指針的なことにいたっては、さらにそのまま真に受けるわけにはいかないことになります。
著者らの世界情勢への認識は一言で言うと、”世界は危機に直面している”ということになるのだと思います。世界のあらゆるところで自分の利益のことしか考えない悪い奴らが角突き合わせていて、その矛盾はすごい速度で亢進して行っている、ということが、さまざまな「事実」として伝えられます。なるほど日本の「平和」な窓から見ているだけでは、世界は理解できないのか、と思わされるようなことばかりです。こういうことを「知る」というのは、まずは大事なことなのでしょう。
しかし、そのように「世界」を見ている著者たちの、「日本」に関する分析や方針を聞かされると、それまで「なるほど」と思わされたことを含めて「本当かな?」という気分になります。たとえば
「社会の分断を阻止する発想からすれば、奨学金をもらえる人に対するもらえない人の反発が強まる給付奨学金制度はデメリットが大きい。しかも貧困層に限って給付するとなれば、富裕層が反発し、貧困のレッテルを貼られた受給者が差別されかねない。消費金額の多い富裕層なども恩恵にあずかる軽減税率の方が、全階層の反発が少ないと私は思います。」(佐藤優)
などと言うわけですが、すでに「社会の分断」すなわち富裕層はますます富み、貧困層はますます窮迫していくことが現実に大きな問題だと認識され、それへの対策が根本的に求められている、という今日に、こんなのどかな処方箋しか書かない、というのは、それ自身として国民を欺くもののように思えてしまいます。・・・ということで、あまり納得のいかない部分もおおくあるものですが、ひとつの知識として考えれば、それを得ることは有意義なことでしょう。
たとえば、、次のような指摘は私たちの業務とのかかわりで捉えることのできるものです。
「国境を線で規定すること自体、近代欧州で生まれたここ百五十年程度の思想です。事実、日ロ通好条約(1855年)では千島列島の択捉島と得撫島のあいだ、つまり会場に国境線がひかれる一方、陸地の樺太ではこれまでどおり、両国民が自由に行き来可能な雑居地として、明確な国境線は定められなかった。緩衝地帯(バッファー)として機能する『面』の国境です。」(佐藤優)
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