大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

日調連総会の日に

2016-06-21 18:20:12 | 日記
今日明日と日調連の総会が開かれています。
私自身は出席していないのですが、総会の機会なので、私としても「日調連」について考える機会にして、書くことにします。

私は、日調連の役員をしていた時期もその前の時期も含めて、「日調連(土地家屋調査士会)の自立」の実現・確立、ということを主張してきました。
このような主張をする底には、「現状としては自立していない」という現状認識がある、ということになります。「自立していない」ということは、別の言い方をすれば「従属している」「依存している」ということになります。
こう言うと、「大げさでしょ?」「ちょっと言いすぎなんじゃない?」と思われるかもしれませんが、まずは、現状を直視することが必要です。

たとえば、登記事務の取り扱いについて変更がある場合、日調連から全国各会への連絡・報告の文書が出されます。その際には、事前に変更内容についての協議が行われていたり、少なくとも変更についての内容説明を受けていたりするわけですから、日調連はそこでの自らの理解に基づいて連絡・報告の文書を作成して、全国各会向けに発出すればいい、ということになるはずです。このような場合、法務省においても全国の法務局・地方法務局宛に連絡の文書を出すので、それについての連絡を受けている場合には、その文書についても併せて送る、ということはあるにしろ、自分の組織の文書は、自分で作って自分で出せばいいはずのものです。
ところが、なかなか素直にそのようにはいかないものとしての実情があります。自分の組織で自分の傘下組織に文書を出すにあたっても、あらためて「法務省のスクリーンを通してから」として自発的に「検閲」を求めるようなことが現実に行われています。そうすることが当たり前のことだと考える「心性」が広くあるのですね。
また、そうやって「検閲」を求められれば、それなりの「赤」が入って帰ってくるようになります。それは、「てにをは」レベルのこともありますし、修正されることによって確かに文章として洗練されたものになるというようなこともありますが、そのようなものをそのまま受け入れる、ということは本来的にはけっして必須なものと言うべきものではないでしょう。
また、「てにをは」レベルの話なら「プライドの問題」程度のことでもいいのですが、そのような文書においては、考え方やスタンスの違いが、ひとつの用語の使い方によって現れる、ということ、ひとつの用語をどう使うかによって方向性の違いが際立つ、という場合もあります。

たとえば、昨年の4月に「資格者代理人がするオンラインによる表示に関する登記の申請又は嘱託における法定外添付情報の原本提示の省略に係る取扱いについて」の文書がだされた、ということがあるのですが、その文書について。
この文書では、「法定外添付情報の原本提示」に関する取扱が変わったことが連絡されるわけですが、何がどう変わって、それは将来へ向けてどのような意義があるのか、ということについては、とらえかたにいくらかの幅があります。
私には、その幅が「省略」という言葉一つに集約してあらわれている、と思えます。「省略」という用語は、ここでは適切ではないように思えるのです。
「省略」する、と言っている対象は「法定外添付情報」です。「法定外」ということは、そもそも添付することが法定されているわけではない、ということです。法の定めからすると添付することが必須であるわけではないけれど、実務の運用上は添付するものとしての取り扱いがなされていた、ということです。そのようなものについて添付を必要としないことにすることを、「省略」という言葉を使って表現するというのは、正しくない(正確でないし、方向性としてよろしくない)ように思えるのです。それまで添付することが必要だとされていたのであれば、それ(の原本提示)をなくすことは「省略」と言うべきものでしょうが、実務的な運用で行っているに過ぎないものについて「省略」というのは、私にはちょっと違うのではないか、と思えます。せいぜい「必要としない取り扱い」とか「不要とする取り扱い」という言い方にしておかないと、今後追求していくべき「法定添付情報の原本提示省略」という課題があいまいになってしまうのではないか、と思えるのです。たかが一語、されど一語、ですね。
そこで、「法定外添付情報の原本提示を不要とする取扱い」という言い方をして文書をつくります。そのことへの内部での確認もできました。・・・ですので、そこで組織内文書を発出すればいいのだと思うのですが、そうはいかずにここでも「自発的検閲」を求めることになってしまいます。そして赤で「省略」とされて帰ってくると、それがそのまま「正式文書」になる、ということがなされてしまいます。あたりまえのように・・。

私は、このようなことをしている組織のありかたをもって「従属している」「依存している」状態にある、と言うべきなのだと思います。そして、その状態から脱け出して「自立」していかなければならない、のだと思っています。それは「人生観」の問題でもありますが、社会的な存在として生き残っていくために必要なことでもあると思います。・・・・これについては、また次に書くようにします。

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