だいぶ間が空いてしまいましたが、「連載」の「10」です。
1970年代以降、登記の場において「筆界資料の充実」のための施策がとられてきたと言えます。
それは、かつては土地所有者が自己の土地の限界についての確かな認識を持ち、それが「地域社会における土地区画の承認関係」の存在や、「土地の形質の不変性の継続」という条件に基礎づけられて隣接地所有者と一致するのが一般的であったわけですが、それらの条件が失われていく中で必ずしも以前と同じようにはいかなくなったことを受けての施策であったのだと言うことができます。
具体的には。
1977年に、 不登法施行細則を改正して改正―地積測量図への境界標の記載を必要化したこと
1993年に 不登法施行細則を改正して地積測量図への境界標及び近傍の恒久的地物との位置関係の記載を必要化したこと
2005年に 不登規則を改正し、筆界点の座標値、測量の基礎として基本三角点等の記載を必要化したこと
などです。これらは、分筆などによって創設した筆界を「地積測量図」という図面資料に表示するにあたって、現地にも標識を設置したり、近くの不動物との位置関係を表示することによって、後になっても明確になっている(現地に復元することができる)ようにするものであり、言わば爾後的には筆界資料をもって筆界は現地で特定されるようになる、という形をつくろうとしたものと言えるでしょう。
これは後で述べるような問題点を持ちつつも、大きな意義を持つものと言えます。1977年からすでに40年を経過しているわけであり、この間に数多くの分筆登記などが行われており(この10年の平均で年間130万個の土地について分筆登記が行われていますので、単純に計算して40年では5200万個の土地が分筆された土地だということになります)、それらについて「現地復元性」を持つ地積測量図が備え付けられている、ということになっている、ということは、大きな意味を持つのだと言えるわけです。
地積測量図を作成するにあたっての「筆界」の取り扱いについては、ただ「創設された筆界」についてだけではなく、「既存の筆界」についても変化してきたものと言えます。
昔は、既存の筆界についての「確認」などせずに言わば勝手に地積測量図の作成ができていたわけですが(と言うと「言い過ぎだ」と言われるかもしれませんが、現実的にも理論的にもそのように言っていいのだと思います)、そうではなく、隣接地との「確認」をしたうえで地積測量図を作成しなければならない、という取扱いに事実上なっていったわけです。
しかし、この取扱いには次の問題があります。それは、後で(次回以降)述べるように「筆界認識が希薄化する中で筆界認識に頼る方法をとる」ということ自体に孕まれる根本的な問題であるわけですが、さしあたりの実際上の問題として言うと、「確認した既存の筆界」の位置づけ、取り扱い方の問題です。
「既存の筆界」、特に分筆によって創設された筆界や、区画整理で画定された筆界(これを先に「設定筆界」と呼びました)ではない、明治前期の地租改正~土地台帳編成の時期から手を付けられたことのない筆界(一般的?に「原始筆界」といわれるものです)の場合、設定行為があったわけではないのでその誕生以来「点と線」の形で存在したことはありません(本稿においてしつこいくらい何度も言ってきたことです)。それについて、「隣接者と確認をする」ということは、その結果として「筆界」が「点と線」の形で「確認」される、ということを意味します。
そしてその「確認した既存の筆界」を地積測量図に記載して公示して、爾後の筆界資料の一つにするようにするわけですから、それは「設定」に準ずるような性格のあるものだとするべきだったのであり、「設定」に準ずる「認定」のような効果があることを明確にするべきだったのだと思います。「既存の筆界」についても「確認」され、それに基づいて登記が履践されるということは、「認証」「公証」としての効果を持つものと評価されるべきものです。そのことを明確にするべきであり、それに伴ってそのような効果を生むに相応しい手続を明確にするべきだったのだと思います。
しかし、そのようなことは行われず、ただ手続的には「隣接者の確認(同意)を得ること」だけが形式的に求められるに過ぎないものになってもしまいました。それは「筆界としての認定をする」というよりは、「後々のトラブルが起きないようにする。もしも起きても責任を負わなくてもよいようにする」という程度のものになってしまった、ということであり、その意義が十分に展開するには至らなかった、と言うことが出来ます。
また、そのようなことも影響して、「創設された筆界」についても、「その位置を正しく資料上に表示し、爾後はそれに基づいて筆界位置は特定されるものである」ということが、きちんと確立されず、これについても「立会による確認」が基本に据えられる、というのが実務上の現実になってしまっていた、と言えるでしょう。
このようになってしまったことについては様々な原因を指摘することが出来るのですが、そのうちのいくつかの問題は「十分な調査機関の不在」ということに集約できるように思えます。
「不動産登記」というのは、本来的には「権利の登記」です。「権利の登記」を「対抗力」の問題として取り扱っているかぎりにおいては、「申請」とそれを待っての「形式的審査」、ということでいいのでしょうが、「表示に関する」問題というのは、「申請」を待つだけでなく積極的に(「職権で」)調査をしていくべきものになりますし、それが正しいのかどうか、という「事実問題」をめぐっての内容的な審査を必要とします。
これを、「登記官の実質的審査権」だとか、それにもとづく「実地調査権」とかで実現していくものとされていますが、実際の問題としてそのための人員・装備などの態勢、能力がその実現にとても追いつくようなものではなく、ほとんど何もできずに来ました。
また、そのことについて「登記というのは申請主義が基本で、表示に関する登記といえども職権主義は補充的なものにすぎない」などという自己正当化の言い訳で済ませてしまっています。全く性格の異なる「表示に関する」領域を取り扱うことについての十分な覚悟も見識もないまま半世紀以上を過ごしてきてしまったことの問題があらわれてきている、ということなのだと思います。
そして、この問題は、実際的には「調査機関の代わり」の役割を担ってきた土地家屋調査士として反省しなければならない問題でもあります。できないことをやっているかのようにごまかしていくことの片棒を担ぐような役割をになってきてしまった、というところの問題です。
・・・と、いろいろと問題はあるのですが、それらへの反省を含めて、今、現実に私たちの前にある条件には、消極的なものもあるけれどそればかりではなく積極的なものもあるはずです。それをどう活かしていくことができるのか、ということが、今後の課題になります。
1970年代以降、登記の場において「筆界資料の充実」のための施策がとられてきたと言えます。
それは、かつては土地所有者が自己の土地の限界についての確かな認識を持ち、それが「地域社会における土地区画の承認関係」の存在や、「土地の形質の不変性の継続」という条件に基礎づけられて隣接地所有者と一致するのが一般的であったわけですが、それらの条件が失われていく中で必ずしも以前と同じようにはいかなくなったことを受けての施策であったのだと言うことができます。
具体的には。
1977年に、 不登法施行細則を改正して改正―地積測量図への境界標の記載を必要化したこと
1993年に 不登法施行細則を改正して地積測量図への境界標及び近傍の恒久的地物との位置関係の記載を必要化したこと
2005年に 不登規則を改正し、筆界点の座標値、測量の基礎として基本三角点等の記載を必要化したこと
などです。これらは、分筆などによって創設した筆界を「地積測量図」という図面資料に表示するにあたって、現地にも標識を設置したり、近くの不動物との位置関係を表示することによって、後になっても明確になっている(現地に復元することができる)ようにするものであり、言わば爾後的には筆界資料をもって筆界は現地で特定されるようになる、という形をつくろうとしたものと言えるでしょう。
これは後で述べるような問題点を持ちつつも、大きな意義を持つものと言えます。1977年からすでに40年を経過しているわけであり、この間に数多くの分筆登記などが行われており(この10年の平均で年間130万個の土地について分筆登記が行われていますので、単純に計算して40年では5200万個の土地が分筆された土地だということになります)、それらについて「現地復元性」を持つ地積測量図が備え付けられている、ということになっている、ということは、大きな意味を持つのだと言えるわけです。
地積測量図を作成するにあたっての「筆界」の取り扱いについては、ただ「創設された筆界」についてだけではなく、「既存の筆界」についても変化してきたものと言えます。
昔は、既存の筆界についての「確認」などせずに言わば勝手に地積測量図の作成ができていたわけですが(と言うと「言い過ぎだ」と言われるかもしれませんが、現実的にも理論的にもそのように言っていいのだと思います)、そうではなく、隣接地との「確認」をしたうえで地積測量図を作成しなければならない、という取扱いに事実上なっていったわけです。
しかし、この取扱いには次の問題があります。それは、後で(次回以降)述べるように「筆界認識が希薄化する中で筆界認識に頼る方法をとる」ということ自体に孕まれる根本的な問題であるわけですが、さしあたりの実際上の問題として言うと、「確認した既存の筆界」の位置づけ、取り扱い方の問題です。
「既存の筆界」、特に分筆によって創設された筆界や、区画整理で画定された筆界(これを先に「設定筆界」と呼びました)ではない、明治前期の地租改正~土地台帳編成の時期から手を付けられたことのない筆界(一般的?に「原始筆界」といわれるものです)の場合、設定行為があったわけではないのでその誕生以来「点と線」の形で存在したことはありません(本稿においてしつこいくらい何度も言ってきたことです)。それについて、「隣接者と確認をする」ということは、その結果として「筆界」が「点と線」の形で「確認」される、ということを意味します。
そしてその「確認した既存の筆界」を地積測量図に記載して公示して、爾後の筆界資料の一つにするようにするわけですから、それは「設定」に準ずるような性格のあるものだとするべきだったのであり、「設定」に準ずる「認定」のような効果があることを明確にするべきだったのだと思います。「既存の筆界」についても「確認」され、それに基づいて登記が履践されるということは、「認証」「公証」としての効果を持つものと評価されるべきものです。そのことを明確にするべきであり、それに伴ってそのような効果を生むに相応しい手続を明確にするべきだったのだと思います。
しかし、そのようなことは行われず、ただ手続的には「隣接者の確認(同意)を得ること」だけが形式的に求められるに過ぎないものになってもしまいました。それは「筆界としての認定をする」というよりは、「後々のトラブルが起きないようにする。もしも起きても責任を負わなくてもよいようにする」という程度のものになってしまった、ということであり、その意義が十分に展開するには至らなかった、と言うことが出来ます。
また、そのようなことも影響して、「創設された筆界」についても、「その位置を正しく資料上に表示し、爾後はそれに基づいて筆界位置は特定されるものである」ということが、きちんと確立されず、これについても「立会による確認」が基本に据えられる、というのが実務上の現実になってしまっていた、と言えるでしょう。
このようになってしまったことについては様々な原因を指摘することが出来るのですが、そのうちのいくつかの問題は「十分な調査機関の不在」ということに集約できるように思えます。
「不動産登記」というのは、本来的には「権利の登記」です。「権利の登記」を「対抗力」の問題として取り扱っているかぎりにおいては、「申請」とそれを待っての「形式的審査」、ということでいいのでしょうが、「表示に関する」問題というのは、「申請」を待つだけでなく積極的に(「職権で」)調査をしていくべきものになりますし、それが正しいのかどうか、という「事実問題」をめぐっての内容的な審査を必要とします。
これを、「登記官の実質的審査権」だとか、それにもとづく「実地調査権」とかで実現していくものとされていますが、実際の問題としてそのための人員・装備などの態勢、能力がその実現にとても追いつくようなものではなく、ほとんど何もできずに来ました。
また、そのことについて「登記というのは申請主義が基本で、表示に関する登記といえども職権主義は補充的なものにすぎない」などという自己正当化の言い訳で済ませてしまっています。全く性格の異なる「表示に関する」領域を取り扱うことについての十分な覚悟も見識もないまま半世紀以上を過ごしてきてしまったことの問題があらわれてきている、ということなのだと思います。
そして、この問題は、実際的には「調査機関の代わり」の役割を担ってきた土地家屋調査士として反省しなければならない問題でもあります。できないことをやっているかのようにごまかしていくことの片棒を担ぐような役割をになってきてしまった、というところの問題です。
・・・と、いろいろと問題はあるのですが、それらへの反省を含めて、今、現実に私たちの前にある条件には、消極的なものもあるけれどそればかりではなく積極的なものもあるはずです。それをどう活かしていくことができるのか、ということが、今後の課題になります。
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