大分単身赴任日誌

前期高齢者の考えたことを、単身赴任状況だからこそ言えるものとして言ってみます。

読んだ本―「成長なき時代のナショナリズム」(萱野稔人著:角川新書)

2016-02-03 18:19:54 | 日記
「私たちに必要なのは(そして実際に可能なのは)、ナショナリズムを外から否定することではなく、その内部にとどまりながらそれをつくりかえることである。」「ナショナリズム昂揚の底にある問題意識を共有しないナショナリズム批評は、それがどんなに『立派な』ものであれ、そのナショナリズムの担い手たちには届かない。」
著者の問題意識はここにある、とのことです。折衷主義的なにおいを感じて全面的には賛同できませんし、さまざまな意味で使用されている「ナショナリズム」という言葉に関する諸傾向へのフェアな批評とは言えないような部分もあるように思えますが、重要な問題を指摘してもいる、ということは言えるのだと思います。
それは、現在の「排外主義へ向かうナショナリズム」を根底から克服するためには、同じ問題に正対する必要がある、ということです。
著者は、「成長なき資本主義」の時代が本格化していく中で「社会的リソースの枯渇」が進行しており、そのことに敏感な人々の一部が「排外主義へ向かうナショナリズム」に流れている、とします。「私たち自身の社会的リソース、パイを防衛しろ」という形で、「民族的な単位」こそを「私たち自身」とだとして政治的に表現するようになる、それが「ナショナリズム」であり、それが排外主義に流れているのだ、というわけです。
「社会的リソースの枯渇」は、「資本主義が、成長しない時代に入る」という大きな世界的な趨勢の中で起きていること、だとされます。だとしたら、それは仕方のないことなのだ、ということになるのでしょうか?
「小泉構造改革期の経済成長は、グローバリゼーションの進展によって日本の市場も労働市場も国際化する中でもたらされたものだ。だから、外需と直接むすびついてグローバル企業はとても儲かったけれど、ドメスティックな市場しか相手にできない中小企業は恩恵をまったく受けることができなかった。」
ということが指摘されています。これは、アベノミクスの現在も変わらないことです。
そして、このような、一部のものしか潤わない、ということは、特殊な事態なのではなく一般的なことだとされます。
「なぜ経済が成長しないときにこそ経済的不平等が拡大するのだろうか。それは、たとえ経済そのものが成長しなくても、大きな資産を持っている人は高い収益が見込まれる投資を行うことができるからである。」
というわけです。
・・・とても悲観的にならざるをえないような話ですが、であればこそ、変えなければならないのはその構造だ、ということになります。この構造を変えることによって「社会的リソース」の確保を追求するしかない、ということになるわけです。
もちろんそれは、基本的な構造をめぐる問題なので、とても大変なことなのであり、本書を読んでその展望が拓けてくる、とはとても言えませんし、わが業界の現状も社会全体の大きな流れの中にあるものであることを、あらためて考えさせられてしまうのですが・・。