今日は小川山界隈で過ごす予定。「クライミングさせないの?」と色んな人に聞かれたが、うちの可愛い子供達に、そんな危ない事はさせられません\(゜□゜)/ まっ、ここが叔母の限界だな、と思う。自分の子供ならともかく、この子達は私がどんなに可愛がっても、所詮、姉の子。怪我をさせる訳にはいかない。と言う事で、ハイキング!パノラマコースは、子供2人に年老いた母が1峰手前のガレた道を炎天下の中、歩けるだろうか?と考え、ずっと樹林帯の中、高低差もあまりないカモシカ遊歩道を唐沢の滝まで歩く事にする。
山荘に、自然観察指導員の先生をお願いした。森の中の草木や昆虫等、お話を伺えれば子供達が喜ぶかと思ったのだが・・・、姪達は人見知りっ子パワー全開!叔母、またしても、企画倒れ_| ̄|○ もともと小学校の理科の先生だったとおっしゃる自然観察指導員の先生は、そんな姪達のあしらいにも長けていらっしゃる。廻り目平キャンプ場を出発して、分岐岩まで、カモシカ遊歩道をプラプラ歩く。掛かった時間は・・・、1時間弱(-_-;) こんなペースで唐沢の滝まで着くのか?
砦沢にぶつかる所で大休憩。沢の生き物を探しながら、ノンビリ。子供達も少しだけ自然観察指導員の先生に慣れてきたようだ。母は、石に座り込んだまま動かない。自然観察指導員の先生に「滝は無理かも知れませんね(^-^)」と話しかけられる。確かに、今回のパーティでは少し無理があるかも(-_-;)「行ける所まで行って、時間を見ながら引き返しましょう(^-^)」、ハイ。
滝には行けないかもと説明したせいか、そこから先、子供達はバリバリと歩き始める。私は、遅れがちの母について歩く。カモシカサイドロック前の急登、さすがに母はきつそうだ。助けようとすると「お母さんはいいから、子供達を見てあげて(^-^)」と、言う。子供達とは随分と距離が空いてしまった。急登を登り切ってポケット・マントル(5.10d)の前、母が「ここで待っているわ(^-^)」と、GiveUp!母にも唐沢の滝をと言うか、滝を見てはしゃぐ子供達を見せてあげたい気はする。しかし、この先でGiveUp!されたら、連れて戻るのが大変だ。母の分のお弁当を渡し、食事をしながら待っているように言い聞かせ、私は子供達を追いかける。そう、その時、母は「さっき、休憩した所にでもゆっくりと戻って、ご飯を食べながら待っているわ(^-^)」と言っていた。私は、下りなら歩いて10分もかからないだろうその距離を、母が歩くと言っている事を気にも留めなかった。
1人になって子供達を追いかける。空身(も同然)だと、走るように歩ける。追いついた子供達は、おしゃべりもせずに黙々と歩いている。私にとっては、この道はいつか来た道、あぁ、もうすぐだなぁ(゜-゜) と、周りを見ながらノンビリと歩いているが、子供達はあとどれくらい歩かされるのかもわからないし、必死だろう。
ビックリするくらい早く唐沢の滝に到着。ワーとかキャーとか言うのかと思ったら、子供達はここでも以外とクール、・・・、叔母、またしても企画倒れか(-_-;) 滝壺の手前、大きな石の上で2人は遊んでいる。ランチを食べ終わると、置いてきた母の事が心配なのか「早く帰ろう!」と子供達が言い出す。おばあちゃんにお土産に水を持っていくからペットボトルを出せ!と言う。可愛い所もあるんだな(^O^) 滝壺に水を汲みにいった子供達を視界に入れながら自然観察指導員の先生と話していると、えっ(*゜□゜*) あーちゃんが消えた。バッシャーン!ウソォ(*゜□゜*) 私の腰が浮いた瞬間、水の中から笑いながらあーちゃんが顔を出した(^。^;)ホッ! 何故、落ちる/(-_-)\ 子供って、謎だ(-_-;) あーちゃんは私に駆け寄り「寒い!」と言う。当たり前だよ(-_-;) 上半身は、防寒対策に持ってきた長袖に着替えさせるが、どうするこの下半身!さすがにズボンの予備は持っていない。取り合えず、ズボンを脱がせ絞る。が、全然ダメ。・・・、叔母、ストリップ_| ̄|○ 私のズボンを履かせる。そして、私はあーちゃんの濡れたズボンを履く。全く、子供って・・・(-_-;) 私は、世のお母様方を心から尊敬します。
さぁ、帰ろう!帰り道も、子供達の足は軽やか。企画倒れか?と心配したが、子供達も楽しんでいるようだ。母から電話、もうすぐキャンプ場だと言う。えぇぇぇ、1人で帰っちゃったの?もう、勝手なんだから(`へ´) でも、まぁ、いいや。子供達は自然観察指導員の先生が教えてくださる草木にも、興味を持ち始めたようだ。ヨカッタヨカッタ(^O^) 母からまた電話、「あとどれくらい?早く、帰ってきて欲しいの。」、1人で退屈なのだろう。我儘なんだから(-_-;) 私が我儘なのは、間違いなく、この人の血を引いているからだと思う。やっと、子供達が馴染んできたのに!と、適当に電話を切る。
山荘前、林ダ君と母が見えてきた。子供達が母に駆け寄る。腰掛けていた岩から立ち上がる母の様子がおかしい様な気がした。左手に表情がない。足早に私も母のもとへ。「ちょっと怪我しちゃった(^-^)」、力なく微笑む母。林ダ君が「もしかしたら骨折しているかも、取り合えず冷やしてある。」と言う。林ダ君と話している間に、母は自然観察指導員の先生にご挨拶をしている。この人は、自分の具合が悪くてもしっかり祖母であり母だ!
自然観察指導員の先生と別れ、車へ。林ダ君がすぐに出発できるよう準備をしておいてくれた。そして、病院も調べてくれてあった。車中、母に事情を聞く。指先が痺れているだけで痛みは感じないと言う。吐き気等もないようだ。捻挫かな?でも、腫れはかなりある。骨にヒビは入っているかも。つい、母を叱ってしまう。「そんなに怒らないでよ(^-^)」と母、怒ります\(`o´)/ こんなに穏やかに話しているのだから、大した事はないのかも知れない。
病院へ。先生は一目、母の手を見るなり、「折れてるね(^-^)」とおっしゃった。母がレントゲンを撮りに行っている間、先生と話す。今日、三重県まで帰る予定である事、帰れるのか?ついて行く方がよいのか?治るのにどれくらいかかるのか?痛くないのか?私はパニック気味、でも、こんな時、病院の先生は暢気だ。そりゃそうだろう。骨折なんて、患者にしてみれば一生の間に1回あるかないかって出来事だけど、整形外科の先生にしてみれば日常なんだから。折れた骨のズレを治してもらって、ギプスを巻いて・・・。固定すれば、三重県まで帰っても平気みたいだ。先生と話し、少し私の気分もおさまったのか、レントゲン室から出てきた母を見たら、泣けてきた。歳なんだから気をつけてよ。近くで暮らしている訳じゃないんだから、私は何も出来ないんだから・・・。ブツブツ言う私を、母が慰めてくれる。これじゃ、どっちが怪我をしたのかわからない。
小淵沢の駅まで、子供達と母を送る。「送ろうか?」と言う私を「大丈夫(^-^)」と母は笑って取り合わない。いつもそうだ。母がくも膜下出血で倒れた時も(病院の待合室で倒れたので大事には至らなかった)、叔父が病に倒れた時も(呼ばれたのはお葬式だった)、父が心臓で倒れた時も、いつも我が家は事後報告。みんな、自分達だけで処理してしまう。でも、私が病に倒れても、両親は病院から連絡が行くまで大体知らない。これは、我が家の文化だね。自分でどうにかなる間は、自分でなんとかする。強引に送ろうかとも思ったが、送った所で母が気を使うだけかな?と思う。それとも、口には出さなくても安心するのかな?イヤ、母はきっと、私に対し、申し訳ないと思うだろう。そのまま、子供達と母で帰す事にした。
別れ際、母が私に言う。「山のお友達は、皆さん、いい人ばっかりね。山を登る人はいい人なのかしら?」、そんな事ありません(-_-;) 山を登る人にも、悪い人はきっといます(-_-;) 全く、素直と言うか、可愛いと言うか、私の母は、そんな人だ。
今回の、子供達企画では、色んな人にお世話になった。林ダ君、何から何までありがとうm(_ _)m きく、バーベキューの仕度をありがとう。S吉さん、ママ、バーベキューではありがとうございましたm(_ _)m 感謝の気持ちは、追って後日。
山荘に、自然観察指導員の先生をお願いした。森の中の草木や昆虫等、お話を伺えれば子供達が喜ぶかと思ったのだが・・・、姪達は人見知りっ子パワー全開!叔母、またしても、企画倒れ_| ̄|○ もともと小学校の理科の先生だったとおっしゃる自然観察指導員の先生は、そんな姪達のあしらいにも長けていらっしゃる。廻り目平キャンプ場を出発して、分岐岩まで、カモシカ遊歩道をプラプラ歩く。掛かった時間は・・・、1時間弱(-_-;) こんなペースで唐沢の滝まで着くのか?
砦沢にぶつかる所で大休憩。沢の生き物を探しながら、ノンビリ。子供達も少しだけ自然観察指導員の先生に慣れてきたようだ。母は、石に座り込んだまま動かない。自然観察指導員の先生に「滝は無理かも知れませんね(^-^)」と話しかけられる。確かに、今回のパーティでは少し無理があるかも(-_-;)「行ける所まで行って、時間を見ながら引き返しましょう(^-^)」、ハイ。
滝には行けないかもと説明したせいか、そこから先、子供達はバリバリと歩き始める。私は、遅れがちの母について歩く。カモシカサイドロック前の急登、さすがに母はきつそうだ。助けようとすると「お母さんはいいから、子供達を見てあげて(^-^)」と、言う。子供達とは随分と距離が空いてしまった。急登を登り切ってポケット・マントル(5.10d)の前、母が「ここで待っているわ(^-^)」と、GiveUp!母にも唐沢の滝をと言うか、滝を見てはしゃぐ子供達を見せてあげたい気はする。しかし、この先でGiveUp!されたら、連れて戻るのが大変だ。母の分のお弁当を渡し、食事をしながら待っているように言い聞かせ、私は子供達を追いかける。そう、その時、母は「さっき、休憩した所にでもゆっくりと戻って、ご飯を食べながら待っているわ(^-^)」と言っていた。私は、下りなら歩いて10分もかからないだろうその距離を、母が歩くと言っている事を気にも留めなかった。
1人になって子供達を追いかける。空身(も同然)だと、走るように歩ける。追いついた子供達は、おしゃべりもせずに黙々と歩いている。私にとっては、この道はいつか来た道、あぁ、もうすぐだなぁ(゜-゜) と、周りを見ながらノンビリと歩いているが、子供達はあとどれくらい歩かされるのかもわからないし、必死だろう。
ビックリするくらい早く唐沢の滝に到着。ワーとかキャーとか言うのかと思ったら、子供達はここでも以外とクール、・・・、叔母、またしても企画倒れか(-_-;) 滝壺の手前、大きな石の上で2人は遊んでいる。ランチを食べ終わると、置いてきた母の事が心配なのか「早く帰ろう!」と子供達が言い出す。おばあちゃんにお土産に水を持っていくからペットボトルを出せ!と言う。可愛い所もあるんだな(^O^) 滝壺に水を汲みにいった子供達を視界に入れながら自然観察指導員の先生と話していると、えっ(*゜□゜*) あーちゃんが消えた。バッシャーン!ウソォ(*゜□゜*) 私の腰が浮いた瞬間、水の中から笑いながらあーちゃんが顔を出した(^。^;)ホッ! 何故、落ちる/(-_-)\ 子供って、謎だ(-_-;) あーちゃんは私に駆け寄り「寒い!」と言う。当たり前だよ(-_-;) 上半身は、防寒対策に持ってきた長袖に着替えさせるが、どうするこの下半身!さすがにズボンの予備は持っていない。取り合えず、ズボンを脱がせ絞る。が、全然ダメ。・・・、叔母、ストリップ_| ̄|○ 私のズボンを履かせる。そして、私はあーちゃんの濡れたズボンを履く。全く、子供って・・・(-_-;) 私は、世のお母様方を心から尊敬します。
さぁ、帰ろう!帰り道も、子供達の足は軽やか。企画倒れか?と心配したが、子供達も楽しんでいるようだ。母から電話、もうすぐキャンプ場だと言う。えぇぇぇ、1人で帰っちゃったの?もう、勝手なんだから(`へ´) でも、まぁ、いいや。子供達は自然観察指導員の先生が教えてくださる草木にも、興味を持ち始めたようだ。ヨカッタヨカッタ(^O^) 母からまた電話、「あとどれくらい?早く、帰ってきて欲しいの。」、1人で退屈なのだろう。我儘なんだから(-_-;) 私が我儘なのは、間違いなく、この人の血を引いているからだと思う。やっと、子供達が馴染んできたのに!と、適当に電話を切る。
山荘前、林ダ君と母が見えてきた。子供達が母に駆け寄る。腰掛けていた岩から立ち上がる母の様子がおかしい様な気がした。左手に表情がない。足早に私も母のもとへ。「ちょっと怪我しちゃった(^-^)」、力なく微笑む母。林ダ君が「もしかしたら骨折しているかも、取り合えず冷やしてある。」と言う。林ダ君と話している間に、母は自然観察指導員の先生にご挨拶をしている。この人は、自分の具合が悪くてもしっかり祖母であり母だ!
自然観察指導員の先生と別れ、車へ。林ダ君がすぐに出発できるよう準備をしておいてくれた。そして、病院も調べてくれてあった。車中、母に事情を聞く。指先が痺れているだけで痛みは感じないと言う。吐き気等もないようだ。捻挫かな?でも、腫れはかなりある。骨にヒビは入っているかも。つい、母を叱ってしまう。「そんなに怒らないでよ(^-^)」と母、怒ります\(`o´)/ こんなに穏やかに話しているのだから、大した事はないのかも知れない。
病院へ。先生は一目、母の手を見るなり、「折れてるね(^-^)」とおっしゃった。母がレントゲンを撮りに行っている間、先生と話す。今日、三重県まで帰る予定である事、帰れるのか?ついて行く方がよいのか?治るのにどれくらいかかるのか?痛くないのか?私はパニック気味、でも、こんな時、病院の先生は暢気だ。そりゃそうだろう。骨折なんて、患者にしてみれば一生の間に1回あるかないかって出来事だけど、整形外科の先生にしてみれば日常なんだから。折れた骨のズレを治してもらって、ギプスを巻いて・・・。固定すれば、三重県まで帰っても平気みたいだ。先生と話し、少し私の気分もおさまったのか、レントゲン室から出てきた母を見たら、泣けてきた。歳なんだから気をつけてよ。近くで暮らしている訳じゃないんだから、私は何も出来ないんだから・・・。ブツブツ言う私を、母が慰めてくれる。これじゃ、どっちが怪我をしたのかわからない。
小淵沢の駅まで、子供達と母を送る。「送ろうか?」と言う私を「大丈夫(^-^)」と母は笑って取り合わない。いつもそうだ。母がくも膜下出血で倒れた時も(病院の待合室で倒れたので大事には至らなかった)、叔父が病に倒れた時も(呼ばれたのはお葬式だった)、父が心臓で倒れた時も、いつも我が家は事後報告。みんな、自分達だけで処理してしまう。でも、私が病に倒れても、両親は病院から連絡が行くまで大体知らない。これは、我が家の文化だね。自分でどうにかなる間は、自分でなんとかする。強引に送ろうかとも思ったが、送った所で母が気を使うだけかな?と思う。それとも、口には出さなくても安心するのかな?イヤ、母はきっと、私に対し、申し訳ないと思うだろう。そのまま、子供達と母で帰す事にした。
別れ際、母が私に言う。「山のお友達は、皆さん、いい人ばっかりね。山を登る人はいい人なのかしら?」、そんな事ありません(-_-;) 山を登る人にも、悪い人はきっといます(-_-;) 全く、素直と言うか、可愛いと言うか、私の母は、そんな人だ。
今回の、子供達企画では、色んな人にお世話になった。林ダ君、何から何までありがとうm(_ _)m きく、バーベキューの仕度をありがとう。S吉さん、ママ、バーベキューではありがとうございましたm(_ _)m 感謝の気持ちは、追って後日。