とても悲しいニュースを見た
悲しいニュースというよりも、信じられないニュースを見たという方が正しいかもしれない
私は、かつて、登れるグレードはとっても低いけど週末ごとに関東近郊の岩場に出没するへっぽこクライマーだった
私が、夢中でクライミングに取り組んでいた時間の前半半分は、とあるスクールの生徒だった
スクールにあまりに長く居座りすぎたせいで、岩場で一緒になった先生の古くからの知り合いであるレジェンドクライマーの皆さんにも、アッコさんのスクールの子として認識していただいていた
スクールを離れ、岩場に出かけるようになっても、どこかで一緒になると、ご挨拶したり、ちょっとしたアドバイスをいただいたり、色んな方にお世話になった
彼が登る姿を何度ながめただろう
私がみた彼の登る姿は、彼自身のクライミングではなく、主に彼のスクールの講師として登る姿だ
時に、それは私自身がトライしたいルートのこともあった
が、彼の登りは、あまりに、能力が違い過ぎて私には何の役にも立たなかった
古いブログを読み返してみたら、その事を、アッコさんに訴え、アッコさんに「13を登る人とあなたじゃ一緒にならないわよ」と言われていた
そりゃそーだ!
でも、彼の登る姿は、とてもカッコよくて、眺めるのが好きだった
クライマーには、それぞれスタイルがある
私は日本でのクライミング創成期にクライミングに夢中になった先生に師事した影響で、ちょっと考え方が古風だったりする(が、今どきのクライマーの振る舞いを見て、あっちの方が楽そうでいいなぁと思う心もちょっとあったりした)
彼も、そんな古風な考え方を持つクライマーだったような気がする
彼がスクールで使っているルートを、ヌンチャクがかかっていることを幸いにちゃっかり登らせてもらおうとすると「回収しようか?マスターで登りたいでしょ」などと、よくからかわれたものだ
そのクライミングのスタイルが根底に感じられる彼の文章が好きだった
旦那(かつてのクライミングのパートナー)と、彼の話をした
旦那が、一番印象深い彼の姿は、湯河原幕岩でダイヤモンドヘッドを登る姿だそうだ
あぁ、そんな事があったね
カンテからフェイス面に出たところで、彼の片足はスリップした
が、彼はフォールすることなく、壁の中で「すべっちゃった」と笑いながらその先を登って行った
当時、私達はもうダイヤモンドヘッドに手を出していたのかいなかったのか?
とにかく、一番登れた頃でも、登るのに必死だったルートだ
旦那は、その時の、彼のかっこよさが忘れられないらしい
私は、、、ハチの巣、、、
ある冬、シーズン初めの城ケ崎シーサイド、キャデラックランチのハングにスズメバチの巣ができていた
彼は、「みんなずっと登れないからね!」とそのスズメバチの巣を取り除いてくれたのだ
旦那に、一番印象深い思い出がクライミングシーンじゃないことを責められたが、だって、スズメバチの巣が思い浮かんだんだから仕方がない
過去の記憶を確かめようと、旦那のダイヤモンドヘッドと私のハチの巣、ブログを遡ってみた
なんと、2つの記憶は、1週間違いの記憶、湯河原のダイヤモンドヘッドの翌週の出来事が、城ケ崎のハチの巣だった
あの頃、彼に、毎週のように御挨拶させていただいてたんだなぁ
とにかく、一体何が起こったのか、詳細は分からない
起きるはずのない事が起こってしまったようだ
大人として、ご冥福をお祈りします、と一応記しておきます
でも、本心は、、、私は、ニュースを信じることが出来ません
悲しいニュースというよりも、信じられないニュースを見たという方が正しいかもしれない
私は、かつて、登れるグレードはとっても低いけど週末ごとに関東近郊の岩場に出没するへっぽこクライマーだった
私が、夢中でクライミングに取り組んでいた時間の前半半分は、とあるスクールの生徒だった
スクールにあまりに長く居座りすぎたせいで、岩場で一緒になった先生の古くからの知り合いであるレジェンドクライマーの皆さんにも、アッコさんのスクールの子として認識していただいていた
スクールを離れ、岩場に出かけるようになっても、どこかで一緒になると、ご挨拶したり、ちょっとしたアドバイスをいただいたり、色んな方にお世話になった
彼が登る姿を何度ながめただろう
私がみた彼の登る姿は、彼自身のクライミングではなく、主に彼のスクールの講師として登る姿だ
時に、それは私自身がトライしたいルートのこともあった
が、彼の登りは、あまりに、能力が違い過ぎて私には何の役にも立たなかった
古いブログを読み返してみたら、その事を、アッコさんに訴え、アッコさんに「13を登る人とあなたじゃ一緒にならないわよ」と言われていた
そりゃそーだ!
でも、彼の登る姿は、とてもカッコよくて、眺めるのが好きだった
クライマーには、それぞれスタイルがある
私は日本でのクライミング創成期にクライミングに夢中になった先生に師事した影響で、ちょっと考え方が古風だったりする(が、今どきのクライマーの振る舞いを見て、あっちの方が楽そうでいいなぁと思う心もちょっとあったりした)
彼も、そんな古風な考え方を持つクライマーだったような気がする
彼がスクールで使っているルートを、ヌンチャクがかかっていることを幸いにちゃっかり登らせてもらおうとすると「回収しようか?マスターで登りたいでしょ」などと、よくからかわれたものだ
そのクライミングのスタイルが根底に感じられる彼の文章が好きだった
旦那(かつてのクライミングのパートナー)と、彼の話をした
旦那が、一番印象深い彼の姿は、湯河原幕岩でダイヤモンドヘッドを登る姿だそうだ
あぁ、そんな事があったね
カンテからフェイス面に出たところで、彼の片足はスリップした
が、彼はフォールすることなく、壁の中で「すべっちゃった」と笑いながらその先を登って行った
当時、私達はもうダイヤモンドヘッドに手を出していたのかいなかったのか?
とにかく、一番登れた頃でも、登るのに必死だったルートだ
旦那は、その時の、彼のかっこよさが忘れられないらしい
私は、、、ハチの巣、、、
ある冬、シーズン初めの城ケ崎シーサイド、キャデラックランチのハングにスズメバチの巣ができていた
彼は、「みんなずっと登れないからね!」とそのスズメバチの巣を取り除いてくれたのだ
旦那に、一番印象深い思い出がクライミングシーンじゃないことを責められたが、だって、スズメバチの巣が思い浮かんだんだから仕方がない
過去の記憶を確かめようと、旦那のダイヤモンドヘッドと私のハチの巣、ブログを遡ってみた
なんと、2つの記憶は、1週間違いの記憶、湯河原のダイヤモンドヘッドの翌週の出来事が、城ケ崎のハチの巣だった
あの頃、彼に、毎週のように御挨拶させていただいてたんだなぁ
とにかく、一体何が起こったのか、詳細は分からない
起きるはずのない事が起こってしまったようだ
大人として、ご冥福をお祈りします、と一応記しておきます
でも、本心は、、、私は、ニュースを信じることが出来ません