18年前、世界中で話題になった「ブエナビスタ・ソシアル・クラブ」という映画。日本でも話題になり、音楽ファンだけでなく映画を観た人たちはキューバ音楽の虜になった人も多かったと思う。
私もその中の一人だが、それまではあまりキューバの国の歴史も音楽のことも知らず映画を観た当初もすごいおじいさん、おばあさんたちが元気に音楽をやっていて素敵だな!とシンプルに感動したものだ(苦笑)。
その後、アルゼンチン、ブラジルと南米を演奏旅行するようになるのだが、初めて2016年の11月にキューバを訪問。滞在の最中にフィデル・カストロがなくなるという大きなニュースが流れたのが11月25日。
私たちはその日、セサル・ロペス(キューバ最高峰のサックス奏者)のグループの前座で演奏させていただくことになり、Jazz Cafeというクラブで演奏していた。演奏を終えてステージから降りるとニコニコと拍手で迎えてくれた一人のキューバ人がいた。「イエ〜イ!日本から来たの?」と気さくに話しかけてくれる彼はなんと、里帰りしていたオラシオ・フェルナンデスdrだった。「たまにキューバに帰ってドラムの練習するんだよ。」
オラシオとそんな話をしながら、一緒にセサルたちのノリノリの演奏を聴いていたのだが、彼らの演奏直後にバーが騒がしくなった。なんだなんだ?と観たらカストロの亡くなったというニュースがテレビで流れ出していたのだった・・・・。
翌日から予定されていた全ての演奏はキャンセル。9日間の歌舞音曲は中止となった。町中は悲しみにあふれ、テレビは一日中カストロのことを報道。セサルのバンドのギターリストは「やった〜、9日間も休暇がとれた!」なんて喜んでいたけれど(苦笑)。その日から街から音楽が消えお酒も飲めなくなった(形の上で)。
カストロ訃報のニュースが流れた翌朝。ハバナ大学の前に追悼で集まってくる学生たち。カストロを讃える国旗が掲げられ、悲しい音楽が流されていた。最終的にはこの階段が埋め尽くされるのだが観光客は近寄れなくなっていた。
その二日後から私たちはカストロの生誕の地、さらにキューバ革命が始まった場所「サンティアゴ・デ・クーバ」に移った。『ソン』という音楽の発祥地でもある。
ハバナよりも空気も綺麗で美しくて大好きになった街「サンティアゴ・デ・クーバ」
前置きが長くなってしまったけれど、この映画「ブエナビスタ〜アディオス」の始まりが「カストロの訃報のニュース」だったのだ。なんだか同じ場所に同じところにいた風景だと思うといきなり映画館で鳥肌がたってしまった。
そして、彼らの故郷でもあるソン発祥のサンティアゴ・デ・クーバもたくさん出てくる。18年前から時々、彼らのそれ以降の話や当時の話などがみごとに織り込まれ・・・・。もう、これは1作目を凌ぐ素晴らしい音楽映画であり、キューバ音楽の歴史でもあった。
オマーラは今でも現役で歌い続けている。私たちもキューバ国際ジャズフェスでチューチョ・バルデスのゲストで歌う姿を観れた。かすれた声で観客のアンコールに答える彼女が、「何が聴きたいの?」と観客に聴くと、みんなが「Veinte Anos!!!(20年)」と叫ぶ。それに答えて彼女が歌いだした。途中でマイクを座席の方に向けて観客に歌わせたり、ベサメ・ムーチョになったり・・・と感動的なステージだった。
映画の最後の方で「私たちの生い立ちの何を知っているの?キューバの国の何がわかるの?」という言葉が胸に突き刺さる。
うわべだけで音楽を捉えて、その国のことを何も知らずに演奏を聴いたり、まして演奏することにものすごく抵抗を感じることが最近よくある。
音楽学校で教えてくれないもの。その土地に行かなくてはわからないこと、経験がたくさんある。この映画からもたくさんのことを教えてもらった気がする。本当に素晴らしい映画でした!
まだ公開中なので、ぜひ興味あるかたはご覧ください。
映画の最後のほうに出てくる、ブエナビスタ・ソシアル・クラブの若手ピアニスト「ロランド・ハナ」と。
【公式】『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス』7.20公開/本予告
私もその中の一人だが、それまではあまりキューバの国の歴史も音楽のことも知らず映画を観た当初もすごいおじいさん、おばあさんたちが元気に音楽をやっていて素敵だな!とシンプルに感動したものだ(苦笑)。
その後、アルゼンチン、ブラジルと南米を演奏旅行するようになるのだが、初めて2016年の11月にキューバを訪問。滞在の最中にフィデル・カストロがなくなるという大きなニュースが流れたのが11月25日。
私たちはその日、セサル・ロペス(キューバ最高峰のサックス奏者)のグループの前座で演奏させていただくことになり、Jazz Cafeというクラブで演奏していた。演奏を終えてステージから降りるとニコニコと拍手で迎えてくれた一人のキューバ人がいた。「イエ〜イ!日本から来たの?」と気さくに話しかけてくれる彼はなんと、里帰りしていたオラシオ・フェルナンデスdrだった。「たまにキューバに帰ってドラムの練習するんだよ。」
オラシオとそんな話をしながら、一緒にセサルたちのノリノリの演奏を聴いていたのだが、彼らの演奏直後にバーが騒がしくなった。なんだなんだ?と観たらカストロの亡くなったというニュースがテレビで流れ出していたのだった・・・・。
翌日から予定されていた全ての演奏はキャンセル。9日間の歌舞音曲は中止となった。町中は悲しみにあふれ、テレビは一日中カストロのことを報道。セサルのバンドのギターリストは「やった〜、9日間も休暇がとれた!」なんて喜んでいたけれど(苦笑)。その日から街から音楽が消えお酒も飲めなくなった(形の上で)。
カストロ訃報のニュースが流れた翌朝。ハバナ大学の前に追悼で集まってくる学生たち。カストロを讃える国旗が掲げられ、悲しい音楽が流されていた。最終的にはこの階段が埋め尽くされるのだが観光客は近寄れなくなっていた。
その二日後から私たちはカストロの生誕の地、さらにキューバ革命が始まった場所「サンティアゴ・デ・クーバ」に移った。『ソン』という音楽の発祥地でもある。
ハバナよりも空気も綺麗で美しくて大好きになった街「サンティアゴ・デ・クーバ」
前置きが長くなってしまったけれど、この映画「ブエナビスタ〜アディオス」の始まりが「カストロの訃報のニュース」だったのだ。なんだか同じ場所に同じところにいた風景だと思うといきなり映画館で鳥肌がたってしまった。
そして、彼らの故郷でもあるソン発祥のサンティアゴ・デ・クーバもたくさん出てくる。18年前から時々、彼らのそれ以降の話や当時の話などがみごとに織り込まれ・・・・。もう、これは1作目を凌ぐ素晴らしい音楽映画であり、キューバ音楽の歴史でもあった。
オマーラは今でも現役で歌い続けている。私たちもキューバ国際ジャズフェスでチューチョ・バルデスのゲストで歌う姿を観れた。かすれた声で観客のアンコールに答える彼女が、「何が聴きたいの?」と観客に聴くと、みんなが「Veinte Anos!!!(20年)」と叫ぶ。それに答えて彼女が歌いだした。途中でマイクを座席の方に向けて観客に歌わせたり、ベサメ・ムーチョになったり・・・と感動的なステージだった。
映画の最後の方で「私たちの生い立ちの何を知っているの?キューバの国の何がわかるの?」という言葉が胸に突き刺さる。
うわべだけで音楽を捉えて、その国のことを何も知らずに演奏を聴いたり、まして演奏することにものすごく抵抗を感じることが最近よくある。
音楽学校で教えてくれないもの。その土地に行かなくてはわからないこと、経験がたくさんある。この映画からもたくさんのことを教えてもらった気がする。本当に素晴らしい映画でした!
まだ公開中なので、ぜひ興味あるかたはご覧ください。
映画の最後のほうに出てくる、ブエナビスタ・ソシアル・クラブの若手ピアニスト「ロランド・ハナ」と。
【公式】『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス』7.20公開/本予告