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minga日記

minga、東京ミュージックシーンで活動する女サックス吹きの日記

オケラ号の思い出 その壱

2006年03月13日 | 映画、本、芝居関係
 多田雄幸氏の「オケラ5世優勝す」の本を送って頂いて再び読み返している。やっぱり多田さんって素敵な人だったなあ、もっともっと一緒に遊びたかった・・・。
 
 「頑張ってね~。」「頑張りませ~ん。」マイペースで出航して行った多田さんの姿はいつまでも脳裏に焼き付いている。最後のレースに出場するため、ニューポートに向かうときも、清水港から出発した多田さんはみんなに見送られて出て行ったにもかかわらず、一反引き返して来た。どうしたんだろう?みんなが心配してヨットに近づくと、「えへへ、水をヨットに積み忘れちゃって・・・」恥ずかしそうに頭をかいているちっちゃな多田サン。見送りの全員がずっこけた。ビールは大事そうに積んでいたのに。

 私が多田サンのヨットに乗せてもらってあちこち連れて行ってもらったのもみんな「オケラ5世号」だった。生まれて初めて乗せてもらったヨットだ。夜中にタクシーで世田谷を出発(そう、多田サンの家と私の実家は目と鼻の先だった!)して「オケラ号」の停泊してある港につくと、「これがオケラさんですよ~。」多田さんの小さなお城に案内され、そのままオケラの中で宴会が始まった。池袋のジャズ飲み屋、ぺーぱーむーんのいっきさんもその時は一緒だった。もともと多田さんの本(オケラ5世~)がぺーぱーむーんで話題になっていて、偶然多田さんが友人に連れられ飲みにやってきたのがきっかけだったから、いっきさんも多田さんと出会って感動しすぐに意気投合したのだ。「ヨットで演奏会をやりましょうよ!」「いいですね~」って事になったらすぐに実現させてしまうのが多田さんの凄いところ。初めて会って1週間後に私たちはヨットの中に居た。

 チーズと黒パンをつまみに飲みながら、トシキが「芝浜」という長~い人情話をヨットの中でやり始め、多田サンも大喜び。私たちは落語好きという点でも共通していたのだ。ただし、多田さんは志ん生師匠と一緒に小唄を習っていたというから本格的だ。そんな話題で盛り上がり、ほろ酔い気分のまま、蚕のようなベットに横になり心地よく波に揺られながら熟睡。まるで胎児のような気分だった。翌朝、多田サンは甲斐甲斐しく朝ご飯を作ってくれ、そのまま沖に出発。ヨットが風にのって走る。ぐんぐんとスピードがあがると今までの多田さんはそこにはいない。一人のカッコイイ、キビキビと仕事をこなすヨットマンになっていた。

 船の先っちょでサックスを吹かせてもらい、多田さんと本当に沢山ブルーモンクを演奏した。多田さんのレパートリーがブルーモンクしかなかったからだ。でも多田サンの吹くサックスはとってもあたたかく、歌に溢れていた。「プロの人の前で恥ずかしいですよ~」と言いながら、とっても堂々と演奏していた。「多田さん、フリースタイルでも何かやってよ」といっきさんにリクエストされた多田さんは永田利樹とフリーデュオで「波浮の港」を披露。これがまた素晴らしかった。

 このあと、三保の松原で演奏会をやったり、ニューポートに行く事になって・・・、そのあたりの話は私のスターラップ新聞「NY物語」に書いたのでここでは書きませんが、次回は多田さんの追悼演奏を清水に停泊しているオケラ5世号でやった時のちょっと不思議な出来事を書かせてもらいます。(つづく)