実務家弁護士の法解釈のギモン

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議員定数不均衡訴訟の法理(5)

2012-12-06 09:42:41 | その他の法律
 まずは訂正。選挙無効訴訟は機関訴訟ではなく民衆訴訟である。行政法がよく分かっていないことがばれてしまったかもしれない。
 ただし、いずれにしてもいわゆる客観訴訟と言われる類に属する訴訟類型であることに変わりはなく、訴えを提起する者自身の具体的権利が侵害されているわけではないところで違法性を争える訴訟類型であることには変わりはない。
 しかし、だからといって、神奈川県選挙区の違法を東京都選挙区の違法として争えるわけではないことも変わりがない。そして、そのことは一票の価値の平等が問題になっても同じことではないのか、というのが、私の疑問なのである。

 私の問題意識に対しては、広い意味での憲法判断回避の法理そのものの妥当性ということもあるのかもしれない。しかし、憲法判断回避の法理も、理由があってそうした法理が存在するはずで、ただ単に、裁判所として憲法判断は出来るだけしたくないなどという理由もない司法消極主義が根拠にあるわけではない。
 大きな目で見た、一応民主的な立法機関を尊重するという建前だけではなく、微視的に見た場合は、憲法問題を争わせるのは誰が一番望ましいか、という観点もあるのだろうと思う。真に権利侵害されている者がもっとも問題点をよく認識しているはずであるし、もっとも真剣に争うであろうから、真に権利侵害がされている者のみに憲法上の争いを認めるというのが、付随的違憲審査制の長所であろうし、憲法判断回避の法理の根拠も、似たような発想があるだろうと思っている。
 万一、権利侵害者以外の者が憲法訴訟を行った場合、真の問題点を認識し得ないまま不十分な方法で憲法問題を争うこともあり得る。その結果、真の問題点を争点とせず、不十分な争い方で合憲のお墨付きを与えてしまいかねない。憲法判断回避の法理を緩めた場合、おそらく、ここに問題が生じてくる。

 議員定数不均衡訴訟の場合は、憲法上の争点が既に確立しており、証拠資料の収集など、争点提起方法も事実上確立しているであろうから、今現在においては、憲法判断回避の法理を緩めた場合の問題点というのが具体化することはあまり考えにくいのかもしれず、実質的な不都合は生じにくいのかもしれない。しかし、それはこれまで選挙が行われる度に議員定数不均衡訴訟が提起され、争点等が確立しているから問題となりにくくなっているだけであって、理屈の上では、神奈川県選挙区の一票の価値を問題として東京都選挙区の選挙の違法を争うのは、何か変な気がする。

 私の考えは、どこか間違っているのだろうか。誰か教えてほしい。