実務家弁護士の法解釈のギモン

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公務員の政治活動の自由(4)

2012-12-20 09:46:18 | 民法総則
 判例が、事案が異なると言っている点については、千葉補足意見が参考になる。千葉補足意見を私なりに要約すると、裁判所の法解釈はあくまでも現実の事案を踏まえての解釈であり、事案が異なれば、その事案に沿った法解釈をするのが当然であり、異なる事案における解釈は参考にならないということだろうか。
 現に判旨を見ると、猿払事件の事案は、今回の限定解釈に当てはめても、やはり有罪となるべき事案であったかのような判示ぶりとなっている。

 しかし、判例法主義の国に関して判例法理の解釈を行うのであればともかく、成文法主義の日本においては、成文法の条文解釈が問題となるのであり、このことは、萎縮効果を嫌う表現の自由の制限立法や、罪刑法定主義が支配する刑罰規定に関しては、事案に対する結論が妥当であればそれでよいというものではなく、成文法そのものの解釈が特に重要なはずである。さらに言えば、付随的違憲審査制の下では、憲法判断は終局的解決のための判断ではなく、判決理由中の判断でしか憲法判断がなされない場合が多い。
 今回の判例でも、単純に言えば、公務員による政党新聞の配布という行為が刑罰法規の構成要件に該当性するかどうかが問題となっているのであるが、これが構成要件に該当しないという結論のみを取り上げたのでは、刑罰法規についてどのような解釈をしたのかがさっぱり分からない。理由中で刑罰法規の解釈を示して初めてその結論の正当性が判断されるのであり、その刑罰法規の解釈が憲法を参照しなければならないのであれば、法解釈の前提としての憲法解釈を判決理由中で示す必要があるはずである。合憲限定解釈を行うのであれば、こうした思考の過程は特に重要である。
 このように、少なくとも合憲限定解釈を行う場合、憲法判断は法解釈を行う上での前提行為でしかなく、判決理由中の判断こそが、憲法判例そのもののはずなのである。

 千葉補足意見は、今回の最高裁判例を、そもそも合憲限定解釈とは考えていないようなので、事案が異なれば結論も異なりうるという、単純な考えをしているのかもしれないが、今回の最高裁判例が憲法判例の一つと考えれば、それ程単純な問題ではないはずであり、事案を異にするという一言で猿払事件判例との違いを片付けるのは、やや問題だったのではないかという気がする。

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