実務家弁護士の法解釈のギモン

弁護士としての立場から法解釈のギモン,その他もろもろのことを書いていきます

批判を批判する

2010-07-14 12:56:56 | 時事
 法律問題とは関係ないが,気になったことがあってちょっと一言。

 日本相撲協会の理事長代行が名古屋場所2日目を「休場」したことについて,マスコミはかなり批判的な論調のようである。
 本場所での理事長の「休場」は,確かに異例中の異例なのかもしれず,本来であればあってはならないことなのかもしれない。
 しかし,外部の人物が理事長代行になること自体が異例中の異例なのであって,自らの本業があるはずにもかかわらず,理事長代行を引き受けているのである。その自らの本業を完全に棒に振ってでも理事長代行職に専念せよという方が所詮無理な話である。もし,どうしても理事長代行の本場所の「休場」が許されないのなら,理事長代行を選任する段階で,候補者の「フル出場」が可能かどうか,確かめておくべきなのである。しかし,今の相撲協会は,本場所の「休場」の当否よりも,有能なトップとして相撲協会の改革のための手腕が試されるのである。そもそもが相撲協会自体が異常事態にあるなかで選任されている外部理事長代行である以上,本場所を「フル出場」できたかどうかという「通常」の仕事が試されているわけではないはずである。
 マスコミの論調でも外部理事の選任そのものは評価していたはずである。この異例中の異例の人事をしてでも相撲協会の立て直しのために,外部理事が理事長代行となったのである。それにもかかわらず,様々な事情で2日目を「休場」しただけで,批判にさらされるとは,当の理事長代行も仰天であろう。何もズル休みをしているわけではないはずである。
 私は,この種のマスコミの批判が許し難く感じるのであるが,そのように感じるのは,私だけであろうか。

 似たようなことは,過去にもあった。社会保険庁のトップである長官に民間人を起用した時である。
 その民間人たる長官からの保険料回収率の上昇の指示に対し,社会保険庁は,いわゆる「分母減らし」という操作をして見かけ上回収率を上昇させたかのように装って大変な批判を浴びたのを記憶している。
 しかし,数字操作を行ったのは,当の長官ではなく,現場に回収の仕事をしている社会保険庁の役人である。それにもかかわらず,トップたる長官が批判の矢面に立たされたのである。
 この時は,政治的に長官に対する批判が利用された側面があったことも否定しがたいとは思う。ところが,マスコミは,この政治的批判に完全に同調してしまった。この時も,私はこの民間人たる社会保険庁長官が気の毒で仕方がなかった。

 郵政公社の時代にも,民間人がトップとなった際,資産の投げ売りのような廉価売却などで批判にさらされた。この時は,確かに売却価格が廉価に過ぎるような印象がないではなかったが,もう少し冷静なマスコミの論調があってもよかったのではなかったかと思っている。

 このようなことが続けば,ある組織の不祥事が起きた際に,外部の者がその組織のトップや要職に就いて組織改革を行うことは,おそらく出来なくなってしまうだろうと思う。

 揚げ足を取るようなマスコミの批判に対し,私は批判する。

定義規定の???(6)

2010-07-12 13:42:33 | その他の法律
 私が定義規定で一番問題としたいのが、「社債」の定義(会社法2条23号)である。

 旧法時代には、社債についての定義規定は存在せず、一般には「公衆に対する起債によって生じた株式会社に対する金銭債権であって、有価証券が発行されるもの」というような定義で説明されていたと思う。新法では全く違っており、会社法2条23号では、「この法律の規定により会社が行う割り当てにより発生する当該会社を債務者とする金銭債権であって、第676条各号に掲げる事項についての定めに従い償還されるものをいう。」となっている。
 この規定の意味であるが、立法者としては、まず「会社」が行うものであることから、外国会社が発行する債権(債券?)は「社債」ではないこと、さらに会社法676条の規定が適用されることを前提としているので、外国法を準拠法として発行する債権(債券?)は、たとえ会社が発行するものであっても「社債」ではないことを、意識しているようである。
 この立法者意思の当否はともかくとして、この「社債」の定義で、果たして、「社債」として『発行すべき』債権(債券?)が何かが明らかとなっているのであろうか。何を言いたいかというと、会社が、会社法676条が適用されることを前提に発行されたものが「社債」であることは間違いないであろうが、会社がを起債する場合に、会社法676条を『適用しなければならない』場合があるかどうかについて、果たして明らかとなっているのだろうか、ということである。

 例えば、①ある会社が総額1億円の起債を銀行に限定して募集して、ある一つの銀行が全額これに応じた場合に、これが社債であろうか。これが社債であるとして、それでは、②ある会社が総額1億円の借り入れを銀行に申し込んで、ある一つの銀行から全額借り入れた場合、これは社債であろうか。①と②の事案は、文章で説明すれば違う表現をしている事案であるが、例えば、②の事案であっても、会社側で借り入れ条件をすべて決めて銀行に借り入れの申し込みをすれば、実質は①と何も違わないではないか。①の事案あっても、どのような条件なら起債に応募してくれるかを、予め銀行と協議し、そこで事実上決まった条件で起債することを会社が決定すれば、②のような一般の銀行借り入れと何が違うのであろうか。
 もっと問題のある別の事案で考えるに、③一般公衆に一口1万円で総額1億円の起債を募集したい場合に、676条と違う償還条件を定めること(例えば、いくら借り入れが可能かわからないとしておおよその総額しか定めないとか、個々の引受人に対する償還条件を別個に定めるなど)が可能であろうか。普通の1万円の金銭消費貸借の借入の申し込みが多数行われているだけだと考えれば、これは社債ではない。が、これは違法ではないのだろうか。
 何が言いたいかというと、676条に『従わなければならない』という条文上の根拠が難しく、676条に『従わなければならない』起債の場面というのがあるのだろうか、という疑問なのである。

 旧法時代は、「公衆に対する起債」といのが定義の中心であったと思われるので、これを前提とすると、③の事案では、676条と違う償還条件を定めることは許されないという結論を取りやすそうであるが、現行法の定義では、「公衆に対する起債」というのが要件となっていないのである。
 もし、以上のように現行会社法を形式的に解釈すると、結局、社債に該当する債権(債券?)は、会社が意識的に676条を適用することを意図して起債した債権(債券?)だけということになる。どうも、江頭憲治郎教授の株式会社法第3版656頁は、このような解釈をとっている(というより、とらざるを得ないと考えている)ようである。そうだとすると、会社が起債するときに、社債の規定を適用するか否かは、当該発行会社の全くの任意ということになってしまう。
 しかし、このような形式的な解釈が、実質的に妥当性を持っているとは、到底思えない。社債に該当するかどうかは、社債管理者設置義務の有無などで少なからぬ違いが存在するからである。

 結局、現行法の社債の定義の内容が無内容化していることに大きな問題があると思われるのである。やはり、「社債」とは、会社が公衆に対して起債することを可能にする債権(債券?)のように定義すべきではなかったか。あるいは、少なくとも公衆に対して起債するには、社債として起債しなければならないことを、別途一条文設けるべきであったように思う。現行法の解釈論としても、同様に解釈すべきであると思われるのだが……。
 社債の定義から、「公衆に対する起債」という言葉が抜け落ちたのは、総額引き受け(あるいは金融商品取引法の言葉で言えば、「私募」)の方法で発行する社債があり得ることを意識してのことと思われる。しかし、過不足のない社債の定義をどうするかと、公衆に対して起債するには、社債として起債する義務があるか否かとは、別の議論があり得るはずである。そのことを意識した立法が必要だったのではあるまいか。
 公衆に対して起債するには、社債として起債しなければならないことを、別途一条文設けるべきである。

定義規定の???(5)

2010-07-09 09:55:15 | その他の法律
 公開会社の定義(会社法2条5号)にいたっては、明らかにおかしいといわざるを得ないと思うのである。
 公開会社の定義を一言で言えば、「非公開会社でないもの」と、裏から規定されているので、非常にわかりにくくなっている。では、この「裏」に当たる非公開会社とは何か。教科書では一般に、全株式譲渡制限会社が非公開会社であり、従って、「表」にあたる公開会社は一部でも譲渡制限のない株式を発行している株式会社であれば、すべて公開会社であると説明される。
 しかし、会社法2条5号の「裏」の方を良く読んでもらいたい。「裏」の方に「『全部又は一部』の株式が譲渡制限株式の定款の定め」と読めるではないか。つまり、一部譲渡制限株式を発行する会社は、非公開会社であると、会社法2条5号には書いてあるように読めるのである。私の読み方に間違いはないと思うが、いかがであろうか。
 私の指摘どおりだとすれば、これは立法のミスである。立法作業は人間の行うことであり、ミスが発生するのも致し方のないことかもしれない。しかし、ミスだとすれば、早めに改正を行うべきであろう。

 そもそもが、現行会社法は譲渡制限のない株式を発行している会社を特別に「公開会社」と呼び、特別な定義を設けようとしていることに無理があると思われるのである。なぜなら、株式は、本来自由に譲渡できるのが原則なのだから、理論的には公開会社の方が原則的会社形態なのであって、非公開会社の方が例外的存在のはずなのである。例外的存在のはずである非公開会社ではなく、本来的には原則的形態のはずである公開会社の方に特別な定義を割り当てようとするから、その定義そのものも、裏から定義せざるをえないという非常に分かりにくいことになってしまい、それが立法のミスを招いているように思われるのである。
 会社法全体の規律の方法として、非公開会社たる最も小さい機関設計の会社を原則形態とした上で、機関設計が大きくなるに従って特則を設けるという前提で現行会社法を立法したという趣旨のことを聞いたことがある。だから、あたかも非公開会社が普通の会社であり、公開会社が特別の会社であるかのように定義し、公開会社の特則を各所で規律するという建前を取っているのだろうとは思う。
 社会の実態として、機関設計の規模の小さい株式会社が圧倒的に多いという前提での立法方法だとは思うが、法律家である私の見方からすれば、やはり理屈に合わないのである。そのため上記の立法方針も完全に貫かれているわけではなく、「公開会社でない会社」の場合の特則の規定も少なからず残されている。
 以上の結果、現行会社法の規定は、旧法で理解してきた法律家である私には、非常に読みにくい(ひいては理解しにくい)法律となってしまっているのである。

定義規定の???(4)

2010-07-07 13:21:22 | その他の法律
 会社法における定義規定においても、?と思うものがあり、こちらの方は、害もありそうなのである。

 まずは、それほど害のなさそうなものとして、「会社」そのものの定義である。
 会社法2条1号では、会社とは、「株式会社、合名会社、合資会社、合同会社をいう。」となっている。この定義は、いままでの私の議論からすると、確かに「会社」の要件を「定義」としているので、論理的ではある。が、定義として非常に無内容なものとなっている。
 旧商法における会社の定義は、会社とは商行為をなすを業とする目的を持って設立した社団をいう(旧商法52条1項)、ということであった。そして、この会社は、合名会社、合資会社、株式会社の三種類とするとして(旧商法53条)、会社の種類は会社の定義を要件論的にさらに絞り込む意味しか持たせていなかった。この絞り込みのための規定が、新法では「定義」になってしまったのである。
 おそらく、民事会社という概念をなくすことと、外国会社を「会社」の定義に含めないことに改正の意義があるのかと思われるが,私には、旧法の定義の方が、定義に実質を持たせてより本質的な内容となっており(民事会社の概念をなくすのであれば、旧法の定義のうち「商行為」という言葉を変えればよい)、かつ、論理性も失われていないと思われるが、いかがだろうか。

定義規定の???(3)

2010-07-05 13:01:38 | その他の法律
 破産管財人の定義(破産法2条12号)も同じような側面がある。このことも、保全管理人の定義(破産法2条13号)と比べれば、一目瞭然である。破産管財人の要件論としての定義は、破産手続開始決定により裁判所が破産管財人として選任した者、というような表現になるはずである。破産法2条12号は、効果を説明しているだけである。
 結局、財団債権や破産管財人のような定義規定を設けるならば、定義規定として規律するよりは、旧破産法のように別条文として効果を規定する方が素直のような気がするのである。
 もっとも、法律論は、数学的厳密性を要求されるわけではないので、「定義」を何が重要なのかという点から説明し、そのために効果面から説明したからといって、ことさらに何か「害」があるわけではないであろうし、仮に定義規定を設けるとすれば、財団債権の定義や破産管財人の定義のような、実際の制定法のような定義をしたくなる気持ちも、全く分からないわけではない。