債権法改正の中間試案について、思いつくままに意見を書いてみたい。
中間試案の中身に、授権、あるいは処分権授与という、これまでの民法典にはない新しい概念が登場している。どのような中身かを直感的に言うと、自己(A)の財産の処分を他人(B)に委託することであるが、これを代理という形(A代理人B名義)ではなく、その他人が自己の名義(B名義)で処分することである。
時々、代理人が顕名をしないまま代理人名義で代理行為をする場合があり、この場合は解釈上その効果は本人に帰属するという解釈が採られる場合がある。しかし、授権の場合はそうではなく、債権債務関係はあくまでもBに帰属し、本人であるAには帰属しない。ただし、Aの財産の処分という所有権移転の効果は直接に発生するというのである。
この、「授権」に関することは、民法典には規定はないものの、実は民法総則の教科書的な本には一定程度の記述のある教科書も存在する。代理とよく似ているから、代理のところに「授権」という項目で記述されているのである。これを条文化しようという試みであろう。
ところで、「授権」とよく似た仕組みは、「問屋」(といや)という形で商法上存在している。商法551条によれば、問屋とは、自己の名をもって他人のために物品の販売または買い入れをなすことを業とする者である。典型的な問屋営業として、よく証券会社が挙げられる。顧客の委託に基づいて、証券会社が自己の名前で株式の売買を証券取引所に注文を出すのである。この場合、株式の売買は顧客の委託に基づいて行われるが、売買契約は証券会社に帰属する。
もし、「授権」という概念を民法上規定するとすれば、この「問屋」と「授権」とはどのような関係になるのだろうか。同じだとすれば、「問屋」は民法上の「授権」に対する商法上の特別規定ということになるだろうか。
また、「問屋」の規定からフィードバックして考えた場合に、「授権」というのは、処分授権だけではなく、いわば取得授権のような自己が財産を取得することを他人に委託するのも、一種の「授権」と考えることもできそうであるが、中間試案では、「処分」のことだけについて条文化が想定されているようである。この点はどうなのであろうか。
以上、授権についての思いつくままの感想である。
中間試案の中身に、授権、あるいは処分権授与という、これまでの民法典にはない新しい概念が登場している。どのような中身かを直感的に言うと、自己(A)の財産の処分を他人(B)に委託することであるが、これを代理という形(A代理人B名義)ではなく、その他人が自己の名義(B名義)で処分することである。
時々、代理人が顕名をしないまま代理人名義で代理行為をする場合があり、この場合は解釈上その効果は本人に帰属するという解釈が採られる場合がある。しかし、授権の場合はそうではなく、債権債務関係はあくまでもBに帰属し、本人であるAには帰属しない。ただし、Aの財産の処分という所有権移転の効果は直接に発生するというのである。
この、「授権」に関することは、民法典には規定はないものの、実は民法総則の教科書的な本には一定程度の記述のある教科書も存在する。代理とよく似ているから、代理のところに「授権」という項目で記述されているのである。これを条文化しようという試みであろう。
ところで、「授権」とよく似た仕組みは、「問屋」(といや)という形で商法上存在している。商法551条によれば、問屋とは、自己の名をもって他人のために物品の販売または買い入れをなすことを業とする者である。典型的な問屋営業として、よく証券会社が挙げられる。顧客の委託に基づいて、証券会社が自己の名前で株式の売買を証券取引所に注文を出すのである。この場合、株式の売買は顧客の委託に基づいて行われるが、売買契約は証券会社に帰属する。
もし、「授権」という概念を民法上規定するとすれば、この「問屋」と「授権」とはどのような関係になるのだろうか。同じだとすれば、「問屋」は民法上の「授権」に対する商法上の特別規定ということになるだろうか。
また、「問屋」の規定からフィードバックして考えた場合に、「授権」というのは、処分授権だけではなく、いわば取得授権のような自己が財産を取得することを他人に委託するのも、一種の「授権」と考えることもできそうであるが、中間試案では、「処分」のことだけについて条文化が想定されているようである。この点はどうなのであろうか。
以上、授権についての思いつくままの感想である。
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