今回は『マルクス・ガブリエル つながり過ぎた世界の先に』と同じインタビュアー大野和基による『世界史の針が巻き戻るとき』(PHP新書)についてです。
同じ本を愛読書として何度も読むのもよいですが、同じ傾向のものを続けて何冊も読むのも知識が記憶に定着しやすく、理解も徐々に深まっていくのではないかと思います。
少なくとも私はだんだん日本語の哲学用語に慣れてきました(笑)
目次
はじめに(新しい哲学が描き出す、針が巻き戻り始めた世界とは)
第I章 世界史の針が巻き戻るとき
第II章 なぜ今、新しい実在論なのか
第III章 価値の危機 間化、普遍的な価値、ニヒリズム
第IV章 民主主義の危機 コモンセンス、文化的多元性、多様性のパラドックス
第V章 資本主義の危機 コ・イミュニズム、自己グローバル化、モラル企業
第VI章 テクノロジーの危機 「人工的な」知能、GAFAへの対抗策、優しい独裁国家日本
第VII章 表象の危機 ファクト、フェイクニュース、アメリカの病
補講 新しい実在論が我々にもたらすもの
マルクス・ガブリエルが提唱する「新しい実在論」は、「ポスト真実」の言葉が広がり、ポピュリズムの嵐が吹き荒れる現代において、「真実だけが存在する」ことを示す、画期的な論考とされます。
本書は、今世界に起こりつつある「5つの危機」を取り上げます。価値の危機、民主主義の危機、資本主義の危機、テクノロジーの危機、表象の危機の5つですが、最後の「表象の危機」はその前の4つの集約であるため、正確には4つの危機とその根底にある1つの危機と表現できます。
そして、時計の針が巻き戻り始めた世界、「古き良き19世紀に戻ってきている」世界を、「新しい実在論」はどう読み解き、どのような解決策を導き出すのかが比較的わかりやすく解説されています。
さらに、2章と補講では「新しい実在論」についての、ガブリエル本人による詳細な解説が収録され、特に補講では、ガブリエルが「私の研究の最も深部にある」と述べる論理哲学の核心を図解し、なぜ「世界は存在しない」のか、そしてなぜ「真実だけが存在する」のかに関する鮮やかな論理が展開されています。補講は論理学の素養がないと論理記号表現にちょっと戸惑うかもしれません。また、さらっと読み流してしまうと「え?どういうこと?」とクェスションマークが残ってしまいますが、自分でゆっくり図に描いてみればそれほど複雑怪奇なことが言われているわけではないことが分かります。
「世界は存在しない」と日本語で言うと無駄に大きな疑問を誘発するような印象を受けますが、ドイツ語であれば「Es gibt nicht DIE Welt」と定冠詞を強調するだけで、それほど大きな疑問を投げかけないと思います。「Es gibt nicht DIE (Welt)」と来れば、ほぼ自動的に「sondern mehrere (verschiedene Welten)」と続くことが予想可能なほど定型的な思考パターンのように思えます。唯一無二の万人に共通して認識される世界(DIE Welt)は存在せず、知覚者の数の分だけ異なるいくつもの世界がそれぞれの文脈に現出するという主張です。その意味では、原書のタイトル『Warum es die Welt nicht gibt』のニュアンスが『なぜ世界は存在しないのか』では十分に訳出されていないように思えます。定冠詞・不定冠詞の微妙な意味付けを日本語で表すのが容易でないのは事実ですが。
日本人読者のための著作であるためなのかどうか分かりませんが、全体的な印象としてガブリエルは日本を高く評価しすぎなのではなかろうかと首を傾げるところがあります。
日本は間違いなく技術大国ですが、業界によってテクノロジー化のスピードが異なり、いまだに手書き書類やファックスがデフォルトの業界も少なくはないことや、キャッシュレス化で相当遅れを取っていることなどは考慮されていません。何かGAFAに対抗するテクノロジーが現れる可能性があるとすれば日本だとガブリエルは期待しているようですが、どうなんでしょうか。
マンガやアニメにたまごっちなどファンシーで独特な「リアリティ」を創出した日本文化は、確かに科学万能を掲げる自然主義(科学で証明できないものは存在しない)という誤謬に陥りにくく、違うリアリティに対する感受性が高いと言え、それが表象の危機を乗り越えるための手がかりとなる可能性はあるのかもしれません。
もしかしたら彼なりの日本人に向けたエールなのかもしれませんね。