懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

蒸気機関車 C5527号機

2014年09月21日 | 蒸気機関車
撮影場所 宮崎機関区

C5527は吉松機関区所属、昭和46年5月には休車になり10月には廃車されている。
肥薩線、吉都線、日豊線を走っていた。
宮崎駅にも客車、貨物を牽引していたようだ。
かって流線型だったのを普通形に改造したと書いてある。

鉄道ファンの層の厚さには驚かされる。
C5527号機で検索すると同機の写真が沢山投稿されている。


親父ギャグ その9

2014年09月20日 | オヤジギャグ


1.義母の遺したギャグ

家内の母が9月15日に90歳で亡くなった。
余り冗談を言う人ではなかったが一つだけ言ったギャグを思い出す。

冥途の入り口には看板が掛かっていて「冥途 IN JAPAN」と書いてあるといった。
このギャグネタはいただきと思った。

冥途に行く時にこの看板を見たのであろうか

生きている時にもっと戦前戦後の厳しい時代の話を聞いておくべきだった。
あれだけ話す時間があったのに家内の幼い頃の話も聞かずじまいであった。
苦しい話、辛い話もあったと思うが弱音も吐かずに黙々生きた人生だった。

人間は生きている時に皆に印象付ける話しを残しておきたいものだ。

岡山の茅葺民家写真展 - 43 過疎に生きる その1

2014年09月20日 | 岡山の茅葺民家写真展
今回から「過疎に生きる」を3回にわりたりお送りします。


撮影場所 岡山県加茂町倉見(今は津山市)

加茂町倉見も厳しい過疎地である。
特に集落に行く道の途中に黒木ダムが出来て隣の集落のつながりが切れ孤立状態となった。
20年前にすでに出産可能な夫婦は集落にいなかった。
小学生もこの集落にはいなかった。
戦後の多い時にはこのむ集落に300人が暮らしていた。
部外から人が移り住まなければ10年後、20年後には消滅する。

写真の民家も老婆が住んでいたが民家も両方取り壊された。
今は人がここで生活していた痕跡も消えてしまった。

茅葺き民家も15棟はあったが今も人の住んでいる家は何軒あるのであろう。


茅葺き民家  京都府美山町の民家

2014年09月19日 | 茅葺き民家
杉の木に茅葺き民家、美山町の風景である。今は南丹市
美山町には300軒の茅葺き民家があった。
近隣の京都市や日吉町、京北町、丹波町の茅葺き民家を毎日一軒づつ投稿しても2年はかかる。
同じ場所ばかりでは飽きるのでランダムに投稿している。
今も一日撮影できない程の茅葺き民家が残っている。

日本の美しい田園風景が残っているのも嬉しい。特に秋の風景は日本の風景とおもう。
山があり谷があり田があり川や池のある風景が心落ち着く風景である。
写真の風景も今後30年、40年後はどう変化していくであろうか
過疎化、高齢化、日本の農業の行く末、林業の行く末、

この風景から建物が消え田畑が雑草に覆われる風景にだけはしてほしくない。


日本茅葺紀行 NO,160  岡山県井原市の民家

2014年09月18日 | 日本茅葺紀行

岡山の西部の井原市、このあたりのエリアは茅葺き民家はほとんどない。
奇跡的に一軒残っていた。子供の遊び道具があったのでお婆さんに聞いたら10人家族だという。4世代で暮らしている。今どき珍しい鶴瓶の家族に乾杯が喜びそうな家である。
4世代で暮らすには働く場所がある事が条件である。お婆さんの息子夫婦、孫夫婦は働きにでている。
過疎地は働く場所が無いので都市部に仕事を求めて出ていき人口減少の歯止めが掛からない。
夕食は10人全員で食べるようにしていると言っていた。
家内が聞き役でいろいろと聞きだす。
こんな話は女が上手い、自己主張せず淡々と聞き役に徹し相手が話しやすくする。人間は初対面の人に話したい事が沢山ある、特に爺ちゃん婆ちゃん。そのうちに聞きもしないのに家庭の実情を勝手に喋り出す。私は傍で聞いていてブログのネタに使わせてもらう。

女でも黒柳徹子の会話は下手くそである。自分の主張が強すぎるので嫌い、すぐにテレビのチャンネルを切り替える。知識や経験があるだけに黙っておられない、ゲストの話が聞きたい徹子さんの話は聞きたくないのです。

男は総じて自分の知識を振りかざし自分のペースで話をする。
訪れた人の話を聞き出さないといけないのに、住人の方に自分の主義を聞かせてくる人がいる。それだけは避けたい。
旅に出る時に見るだけ食べけるだけの旅行が多くなっている。地元の人に聞く事がすくない。
聞くと言ってもガイドの説明か客の自慢話かカラオケくらいである。






懐かしい物 縁側のある民家

2014年09月15日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県旭町


縁側のある茅葺き民家、最近の民家は縁側のような無駄なスペースは作らない。
昔は縁側で裁縫をしたり豆やキノコを干したり、近所の人が来るとここで話し込んだ。
家にあがりこむ事なく世間話をする場所でもあった。
また、猫が昼寝をする場所でもある。
この家の障子は猫の出入り口を作っているが他の障子を破っている。
猫といえば縁側で昼寝のイメージである。
玄関も障子である。防犯セキュリティの大変低い家屋である。
昔の日本の民家はこの程度だった。障子を破ればすぐにツッカエ棒は外れる。
泥棒や強盗が少なかった時代である。
田舎に行くと鍵を夜も出かける時も掛けない家があった。
この家の玄関脇は牛小屋であろう、内厩になっている。
今は昼間はみんな働きに出ていて昼間縁側で話すことも裁縫をする事もなくなった。

ただただ懐かしい日本の風景である。
雪の多いところではこんなタイプの縁側はないと思う。




親父ギャグ その8

2014年09月14日 | オヤジギャグ



コマーシャル編

1.芋は土付きが長持ちするのだって
 土は芋の基礎化粧品、なんといってもドロホルンリンクル
 というじゃない。正しくはドモホルンリンクル


2.便器の掃除にはベンザエース
 お宅の便器の汚れは何処から

3.ウォシュレットが故障で使えない。ベンザブロックされた。

 こんな事書くと武田薬品に営業妨害と訴えられそう。

岡山の茅葺民家写真展 - 42 カルスト台地 その3

2014年09月14日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県哲多町萩尾(今は新見市)

前回の写真の新見市法曹と哲多町萩尾はすぐ近くである。
今は同じ新見市なのでカルスト台地つながりで同じような風景が続く。
キャベツ畑の横をお婆さんが杖を持ち歩いていたので撮影させてもらう。
畑の端に積まれた石垣も石灰岩である。
かなりくたびれた茅葺き民家である。雨が漏るのかトタンを置いてある。
数年で取り壊されたのであろう。
茅葺き民家の厳しい現実や山間地の厳しい生活を見てきた。
問題意識を持つだけでは何も生まれない、とにかく行動して現実を見ることである。
行って何かをを発見するそれが旅だと思う。最初から見るところ立ち寄るところが決まっている旅はツアー旅に任せておけばよい。
崩れる民家と高齢化する山間部の人々が撮れたのは良かったと思う。

この近くに無明谷というのがある。石灰岩の間を川が浸食して深い谷を造っている。
太陽が差し込まないので無明谷と言われている。貴重な山野草が見られる。
私も野生のスハマソウをここで初めてみた。
また西に数キロ行くと荒戸山がある。標高762メートルの火山でマグマが押し上げられて山になった。登る途中の岩は角い塊の石が積みかねたようになっている。明らかに火山のマグマが押し上げられたのが見てとれる。上には15メートルの塔があり高さを777メートルにしている。

茅葺き民家 奈良市の茅葺き民家

2014年09月13日 | 茅葺き民家
紀伊半島一周の旅の途中、奈良を通過した。
奈良や京都の観光地は50歳を過ぎるまで行った事がなかった。
観光地の人が大勢行くところは行く気がしかった。
行ってみるとあれだけの観光客が来るので素晴らしい建物や庭園があるのだ。
しかし、プロやハイアマチュアの人が大勢撮影している場所は私のレベルては一緒の風景を撮っても勝負にならないし膨大な写真が残されているのも観光地の特徴だ。それより日常の人々の暮らしを撮りたい、だから観光地に撮りに行く気になれなかった。

余り人が撮らない場所やテーマで撮っていくしかないと思っている。
奈良から山中に入り伊勢街道を走る。この道は国道ながら酷い道だった。
しかし。現在は伊勢街道も広い立派な道になっている。

奈良市の南部の国道脇に三軒茅葺き民家があった。
季節は六月中洵、民家の斜面の草むらに笹ユリが咲いていた。
竹の葉のような葉に薄ピンクの上品な花を咲かせる。
盗掘もあるが猪が好物で掘って食べるので激減している。
ここは人の眼があるので盗掘も猪の被害もなく残っている。
他の茅葺き民家の庭にも笹ユリが咲き大切に育てている。
山の斜面からむ種が飛び自然に生えたもの。
笹ユリを鶏糞などの肥料をやると病気で枯れる。なにもせず自然がいいと言っていた。
私も育てていたが有機肥料は病気になるので化成肥料を三粒程度やっていた。




日本茅葺紀行 NO,159  大分県日田市の民家

2014年09月12日 | 日本茅葺紀行
日田市は「ひたし」と読むそうだ。「ひだし」と入力すると飛騨市とでてくる。
地名、人名はいろいろ読み方があり難しい。
話は余談だが全米テニス準優勝の錦織は島根県松江周辺では目にする苗字だが、「にしこり」と読むのだ。
「にしきおり」や「にしごうり」「にしごり」が多いようだ。「にしきおり」というバリトンの歌手もいたが島根の出であろうか。

大分自動車道を走っていしたら茅葺き民家が見えた。茅葺民家の友達から教えてもらったら情報で日田市に行く。
耶馬渓から入るコース、湯布院側から入るコース、福岡県の浮羽町から入るコースで何回か掛けて山道も含め走った。大分の山道は雪が降らないので狭い道が多い。
山の中を迷路のように細い分かれ道がある。メイン道路があり枝分かれした道ならば分かりやすいがどれがメイン道路か枝別れか分からない道は迷いやすい。
日田市と言ってても天瀬町やW杯でカメルーンを誘致した西津江村も編入した。
日田市の奥まった集落にこの家があった。
このあたりまては天然温泉(天瀬温泉)もあり温泉と抱き合わせの旅行ができる。
棟仕舞を竹簾で巻いている。出雲地方には竹簾で巻いた家があるが他のところでは余り見掛けない。竹簾に棟飾りの茅を束ねたダゴ飾りをしている。