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懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

懐かしの蒸気機関車写真展 その45 「急行ニセコ」 函館本線

2013年11月09日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 北海道 函館本線長万部

急行ニセコは山岳の多い函館本線を走っていた。
函館から札幌に向かう特急は平坦地の多い函館本線、室蘭線、千歳線経由だった。
函館本線の山岳コースはC62形の重連が力強く走るので大変人気があった。
しかし、このC62形ニセコも昭和46年秋に幕を閉じる。
蒸気機関車からDD51のディゼル機関車の重連運行になった。
若者の多くは北海道へ渡り数多くの写真とドラマを生んだとおもう。
私もそのニセコを追いかけて厳冬期の北海道を旅した。

長万部を発車するニセコ重連はC62形の2号機、3号機のコールデンコンビだった。
発車時刻は14時を過ぎていた。もう薄暗くなりかけていた。
シャッター速度1/250が辛うじて確保できた。

夜間の撮影は倶知安駅、もうあたりは真っ暗だった。C622号機スワローエンゼルを停車時間に長時間露光で撮影した。軽快なシリンダー音ドラフト音を残し北を目指し走り去った。





茅葺民家  島根県安来市の民家

2013年11月08日 | 茅葺き民家
撮影場所 島根県安来市

安来市の郊外に茅葺民家があった。
茅葺民家の建っているところは自分の土地で斜面であったり、川のそばであったり崖の下であったり好条件の土地ばかりではない。
隣が田圃であった棚田であったり様々である。建物の建て方も方位も様々、付属の建物も様々。宅地造成した整然として宅地では見られない光景である。
茅葺民家だけではなく地形も家の周りの風景も立木も畑も田圃もすべが暮らしの風景である。それを観察するのも面白い。

歩けていた頃は一軒一軒訪れて氏名住所を記録していた。
今は家内に挨拶に行ってもらって記録する事もなくなった。撮影まで家内にやってもらう事が多く私の趣味じゃないのになんで私がやらないといけないの文句をいう。
私はプロデューサーの気持ちで家内にやってもらっているが家内が厭と言えば私の趣味は終焉を迎える。
ちなみにこの民家は秦さんと言った。
秦と言えば渡来系民族で織物や養蚕、土木技術に日本にもたらした。
京都の太秦(うずまさ)に拠点を置き京都の織物産業に礎になったといわれていた。
松尾大社や伏見稲荷を建立したといわれていた。
秦は氏名にも地名にも残っているが現在どのような経緯で残っているかは分からない。




懐かしい物 竹かごを持った人

2013年11月07日 | 懐かしい物
撮影場所 京都府和知町(現在 京丹波市)

知和町は美山町の入り口である。
美山町から流れてきた由良川が知和町を流れる中流域にある。
知和町にも茅葺民家は残る、茅葺を撮っていたら籠を持った女性がいたので撮影させてもらう。
写真の神社の隣にわずかに茅葺民家の屋根が見える。
この籠はもう60年くらい使っていると言っていた。
戦前に作られた物である。大切に使ってきたのだろう長持ちするものだ。
プラスチック製品が余りにも安いので竹製品を使う人はいなくなった。
竹籠一個を作るのに一日は掛かるだろう、日当一万円掛かったとして材料費と込みで1.2万で売っても買う人はいない。実用品としては売れない。民芸品で売るしかない。
竹籠は天然素材の持つ温もりと作り手の心意気が感じられるものだが安っぽいデフレ思考の身に着いた庶民にはなかなか買えない。


日本茅葺紀行 その91 岐阜県瑞浪市の民家

2013年11月06日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 岐阜県瑞浪(みずなみ)市

岐阜県の岩村町冨田は農村景観が日本一との事で有名になった。
誰が審査したのであろう。大学の教授がそう唱えて日本一にしてしまった感じもする。
そこに茅葺民家があり撮影に行った。
岩村町には他にもう一軒あった。明智鉄道の脇に茅葺民家があったが今も残るか不明だ。
農村景観日本一はどうかと思う。私も全国の農村景観を見てきたが判断項目を作り定量的に判断しないと分からない。私の判断基準のひとつは茅葺民家のない所は除外である。

岩村町にくる前に瀬戸や多治見の陶器を見て瑞浪経由で岩村町まで行った。
できるだけ田舎道を選び茅葺民家のありそうなところ走った。
岩村町冨田の情報しか無かったが適当に走ったら10軒ほどの茅葺民家に出合えた。

瑞浪市の民家は小屋も茅だった。
造りは寄棟つくりであった。

懐かしの蒸気機関車写真展 その44 「峠越え」 石北本線常紋

2013年11月05日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 北海道 石北本線常紋信号所

石北本線は新旭川から網走を結ぶ、途中に常紋のり峠がある。
遠軽方面から北見に行くには高度600メートルの峠を越えなくてはならない。
峠の区間には民家も少なく区間が長いので頂上に常紋信号所がある。
蒸気機関車の走っていた頃には乗客も降ろしてくれたが19745年に停車場の扱いがなくなる。
峠越えには補機も付きゆっくりゆっくり登ってくる風景が撮影できる。
蒸気機関車の絶好の撮影ポイントだった。走行もゆっくりだし景観もいいので天気がよければ誰が撮っても70点以上の写真が場所だった。しかし、シャッターブレ、ピントブレ、不適正露出がよくある。
蒸気機関車の場合の撮影ポイントとは景観より煙よし速度遅くが条件かもしれない。

北海道の複線区間の直線路線など煙もなくスピードは速く標準レンズでは余り大した写真はとれない。経験を積めばここでは撮ってもいい写真にはならないと気付くがそれには何年も精進が必要だ。

私にとって常紋は遠い一度だけしか行く機会がなかった。











茅葺民家 篠山町の民家

2013年11月04日 | 茅葺き民家
撮影場所 兵庫県篠山町(現在は篠山市)

国道372号線は姫路と京都を結ぶ国道です。
阪神大震災の時は阪神間の高速道路や国道は壊滅的な打撃をうけて、この国道372号線がう回路として使われた。鉄道は播但線から山陰線を経由して物資が運ばれた。

この国道372号線に沿って茅葺民家は点在していた。
二軒並んで撮影するところもあった。
まだ少しは残っているが段々減少している。
この二軒並んだところの田にも住宅メーカーの民家ができて時代とともに変化している。

向井潤吉さんの画集に篠山町の民家が描かれている。
氏は京都の出身なので丹波地方にはよく訪れている。
この篠山の風景を美しい日本の農村景観と表現している。
茅葺民家の減った現在もこの一帯の風景は落ち着きが好きな土地である。

篠山の茅葺民家は入母屋で妻入りが多い、瓦葺きも町並みに面した民家は妻入りが多い。







懐かしい物 木の半鐘

2013年11月03日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県倉敷市山地


倉敷市の山地というところに茅葺民家がありそれを探していたら木の半鐘があった。
柿の葉が生い茂り半鐘が見えにくい。これを撮影していたら女子大生が何人かでやってきた。
そうしてこの前で座り込み始めておしゃべりを始めた。「なんでやねん」である。
オジサンがその光景を撮り始めたが一向に気にすることなくおしゃべりに熱中している。
この場から立ち去る事もないので聞いてみた。
この半鐘がオリエンテーリングのチェックポイントになっていたようだ。仲間を待っていたのだそうだ。

冬になり柿の葉が落ちたらまた撮りに来ようと思ったが結局行かなかった。


日本茅葺紀行 その90 奈良県榛原町の民家

2013年11月02日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 奈良県榛原町(現在は宇陀市)
写真上は冬に撮影フィルム時代に撮影
下はデジカメで家内に撮影してもらう。

大きな家である。三軒茅葺民家が連なっている。
茅葺民家の本やポスター、カレンダーに登場する民家である。
榛原町の山の頂上付近にある。途中に仏隆寺という寺に巨大な桜があり四月初旬は桜見物で車が全く動かない。大して駐車場もなく何時間もかかる。
私は茅葺民家が撮影が目的で時間を取られたくなかったので地元の人に聞いたら車一台が通れる道がありそれを通ればこの民家の下に行けると教えてくれた。帰りはもう一本別道があり渋滞区間を迂回して帰った。
なぜこんなところに大きな家があるのであろうか、茅葺民家は他に何軒もあった。
山岳信仰の場であったのだろうかとも思える。

この家はNHKの朝ドラの「あすか」竹内裕子主演にも使われたそうだ。
放映されて15年くらいなる。


懐かしの蒸気機関車写真展 その43 「峠越え」 花輪線龍ヶ森

2013年11月01日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所  岩手県 花輪線龍ヶ森

龍ヶ森は信号所で駅ではなかったが乗降はさせてくれた。今は安比高原駅に名前を変えている。この当時から駅のすぐ近くにスキー場はあった。
今は高速道路も国道も走っているので急な峠という感じはしない。鉄道にとっては33パーミルの急勾配。
今は高速道路で通過するたけだ。一度だけ安比高原の民宿に泊まった事がある。
このあたりは冬の宿泊が一番高く次いで夏休み私の行った時は7500円で一番安い期間であった。
この路線の蒸気機関車が消えたのは昭和46年の秋で私も一度一日の訪問だった。
雪のないシーズンならばこの当時ならほとんどが茅葺民家だったと思う。
しかし、蒸気機関車を撮る人は夏場はシーズンオフだった。蒸気が見えないし迫力のある煙
が撮れないので寒くなるのを待っていた。
この写真は上り貨物列車で花輪側から東北本線の好摩に向かっていた。龍が森の駅の手前数キロで撮影する。機関車はすべて8620形で後続に二両つけた変則三重連だった。