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懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

懐かしい風景 稲架掛け

2013年11月19日 | 懐かしい物
撮影場所 岩手県久慈市山根町

久慈市から山間部に入った山根町の集落がNHK昼の番組に出てきた。
茅葺民家に常設の稲架やバッタリと呼ばれる水車がでてきた。
茅葺民家の出てきそうな時は録画予約をしておく。

東北の茅葺民家の情報は持ち合わせていなかった。
北山崎などの観光も終えて久慈市に泊まった。
走れば茅葺民家はあるだろうと思ったが県レベルの道路周辺はほとんどなかった。
山の中に入って初めて茅葺に出合えた。
NHKテレビに出てきた集落に行ったら稲を干していた。
何段にも積まれていた。どうして積むのか見ていたら稲の束の下に棒を入れ上の男性に渡していた。
竹の豊富なところは竹を組み一段掛け、山陰は竹の骨組みに何段も掛ける。
新潟県は杉の樹木に棒を渡し7段くらい掛ける。
東北は一般的に棒杭に稲を掛ける棒掛けが多い。
鉄道沿線や茅葺民家をバックに撮影されている。

ここ山根町には栗の木の稲架がある100年以上経過するが現役であった。
栗の木は腐れにくいので重宝されている。
写真 稲掛けをしている後ろに茅葺民家がある。
この地方はほとんどが草棟であった。


日本茅葺紀行 その94 広島県三原市の民家

2013年11月18日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 広島県三原市

三原市の山沿いの県道脇にありよく目立つのでホームページで時々眼にする民家である。
今頃、二棟並んだ茅葺民家は珍しい。

私も通る都度四季折々撮影してきた。仏通寺の紅葉見物に行く途中に撮影した。
地味だがむ山に色が付いていたので撮影した。
昨年通ったら茅が大分痛んでいる。茅も痛みだしたら二乗的に劣化が進む。
有機物の腐敗なので水が浸透すれば劣化が急速に進む。
茅も押さえ竹が見えたり茅に溝ができると限界である。
コガネムシやカブト虫が棲みつくと食害で劣化が更に進む。
民家でもコンクリートであれ水の浸透と温度上昇が劣化を加速させる。



懐かしの蒸気機関車写真展 その47 「急行安芸」 呉線

2013年11月17日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 広島県三原市糸崎 

呉線は大型蒸気機関車C62形、C59形が残っていて大勢の鉄道ファンが訪れた。
好きな人は関東地方からも撮影にきた。
昭和45年9月14日呉線の電化により蒸気機関車は姿を消した。
糸崎機関区でさよならセレモニーが行われた。
国鉄のOBの方や現役で働く機関区の人もセレモニーに参加した。
それに交じり私も撮影させてもらう。
機関区内に自由に入りおおらかな時代であった。
参加しているのはどこを見ても男ばかりの世界であった。
今は鉄女などと言われ鉄道を撮る人もいるがこの時代は男だけの世界だった。
呉線の蒸気機関車の走行が終えた帰路につくとき虚しい気持ちになった。
あと五年したら国鉄の蒸気機関車は全部姿を消すのだと思った。
蒸気機関車といいローカル路線といい国鉄といい昭和がひとつづつ消えて行った。












茅葺民家  兵庫県三田市の民家

2013年11月16日 | 茅葺き民家
撮影場所 兵庫県三田市

三田市も福知山線や神戸電鉄沿線の発展は目覚ましく新興住宅が立ち並ぶ。
中国自動車道や舞鶴自動車道沿線には工業団地も誘致され人口の伸び大きかった時期があった。
しかし、一歩山間部に入ると日本の昔ながらの風景が残り茅葺民家もあった。今も少しは残っている。
特に三田の町から篠山町に向かう県道37号線や県道49号線沿いには茅葺民家があった。
茶畑も多かったが高齢化や農業人口の減少で荒れた茶畑が多くなった。
農業はこんな収入でやっていけないと思ったら労働意欲を失うし田畑は荒廃する。
省力化、効率化、低コスト化に知恵を絞るしかない。









懐かしい風景 屋久島の混浴温泉

2013年11月15日 | 懐かしい物
撮影場所 鹿児島県屋久島

屋久島の最高峰、宮之浦岳を登山して屋久島の南部、尾之間へ降りた。
降りる登山者は少なく道は人の歩いた跡や木に付けた目印やゴミを頼りに何度も迷いながら降りた。その頃は屋久島を一周する道路はなく温泉のあった平内あたりで行き止まりであった。
平内には海岸に温泉があった。しかし、満潮時には潮が入り入浴できない。
風呂は混浴で地元の中年以上の女性が入った。
私も若かったので女性の入浴風景を見るとドキドキだった。
撮影するのも近くで何枚も撮るのはためらい何枚か撮った。
入浴は無料ではななく10円だったように思う。
フィルムを数本しか持っていなくてケチケチ撮ったように思う。






日本茅葺紀行 その93 山口県旭村の民家

2013年11月14日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 山口県旭村(現在は萩市)

萩市といえば海の近くの海岸地帯かとおもいきや現在は中国山地の山の中までが萩市だ。
そんな中国山地の麓に旭村はある。典型的な過疎地である。
茅葺民家を探しに山道を走る。
数は少なくなっていたが時々、茅葺民家に出会う。
佐々並という地区に茅葺民家はあった。

民家は寄棟造りで箱棟である。下屋には石州瓦がつかわれている。
民家自体が冬の枯れ枝や枯れ草に同化している。瓦葺きの民家も石州瓦なので地味な落ち着いた風景である。中国地方の西半分で見られる風景である。
こんな風景は半世紀も経過すると懐かしい日本の風景になるのかもしれない。

写真家の木村伊兵衛氏はよく書物でもいっていた。写真は50年後、百年後のために現在を撮影しろと書いてあった。自分の代で50年が来なければ子や孫の代まで引き継げはよい。
しかし、写真のデーターや解説をしてなければゴミにされる。ましてやネガなど厄介者に他ならない。写真の整理が出来ないまま生涯を終わるケースが多い。今の高齢者は元気なために80歳を過ぎてもあっちこっちと撮影には行くが作品に仕上げず終わるのではないかとおもう。撮影した年数だけ整理には時間が掛かるという人もいる。

懐かしの蒸気機関車写真展 その46 「急行ニセコ 2」 函館本線

2013年11月13日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 北海道 函館本線小沢駅周辺

小沢駅から線路脇を歩いて撮影場所まで歩く雪が深いので除雪してある線路脇しか歩けない。道路から林の中に入り場所探しは難しい。
雪に降られると待ち時間は辛い。この頃のカメラにも水銀電池は入っていた。
寒いと電池の能力が著しく低下するので腹に入れて温めた。
あの頃はホッカイロもなかった。
寒さに耐えながら風をよけて何時間も列車を待った。
何時間も待ち数十秒の走行シーンを撮るために
つくづくアホな事をやっているなと思った。
人生でやる事にひとつとして無駄な事はないといわれている。
こうでも思わないとやっていけない。
目先の損得を考えずアホな事をコツコツやった者しか時代の記録は残せないのだと今思う。



茅葺民家 焚火

2013年11月12日 | 茅葺き民家
撮影場所  京都府美山町大野(現在は丹南市)

美山町大野の茅葺民家の裏の畑で焚火をしながら耕運機で耕していたので撮影させてもらう。
この地域はゆるい斜面に階段状に茅葺民家が立ち並んでいる。
しかし階段状の民家の中の茅葺民家は随分減った。

この斜面の上部に野々村仁清の生家がある。
以前は茅葺だったが今はこば葺きのへんな民家になっている。
野々村仁清の名はなんでも鑑定団で初めて知った。
京焼きの祖と言われる人で17世紀の人で生誕没年不明となっている。
自分の作品に銘を入れた人で国宝、重文が多数残っている。
このあたりの地名を野々村と書いてある地図もある。


少女

2013年11月11日 | 日記
撮影場所 岡山県倉敷市美観地区周辺


ネガをフィルムスキャンしていたらこんな写真が出てきた。
撮った事も覚えていない。少女を撮る危ないオジサンである。
ロリコンといわれそうだ。
二人が写っている写真、二人はよく似ている双子だろうか
昨日双子の集会があり三世帯双子の家庭があったとか

女性の写真はモノクロもいいものだ。





日本茅葺紀行 その92 里山風景 

2013年11月10日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 広島県大和町(現在は三原市)

このような風景を里山というのだろうかと思いながら撮影する。
田や畑があり小川が流れ池があり背後に小高い山がある。場所によっては鎮守の森もある。
山は雑木林てかっては炭焼きが行われ落葉は堆肥や焚きつけに使われていた。その傍らに集落が広がる。「ふるさと」の歌に唄われたような多様な植物、動物、昆虫が共存していた。

里山という言葉は比較的新しい言葉で私の広辞苑には登録されていない。
かっては集落の後ろの山は外山(とやま)といわれ山奥の山は深山(みやま)
外山よりは里山の方が分かりやすい。
里山に関する写真集や本も出され里山を撮影する人もハイキングする人も増えた。
茅葺民家のもっと残っていた時代に里山に焦点をあてて撮影しておくべきだった。