撮影場所 岡山市足守 平成6年に撮影したものです。
足守藩は二万五千石で木下家が12代256年にわたり治めた。
町並みは余り大きくないが古い民家が残っている。
私は昭和48年に清音駅からテクテク歩いて訪れた。
昼過ぎに歩きだしたのでついたのは夕暮れであった。
何を撮影しようと強い目的なく歩くのが目的だった。
昭和の写真は余り大した写真も残っていない。
昭和に撮影した民家も30年後もほとんど変わらない。
今は町並みを観光用にしているので以前より整っている。
足守は痛んだ家は以前からそんなに多くなかった。
町並みで味のあるのは古い町並みの中に痛んだ家も混在するのがいい。
住んでいる人には外部の人間がこんな無責任な事を言って申し訳ないが、集落や民家に郷愁を感じるのは滅びの部分があった方が好きである。
足守の町並みは滅びの部分の少ない町だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/5c/debc59350d1fe4cbc34ecdc35156aa25.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/11/1c5821dc176275c782b7dd8ecbc357dd.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/88/e6eb745a6d466c3eea3110b914375931.jpg)
足守藩は二万五千石で木下家が12代256年にわたり治めた。
町並みは余り大きくないが古い民家が残っている。
私は昭和48年に清音駅からテクテク歩いて訪れた。
昼過ぎに歩きだしたのでついたのは夕暮れであった。
何を撮影しようと強い目的なく歩くのが目的だった。
昭和の写真は余り大した写真も残っていない。
昭和に撮影した民家も30年後もほとんど変わらない。
今は町並みを観光用にしているので以前より整っている。
足守は痛んだ家は以前からそんなに多くなかった。
町並みで味のあるのは古い町並みの中に痛んだ家も混在するのがいい。
住んでいる人には外部の人間がこんな無責任な事を言って申し訳ないが、集落や民家に郷愁を感じるのは滅びの部分があった方が好きである。
足守の町並みは滅びの部分の少ない町だ。
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