撮影場所 伯備線倉敷郊外
長工デフの貨物を牽引の蒸気機関車が走る。
周りは田圃の中に新しい民家が出来ている。
今は田圃はほとんどなく住宅地になっている。
マイホームを持つ憧れと土地神話があり土地は下がらないと信じられてきた。
私の住む市は45年前と人口は変わりないアパートや社宅や借家に住んでいた人が家を建てたのであろう。大企業は沢山あるが社宅を持つ企業は少なくなった。補助して持ち家を推奨したためか
老後を考えると毎月の家賃5万円は年金では厳しいし高齢者への貸し出しは嫌われるので中古の安い家でも買わざるを得ない。
人口増加地域は値上がりも見込めるが地方都市は土地で資産が増えることは無くなった。
土地を持っても建物がないと固定資産税が高く草刈もしないといけないしお荷物である。子供か遠く離れて住んでいれば土地など貰い手がない。
撮影 鹿児島県吉松周辺 肥薩線
肥薩線は厳しい山岳路線だ急勾配、トンネル、川沿いの崖崩れ地帯と何でつくったのか疑問だった。日露戦争で戦艦から砲撃を受けないように海岸線を通さなかなった。それと宮崎にも鹿児島にも行ける。
このエリアは鹿児島県か宮崎県かはっきりしない入りこんだ地域だ。
鉄道に乗り撮影に行く者は時刻表は見るが地図はみない。現在は車で撮影に行くのでカーナビや地図でいいところを探すのだろう。
鉄道の利用者は何キロも歩かない手近かな場所で撮影する。
鉄道の走行写真も標準レンズで下手くそだ。一本のフィルムで使える写真が余りない。
列車が走ってなくても田舎の風景やレールと田舎の風景や橋だけを撮ってもよかったのでないか ススキと線路の旅情を感じる写真でもよかった。
撮影場所 広島県三原市 糸崎駅
C6223号機が普通列車ホームに誘導中
これからホームに入り呉線経由で広島までいくのであろう。
人生いままで生きた日数は2万6千日、どんな出会いがあっただろうか
自分にチャンスを与えてくれたのにチャンスと気付かなかったり避けたりと現状を見るとチャンスを生かした人生とはいえないな。
やはり頑張っている人の話しを聞く新聞雑誌を読みイタダキをスクラップしておく。
学ぶは人の真似るだと言われている。私はこんな人からこんな事を学んだと語録にしないといけなかった。農家のオジサン老人会のおじいさんも人生を生きた先輩だ。
老人になったら人の話しなどしつかり聞かない。相手が興味がないのにくどくど話す。年寄の話しは長い、くどい、わからんといわれないように
ところでこんな蒸気機関車の写真などいつまで投稿するのか読者のなかに好きな人がいて止めるわけにはいかん
撮影場所 岡山市 山陽線庭瀬鉄橋
テレビ東京BSのローカル線聞きこみ旅の制作会社から昔の写真を二枚貸してほしいと依頼があった。一日掛けて探したがもう一枚が発見できない。
制作会社はJR西日本に確認したが写真はないという。鉄道写真を持っているのは鉄道ファンてがあろう。メールで別の関連と二枚写真を送りブログに載っている写真でよければ勝手に使ってと返事する。
私はBSは受信ていないのでDVDを送りますと返事があった。
住所氏名は教えたくなかったのでDVDはいらないと返事した。
車椅子生活で鉄道には15年乗っていない、今後も乗る事はない。鉄道に興味も無くなった。
何とも愛想のない男である。
掲示板を無くせば写真を貸してくれとは言ってこないと思うが歳をとっても人から頼まれるのは人間として利用価値が残っているからである。
掲示板は無くしていけないお褒めの言葉だけではなく辛辣な意見も聞くのも何歳になっても必要だ。辛辣な意見に真実が籠っている。
撮影場所 福岡県 筑豊線中間
私が撮影していた頃は筑豊線が一番蒸気機関車の通過量が多かったのではなかったか
しかし、平坦地を走るので煙は余りでずスピードは速い路線だった。
C55型蒸気機関車の牽引する客車が走る。門鉄デフだ。みんな暑いので窓を開けている。煙が入り室内は臭い。それでも文句を言う人はいなかった。
山手線に冷房が初めて入ったのが昭和47年から便利に快適な時代になり我慢できない人が増えてすぐにキレルようになった。
昭和30年代だと石炭の出荷もありさぞかし活気があったと思う。
私は九州に住んだ時期があったので撮影に来ようと思えば来れた。
実行力が無かったのだ。若い頃はまず行動を起こし挫折せず続ける事である。
人間チャンスは何度も来ない。ハット閃いた時はチャンスである。
閃く事と挫折せず継続する事が何歳になっても必要だ。
作詞家の阿久悠氏の記録帳が公開された。仕事とは言え閃いた事を手帳に記録する。
素人の人でもメモ魔の人はいる。人生も閃きと記録と継続が必要であった。
テレビや本で他人が作ったものは身に付かない 「なるほど納得何にもせず」で終わる。
自分で閃き体験実行する事であると思う。
呉線のC62型蒸気機関車
蒸気機関車廃止も末期に近づき大型機関車のC62型が残るのは呉線と函館本線になった。
東海道線から山陽線 東北本線 常磐線と電化が進み大きな機関車の走れる路線がなくなる。
呉線も電化されてこの後にSLは廃止された。
市街地で撮ったのでいい風景の場所ではない。
呉線は昨年の七月豪雨で大きな被害を受けて山陽線と共に長期不通となった。
呉線や三原と言ってもどこにあるか遠方の人は知らないので広島県と書き込み加えた。
我々のところだと東京の船橋とか東京の大宮に住んでいるという人がいる。
撮影場所 北海道 釧網線塘路
釧路湿原の中をC58型の牽引する蒸気機関車が走る。
寒さで煙突の蒸気がいつまでも残る。
小高い山から撮影する。タラの木やサルトリイバラの棘に苦労しながら登る。
釧路湿原でタンチョウのペアーを見るその当時は全滅寸前から285羽まで増えたと言っていた。今は1500羽はいるのではないか
しかし33羽くらいに減ってから増殖で遺伝的に近いので鳥インフルエンザ―で全滅するリスクもある。
タンチョウ鶴の生育は岡山県が二番目に多い60羽がいる。各地に寄付している。
岡山のタンチョウは人が育てているので後楽園のイベントで観客の上を飛行する。