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懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

蒸気機関車 南延岡駅 C12型 55号機

2020年06月14日 | 蒸気機関車
撮影場所 宮崎県延岡市 日豊線

C12型は小型の機関車である。ローカル線用の機関車だ。
宮崎県に日之影線(高千穂線)と言うのがあり貨物列車を牽引していた。
国鉄民営化のあと第三セクターで運行していたが、台風の豪雨で橋脚が流され復旧費が膨大で採算に合わず廃線となった。

先月にNHKで22時からアーカイブスで見る鉄道廃線100選を追うという番組があった。日本の国鉄、私鉄で廃線になったのは400路線あるそうだ。
その中で100選を放送と説明があったら、地震情報が入り放送はなし。
再放送も見逃しがっくり

you tubeで日本の鉄道廃線で検索したら、テレビの放送や個人の投稿があり楽しめる。私が鉄道の写真を撮っていた頃から、赤字路線は経営を圧迫していずれ廃線になるのはわかっていた。時代はモータりジェーション化され地方では鉄道は斜陽化していた。
将来廃線になるのは分かっていながら、存在するときに記録しなかったか悔まれるところだ。
一路線一日だけでも撮影に行けなかった物かと思う。

蒸気機関車 特急にちりんとSL

2020年05月30日 | 蒸気機関車
撮影場所 日豊線 宮崎駅 DC特急 キハ80系
にちりんは日豊線経由で西鹿児島と博多を走行していた。
キハ80系は2007年にすべて運用停止になった。

日豊線も電化され蒸気機関車はもとより貨物列車も廃止になった。
時代は進化するものだ。テレビも電話もアナログだった。
パソコンで見たり送信したりカメラもデジタル化、電話は持ち歩く時代が来るとは思わなかった。



蒸気機関車 後藤寺機関区

2020年05月17日 | 蒸気機関車
撮影場所 福岡県田川市 後藤寺機関区
9600型蒸気機関車が4台並ぶ。
何故、全機撮らなかったのかと思う。ナンバープレートだけどもよかった。
フィルム撮影とデジカメの違いである。
フィルムは最小必要な物しか撮らない。

沢山撮っても残された者に、興味が無いとゴミを残すよくうなもの。
自分が生きている間の楽しみである。
盆栽やコレクションも、興味のない人にはゴミである。
自分が生きている間だけでも、楽しくやればいいのか

蒸気機関車 C57117号機

2020年04月23日 | 蒸気機関車
撮影場所 日豊線 南延岡駅発車

C57117号機が発車、これから宮崎に向けて走る。
C57117は天皇のお召列車を牽引した、名のある機関車だが保存される事なく解体された。
こんな機関車の経歴を調べるには、データーベースがある。機関車、形式と機番を入れたら即座に出てくる。
これを調べたのは鉄道マニアである。この根性たるや素晴らしい。
在りし日の雄姿も形式機番で検索できる。
鉄道ファンの撮影した蒸気機関車の写真は数億枚ある。ブログに投稿したら勝手に検索エンジンで拾いあげられる。わしの写真を勝手に使ってと思う。
日本に膨大に残る古墳や寺院、神社を城跡のデーターベース化をしてほしい。
巨木については製本化されている。
海上自衛隊で海軍の船や空軍の戦闘機を教えてほしいと言ったら機密事項で教えられない。しかし、マニアがいてホームページ参照という。どこが機密やねん。

民俗学者 宮本常一氏の撮影した膨大な写真はデーターべ-スされ公開されている。自分の撮った写真もスキャンしてあるのでデーターベース化しないと使い物にならない。私にはそんな時間がないし根性もない

蒸気機関車 急行ニセコ

2020年02月06日 | 蒸気機関車
撮影場所 北海道 長万部

C62型蒸気機関車の重連ニセコ発車
蒸気機関車は80km毎に給水が必要だ。時々給炭も必要である。
これに20分は停車して待たされる。立喰蕎麦を食べる時間はある。
電車ならば連続運転できるが、これか最大の欠点である。
まあ蒸気機関車は前時代の機関車で仕方ない。
14時すぎ出発の機関車、これより遅いと冬の北海道は暗くなる。
動く被写体を撮るのは最後の時間帯だった。

あの時代からすると技術の進歩は著しい。
中でも電子部品LSIが時代を大きく変えた。

私は定年になれば自分の撮影した、写真を自分でプリントしたアルバムを作る。
それをコタツで見ながら時代の移り変わりを振り返ろうと思っていた。
今はどうかアナログフィルムをデジタル化してパソコンなり大型テレビで見られるようになった。

蒸気機関車 函館駅ヤード

2020年01月14日 | 蒸気機関車
撮影場所 北海道 函館本線函館のヤード
古いディゼルカ―と貨物が見える。
函館は2月と言えども、ほとんど雪はない。今年もこんな感じだろう。
しかし、一度寒波がくると50センチ、一メートルの積雪がある。
雪は少し標高が高くなると積雪量が二乗で増える。函館本線は日本海沿岸と山中を走るので積雪は多かった。
優等列車は函館本線を避けて長万部から室蘭本線、千歳線で札幌に向かう。

青函連絡船のあった頃は函館も賑やかであったが、新幹線も離れて寂しいであろう。
こちから北海道へは飛行機を使う。新幹線では行かない。
それにしても今年の積雪量は少なすぎる。峠のライブカメラを見ているがほとんど降らない。スキー場やダムの貯水量が心配だ。北の高気圧も1034ヘクトパスカルと弱い。1055ヘクトパスカルくらいが来れば降雪量もあるが、寒いのは年寄りにはこたえるので程々に降ってほしいものだ。

蒸気機関車 伯備線井倉

2019年12月24日 | 蒸気機関車
蒸気機関車を横から撮る。
電柱が手前になく広い場所があり、そこで列車を待つ。
前を走り抜けるのを撮影する。
この当時の農家の民家や倉も撮っておくと参考になった。
この当時は蒸気機関車だけしか、興味がなく他の風景は撮っていない。
列車を待つ間は何をしていたのか、行き帰りの列車の中では何をしていたのであろうか? 
随分、無駄に時間を費やしたように思う。カメラ三脚を持ち歩くブラブラするのも面倒くささもあった。
今の人は鉄道撮影も、自分の車やレンタカーで行くので、休憩も寒さ暑さも車に入れる。

蒸気機関車  日豊線

2019年11月29日 | 蒸気機関車
日豊線の宮崎と延岡間 どこか分からない。
夏の日の蒸気機関車の客車
暑いので煙が出るが窓は開けている。
客車は煙で臭い。顔や手を出している。手出し顔だしは危険。
車では手がちぎれたりサンルーフから顔をだしガード下にぶつかり子供が死んだりした。
鉄道の橋脚や鋼材はあんな重量物を載せるのに華奢にできている。
鉄道は車両が重くても線路に掛かる動的な垂直荷重に耐えればよいのでないか。
一方道路は走行場所が決まっていないのでトレーラーや重機がどこを走っても耐えないといけない。 
高速道路と新幹線の高架の橋脚を見ても道路は頑丈に造っている。
阪神大震災は新幹線の高架の橋脚が座屈の被害にあった。地震が始発前であったのが幸運だった。6時30分に起きていたら脱線転覆で甚大な被害者がでていた。
新幹線の橋脚は、座屈を起こさないようにすべて補強がされた。
現在、新幹線は地震発生でP波を捉え緊急停止を掛ける。東日本大震災では脱線もなかった。しかし直下型地震はP波とS波に差がないので緊急制動の効果がなく被害がでる可能性がある。上越新幹線が地震で脱線をしたが転覆事故は免れた。




蒸気機関車 肥薩線のC56型

2019年11月09日 | 蒸気機関車
撮影場所 鹿児島県、肥薩線吉松付近
廃止になった、山野線に向けて貨物を運ぶC56型蒸気機関車。
踏切でお婆さんが列車の通過を待つ。

この当時から赤字路線で将来廃止が予想される路線は経営指数が悪く分かっていた。
蒸気機関車の廃止だけを、追うのではなく路線の廃止にも目を着けて撮影すべきであった。
鹿児島県も枝線の多くは廃線になった。
北九州の炭鉱路線は姿を消し、北海道のオホーツク沿線はほとんど姿を消した。

自分の生きた時代、写真に残っていれば思い出すが、人生の2万5⃣千日以上の日々は忘れた事が多い。人生は記録である。写真であれ絵画であれ日記、スクラップに残していないと時代の変遷が読み解けない。
こんな人生の記録を残しても、子供や家内は興味もなく
見もしないが、晩年に自分一人でじっくり見てみたいものだ。
しかし、まったくの他人で興味のある人が何人も自宅に見に来た事がある。
いまとなっては撮れない、蒸気機関車や昭和の古い町並みの写真。
写真も興味のない人にはゴミだが興味のある人にはお宝である。

蒸気機関車 貨車とカラオケボックス

2019年10月12日 | 蒸気機関車
撮影場所 宮崎県延岡駅
D51型蒸気機関車が貨物列車の入れ替えをしている。
国鉄が民営化するときに、このタイプの貨物は大量に廃棄された。
現在もJR貨物は残るがコンテナのみである。

この貨物は一両30万円くらいで売られた。トレーラーとレッカーは買い取り側が負担。資材置き場や事務所などに買われていった。
中でもこれをカラオケボックスに改造して20両くらい並べた店ができた。
カラオケボックスの発祥の地は岡山市である。
県の南部に一気に広がった。
国鉄の貨物に防音断熱と内装をして空調機、カラオケ装置を置いたもの。
入口に扉を付けて密室状態、電気を消せば真っ暗、係の人が機器の取り扱い説明に来たあとは一切こなかった。食べ物飲み物はスーパーで買い込み何時間も滞在。やがて密室のため高校生から年寄りまでが不純な行為におよび高校生は立ち入り禁止の条例が出来た。(条例を作るより密室にしないのが先よね)
密室状態を作れば犯罪にもつながる。
その後は扉に小窓を付けた、次第に窓は大きくなり密室はなくした。法令が改訂され外から見えるようになり国鉄の貨物型カラオケは消えてしまった。

後できづいたのだが国鉄の解体からカラオケボックスに改造、やがて解体の時系列はドキュメントだったと思う。
国鉄からJRで何が変わったかは、鉄道マニアの人も余り撮影していないように思う。

ネット社会になり凄いのは国鉄の貨物で検索すると形式別の詳しい解説、形式別写真と揃っている、整理してくれる人がいるのだ。