摘録 断腸亭日乗〈下〉 (岩波文庫) 価格:¥ 903(税込) 発売日:1987-08-17 |
夏に手にとったものの、二年前に読んだ上巻の、愛すべき墨東綺譚の情緒あふれる匂いとはガラリ変わり、この内容は心の準備を整え静かに端座して読むべしと(笑)いったんおいて、ようやくこの冬休みに読み始めた。後半は59歳から、太平洋戦争の時局迫る東京の風物描写がなまなましい。その上、かなり悲惨。
もともと財産家のボンで、フランスと米国に留学して以来一層味にうるさくなった美食好きなのに、空腹を忘れるため一日布団で読書という食糧難。灯火統制で原稿執筆もままならず、東京大空襲のサイレンにおびやかされる連夜のあげく、日がなむさぼるように偏愛した古今東西の貴重な本のぎっしりつまった自宅が米軍爆撃で一夜にして炎上焼失する。それでも気力おとろえず、隣席の軍人が聞こえよがしに朝寒風の海で水浴鍛錬をした話を聞いて、そもそも精神修養は日々絶えず行うもので、たまにするのは遊戯であるとバッサリ一刀両断(笑)する一方で、上野駅に出征する男子と見送りの女性が、長いあいだ見つめあったまま離れがたい様子に涙をぬぐう。
文化人情と安楽な日々の生活を愛した文豪は、当時の文化人は狂ったような一億総精神論であったはずなのに、日記にただの一度も軍国主義に迎合する記述なく、アメリカやヨーロッパと戦争するなどバカの極みと冷静に書き続けている。終戦の年67歳で「最近は書くのも楽しくないが、いっそ中止するかと思ってもなんとなく残り惜しく、命のある限りよしなき事を書き続けるとしよう」との通り、81歳で吐血して独り亡くなる前日が絶筆。続いたのは41年間。読んで震撼すること間違いない、今年のべスト・オブ・ブックスである。