私の人生で、最も長く重苦しい半年という月日が流れました。あれ以来、私の生活は一変しました。政治家にとって命ともいうべき地元活動、永田町に欠かせない政局、そして、家族との時間のすべてを捨てて、ここまで走ってきました。いや、このような事故を起こした以上、政治家の個人的な事情など、省みる価値すらありません。危機管理の甘さ、政府の説明責任、対応の遅さなど、様々なご批判をいただきました。すべては、政治家である我々に責任があります。
少しづつ、しかし着実に、原発事故の収集に向けて、わが国は前進しています。命の危険を省みず立ち向かった自衛官、警察官、消防署員。過酷な環境で闘い続けた原発作業員。不眠不休で対応にあたった自治体や中央省庁の職員。そして、自らが被災者でありながら、除染や避難所の運営に協力して下さった皆さん。もっと、賞賛されてしかるべきです。
何度も被災地を訪れた中で、忘れがたい光景があります。6月。被災地には、まだがれきの山が並んでいました。渦高く積まれたがれきの山の一つ一つに、白い小さな旗が掲げてあることに気がつきました。案内してくれた地元の市の職員に聞くと、がれきの処理にあたった自衛隊が、行方不明者がいないかどうかを確認し、確認し終わったがれきの山に旗を掲げてあるとのことでした。その後、私は、被災者のアルバムの写真を修復するボランティアに参加しました。集められた泥まみれのアルバムの数々も、がれきの処理にあたった自衛官が取り上げたものでした。
大量のがれきを一気に撤去するよりも、人命や思い出を優先する。ここに、日本人の精神が表れています。震災から半年。これまで、傷口に触れないように、そろりそろりと、行われてきた復旧作業を加速させるべき時が来ました。福島で遅れていたがれきの処理と除染を加速させなければなりません。
先日、初対面の若い人から、「細野さんも笑うんですね」と言われました。そういえば、この半年、笑うことを忘れてしまっていたかも知れません。被災地の厳しい状況を考えると、笑うことは許されないできないかも知れません。ただ、少なくとも、被災地の復興に向けて、我々が前向きに取り組むべき時期が来ました。何としても、原発事故を収束させて、もう一度、日本の素晴らしさを世界に示したい。彼らなら、きっとやってくれるはずです。