昨日の朝日新聞の夕刊に、「トヨタが植物を上回る人工光合成システムの構築に成功した」という記事が載っていました。これはビッグニュースです! 人類の、そして地球上のほとんんどの生物を滅亡から救う技術になる可能性が生まれてきました。ビッグニュースであるとともに、ビックリニュースでもありました。
さて、昨日の続きです。
マスコミが殺到する家から、ショウ捜査官とベネット捜査官が教育ビデオ作製という名目でリチャードをFBIアトランタ支局に連れていくが、内容はまるで尋問。だまされているのに気づいたリチャードはワトソンに助けを求める電話をする。
FBIアトランタ支局で10年ぶりにリチャードと再会したワトソンがリチャードを引き取る。ワトソンはボビの家でリチャードの弁護を正式に引き受ける。家を出たワトソンの自動車には女性記者キャシーが忍び込んでいたが、ワトソンによってすぐに追い出される。
ワトソンは爆弾の発見現場と通報のあった公衆電話の位置を計り、犯人がリチャードではない確信を得る。
7月31日、FBIは朝9時からボビの家での家宅捜索を開始。夜までかけて、ボビのタッパーや下着、掃除機まで持っていく。しかしワトソンは、リチャード自身を脅かす権力にリチャードが怒りを露わにせず、FBIに協力的なのもはがゆく感じる。法執行官にあこがれるリチャードはまだFBIに敬意や、仲間意識をもっているのだ。
それからというもの、ボビの家には連日多くのメディアが押し寄せ、報道合戦は過熱していく。マスコミはリチャードを犯人と決めつけ、家を囲み続ける。そこへ、ナディアが訪れ、事務所にもボビの家にも盗聴器が仕掛けられていることを告げる。
あの爆発の日のフラッシュバックに苦しめられるリチャード。
その後もリチャードをはじめとし、母ボビとワトソンは汚名をはらすために奔走する。ある日、リチャードの友人が共犯者と疑われ、さらには同性愛関係にあるとの見方をされる。ボビの涙を見たリチャードはワトソンと共に反撃の決意を固める。
リチャードは自ら嘘発見器によるポリグラフテストを受ける。その結果、リチャードの証言に嘘の反応はでなかった。さらにワトソンと共にアトランタ・ジャーナルの編集部でキャシーに抗議する。
そしてボビは与党民主党全国大会の日に合わせて会見を開き、ビル・クリントン大統領に息子の無実を涙ながらに訴える。
一方キャシーは、リチャードが予告電話を掛けたとされる公衆電話まで自分で歩いてみて、警備をしていた記念公園から行く時間はなかったことを確認する。
リチャードとワトソンはネクタイを締めてFBIに赴き、彼らの尋問を受ける。最後にリチャードはショウ捜査官に逆に問い詰める。「自分が犯人である証拠はあるのか」と。ショウ捜査官は答えることができなかった。さらに、「もしこのような冤罪が起こるなら、今後警備員は爆弾を見つけても通報せずその場から逃げるだろう、リチャード・ジュエルの二の舞は避けたいと思うだろうから」と述べる。
捜査開始から88日、レストランで会話するリチャードとワトソン。そこへ、リチャードが捜査対象からはずれたことを告げる書面が、ショウ捜査官によって届けられる。なおもショウ捜査官はワトソンに「あんたの依頼人はクロだ」と負け惜しみを言うが、リチャード・ジュエルの勝利だった。「自分たちは勝ったんだ!」。2人は共に喜び合う。
リチャードの自宅にFBIから戻される段ボールの山。
6年後、警察官となったリチャードにワトソンが会いに行く。別の男がアトランタの爆破事件の犯行を自白したことを教えに。こうして長い闘いは終わる。
『2007年、リチャード・ジュエルは心疾患により44歳の若さで死去した。ワトソンは助手だったナディアと2人の子供をもうけ、毎週末はリチャード・ジュエルの母ボビが子守をしている』という字幕で映画は終わる。」
『ハドソン川の奇跡』がメディアと世論という権力と個人の戦いを描いたのと同じように、この映画でもアメリカ合衆国とFBI、メディアと世論といった権力と個人の戦いが明瞭に描かれていました。それにしてもイーストウッド映画の画面から臭い発つ若さは、いったい何なんでしょう? ポルトガルのオリヴェイラ監督のように不死のような監督になっていくのでしょうか? 謎です!!
さて、昨日の続きです。
マスコミが殺到する家から、ショウ捜査官とベネット捜査官が教育ビデオ作製という名目でリチャードをFBIアトランタ支局に連れていくが、内容はまるで尋問。だまされているのに気づいたリチャードはワトソンに助けを求める電話をする。
FBIアトランタ支局で10年ぶりにリチャードと再会したワトソンがリチャードを引き取る。ワトソンはボビの家でリチャードの弁護を正式に引き受ける。家を出たワトソンの自動車には女性記者キャシーが忍び込んでいたが、ワトソンによってすぐに追い出される。
ワトソンは爆弾の発見現場と通報のあった公衆電話の位置を計り、犯人がリチャードではない確信を得る。
7月31日、FBIは朝9時からボビの家での家宅捜索を開始。夜までかけて、ボビのタッパーや下着、掃除機まで持っていく。しかしワトソンは、リチャード自身を脅かす権力にリチャードが怒りを露わにせず、FBIに協力的なのもはがゆく感じる。法執行官にあこがれるリチャードはまだFBIに敬意や、仲間意識をもっているのだ。
それからというもの、ボビの家には連日多くのメディアが押し寄せ、報道合戦は過熱していく。マスコミはリチャードを犯人と決めつけ、家を囲み続ける。そこへ、ナディアが訪れ、事務所にもボビの家にも盗聴器が仕掛けられていることを告げる。
あの爆発の日のフラッシュバックに苦しめられるリチャード。
その後もリチャードをはじめとし、母ボビとワトソンは汚名をはらすために奔走する。ある日、リチャードの友人が共犯者と疑われ、さらには同性愛関係にあるとの見方をされる。ボビの涙を見たリチャードはワトソンと共に反撃の決意を固める。
リチャードは自ら嘘発見器によるポリグラフテストを受ける。その結果、リチャードの証言に嘘の反応はでなかった。さらにワトソンと共にアトランタ・ジャーナルの編集部でキャシーに抗議する。
そしてボビは与党民主党全国大会の日に合わせて会見を開き、ビル・クリントン大統領に息子の無実を涙ながらに訴える。
一方キャシーは、リチャードが予告電話を掛けたとされる公衆電話まで自分で歩いてみて、警備をしていた記念公園から行く時間はなかったことを確認する。
リチャードとワトソンはネクタイを締めてFBIに赴き、彼らの尋問を受ける。最後にリチャードはショウ捜査官に逆に問い詰める。「自分が犯人である証拠はあるのか」と。ショウ捜査官は答えることができなかった。さらに、「もしこのような冤罪が起こるなら、今後警備員は爆弾を見つけても通報せずその場から逃げるだろう、リチャード・ジュエルの二の舞は避けたいと思うだろうから」と述べる。
捜査開始から88日、レストランで会話するリチャードとワトソン。そこへ、リチャードが捜査対象からはずれたことを告げる書面が、ショウ捜査官によって届けられる。なおもショウ捜査官はワトソンに「あんたの依頼人はクロだ」と負け惜しみを言うが、リチャード・ジュエルの勝利だった。「自分たちは勝ったんだ!」。2人は共に喜び合う。
リチャードの自宅にFBIから戻される段ボールの山。
6年後、警察官となったリチャードにワトソンが会いに行く。別の男がアトランタの爆破事件の犯行を自白したことを教えに。こうして長い闘いは終わる。
『2007年、リチャード・ジュエルは心疾患により44歳の若さで死去した。ワトソンは助手だったナディアと2人の子供をもうけ、毎週末はリチャード・ジュエルの母ボビが子守をしている』という字幕で映画は終わる。」
『ハドソン川の奇跡』がメディアと世論という権力と個人の戦いを描いたのと同じように、この映画でもアメリカ合衆国とFBI、メディアと世論といった権力と個人の戦いが明瞭に描かれていました。それにしてもイーストウッド映画の画面から臭い発つ若さは、いったい何なんでしょう? ポルトガルのオリヴェイラ監督のように不死のような監督になっていくのでしょうか? 謎です!!