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ワシーリー・グロスマン『人生と運命 1』その1

2012-07-21 08:43:00 | ノンジャンル
 ジョージ・A・ロメロ監督・脚本・編集、スクリプト&音楽監修;ダリオ・アルジェントの'78年作品『ゾンビ[ダリオ・アルジェント監督版]』をWOWOWシネマで見ました。ゾンビに覆われた地上で、テレビスタッフの男女一組と州兵の特殊部隊2名がデパートに籠城するという話で、顔を青白く塗っただけのゾンビや赤ペンキ丸出しの血、ゴム丸出しの人間の皮膚というチープさと、人肉を喰ったり頭をふっとばしたり首を切り取ったりという残酷さがサム・ライミの『死霊のはらわた』を思わせる映画でした。

 さて、朝日新聞で紹介されていた、ワシーリー・グロスマンの'80年に刊行された『人生と運命1』を読みました。
 '42年のスターリングラード戦のロシアが舞台です。モストフスコイは政治犯、イギリスやアメリカのパイロットたち、赤軍の指揮官やコミサール(政治将校)、サボタージュをした者、ドイツ亡命者、そして彼らを警備する刑事犯とともにドイツの収容所に収容されていました。彼は8月の夜にスターリングラード郊外でドイツ軍に捕まった後に、そこに移送されてきていました。一方、軍司令官チュイコーフは参謀長クルイモフとともに、スタンリングラード郊外の戦闘指揮所にいました。物理学者のヴィクトルはユダヤ人の母のことを心配し、妻のリュドミーラにもその懸念を話そうとはしなくなっていました。またリュドミーラは、先夫との間に生まれた息子トーリャが砲兵として前線に向かってから便りがないことで頭が一杯でした。その頃、ヴィクトルの母はゲットーへと押し込まれ、近づく処刑の日を予感し、息子に最後の手紙を書いていました。現代物理学の世紀はヒトラーの世紀ともなりました。ファシズムの考え方と現代物理学の考え方には恐ろしい類似点があり、それは個という概念を拒否し、すべてを巨大な集合としてあつかい、確率の大小で物事を扱うという点でした。
 リュドミーラはトーリャが重傷で入院しているという知らせを受け、彼に会うために旅立ちます。ゲートマノフはウラルで編成されつつある戦車軍団のコミサールに任命されます。彼はこれまで常に党派性の精神に基づいて行動してきた人物でした。エヴゲーニヤはかつて彼女の家族の養育係をしていたドイツ人の老婦人が住む共同住宅の一隅に移り住むようになりますが、まもなく老婦人は逮捕され、彼女も父が戦争の英雄だったにもかかわらず住民登録が取れず、そこを去ることになります。
 トーリャの入院先に着いたリュドミーラは、その1週間前にトーリャが死んだことを聞かされ、呆然とします。家に帰った彼女はやせ始め、空虚な毎日を過ごすようになります。一方、ヴィークトロフ中尉はレニングラードの北方で、予備兵力の戦闘機連隊として前線行きを待っていましたが、ようやくレニングラード近くの新しい基地への移動命令が出ます。シベリアのラーゲリ(ソ連の強制収容所)では、無実のスパイ容疑でそこに送られたリュドミーラの元夫のアバルチュークが、持ち場の工具類の倉庫に出勤していました。そこで彼は一家6人を強盗目的で殺害したバールハトフが道具類を横流しするのを見て見ぬふりをしていました。それまで刑事犯の残虐な行為をさんざん目にしてきていたからです。彼は自分を党に引き入れた自分の師・マガリが同じラーゲリに入ってきたことを知り、彼を書記にしてラーゲリの中に共産党の組織を作れると喜びますが、久しぶりに会ったマガリは今までの自分の行動は誤りであったと言って、今でも党の正しさを信奉するアバルチュークを怒らせます。彼は生き延びるために必死となっている自分に懐疑的になり始めますが、ある日バールハトフが横流しした釘で仲間が殺されたことを当局に密告することで、また自信を取り戻します。
 '42年の夏の終わりに、ドイツは版図を最大のものとします。そしてその秋、ヒトラーはユダヤ民族の殲滅を決意します。(明日へ続きます‥‥)

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/