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マキノ雅弘監督『清水港に来た男』

2012-07-09 03:02:00 | ノンジャンル
 マキノ雅弘監督の'60年作品『清水港に来た男』をスカパーの東映チャンネルで見ました。
 歌を歌う茶摘みの娘たちの中をやって来る旅人の政吉(大川橋蔵)は、次郎長(大河内傳次郎)の三下の子分・六助(田中春男)をうまく騙し、彼の兄貴分として、次郎長の家に住み込むことになります。吠えかかる犬から助けたお雪(丘さとみ)を次郎長の妻の妹と知らず、自分に惚れていると言い出す政吉。
 やがて次郎長の元に小松村の七五郎が頭を丸めて現れ、自分のせいで石松が都鳥一家に殺されたと告げます。子分を皆集め、石松の仇討ちに出発する次郎長は、石松と親しかった角太郎にも同行を許しますが、彼は前夜息子のために嫁のお袖(小暮実千代)とやくざから足を洗う約束をしたばかりでした。角太郎は卑怯者と言われてもいいから、必ず生きて帰ってくるとお袖に約束します。出発する次郎長一家。政吉に米俵を担がせ、お袖の元を訪れたお雪は、お袖にそれは受け取れないと断られます。武士の出ではないかと姉が言っていたと政吉に言うお雪。次郎長の留守をいいことに、元新撰組の侍とともに顔をきかせる為五郎の身内たちにうっかりぶつかり、彼らと乱闘となる政吉。
 次郎長は石松の仇を取って帰ってきますが、角太郎は都鳥一家に殺されていました。彼のために盛大な葬式を出した次郎長はお袖に、角太郎が「卑怯者にはなれなかったが、石松の仇は取った」と言っていたと告げると、お袖は「そんなことを言っていたはずがない」と言い、盛大な葬式などいらないから、夫を生きて帰してほしかったと言って泣きます。黙って下を向く次郎長。
 政吉は今度の祭りで石松が主役の芝居を打ち、今回の仇討ちが正当なものだったことを知らしめようと六助らに言って、賛同を得ます。浪花節はどもりの熊造(堺駿二)の担当と決まりますが、主役は自分がやると政吉が言うと、弱い彼には任せられないと周りは言います。政吉はたまたま家の外にいた侍(進藤英太郎)を今からやってつけるから見てろと言い、その侍を無理矢理砂浜へ誘い出します。その薩摩藩の侍は政吉が勤皇の志士だとすぐに分かりますが、政吉は「次郎長が佐幕か勤皇か見分け、もし佐幕なら斬れ」という桂小五郎からの手紙を見せ、今度の芝居を見せて、それをはっきりさせるつもりだと言い、自分にわざとやられるように侍に頼みます。
 芝居は大成功に終わりますが、最後に熊造が勤皇派の主張を述べ始めると、次郎長は芝居を止めろと言い出し、それを聞いた政吉はにんまりと笑います。次郎長は以後、手下たちにケンカを禁止し、それに従わない者は葬式も出してやらないと命じます。為五郎の一味に馬鹿にされ、1人で殴り込みをかけ、殺される熊造。次郎長は葬式を出さず、仲間内で葬式が行われます。お雪は政吉に好きだと告白し、政吉の為五郎一家への殴り込みに共に行くと言いますが、政吉は自分はやくざ者がするような殴り込みなどしないと言って断ります。夜、次郎長の部屋を訪れ、佐幕か勤皇かと迫る政吉に、もうとっくに政吉が侍であることを見抜いていたという次郎長。政吉は次郎長から熊造の位牌を借り、1人で殴り込みをかけようとしていた六助に帰るように言って自分が殴り込みをかけようとすると、迎え出た為五郎一家たちと乱闘となります。元新撰組の侍を斬り、為五郎も斬り捨てると、他の連中は逃げ出します。そこへやって来た次郎長の子分たちは、次郎長にお連れしろと言われたと言って、政吉を次郎長の元へ連れていきます。次郎長は政吉に惚れたと言い、彼の味方として東海道は任せろと言います。そして政吉のお伴として六助らを預け、お雪はお詫びしたいと刀と着物を彼に送ります。
 歌う茶摘みの娘たちの中を、お伴を連れて進む政吉。彼はお伴たちに合羽を羽織れと言い、それにしたがうお伴たちと走って京都を目指すのでした。

 大川橋蔵の軽い身のこなしが魅力的で、大河内傳次郎の次郎長というのも面白く見させてもらいました。ラストの殺陣も見事で、演技の演出も画面の構成・連鎖も、これぞマキノ節といった感じだったと思います。隠れたマキノ映画の次郎長ものの名品でした。

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/