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高野秀行『ミャンマーの柳生一族』

2008-08-18 16:12:21 | ノンジャンル
 北京オリンピックではなぜか場内放送がまずフランス語で、次に英語、そして中国語でなされています。なぜフランス語が最初なのか謎です。またフェンシングでの「始め」の合図がフランス語の「アレ(行け)」で、何故か偉そうに言うのも気になりました。

 さて、高野秀行さんが'06年に出した「ミャンマーの柳生一族」を読みました。
 ミャンマーの柳生一族とは何かと言うのは、著者の言葉を引用させてもらいたいと思います。
 「ミャンマーは軍事独裁政権である。閣僚は全員将軍級の軍人だ。なかには小学校しか出てない大臣も多数いるという。官僚も主要な役職は軍人が占めている。とんでもない話のようだが、徳川幕府はまさにそうだった。それで、ちゃんと機能していた。
 ミャンマーは武家社会なのだ。武士が立法・行政・司法の一切の権力を握っている。江戸中期以降はそんなこともなかったろうが、最初の三、四十年ほどは、学校など行ってない大名が多かったはずだ。彼らは戦場で武勲を立て、のし上がってきた。ミャンマーの小卒大臣も同じだ(ちなみに、彼らの息子たちはちゃんと高等教育を受けている。幕府の大名の子弟がそうであったように)。
 長らくミャンマ-の軍政は、「農民と工業労働者が国家の基本」と位置づけ、商業をいやしんできたが、それも士農工商の理念と同じだ。(中略)しかるに、現実には、有力な武家に取り入った商人が財をなし、商人全般が農民や労働者よりよほど経済的に潤っているという図式において、現代のミャンマーと日本の江戸時代は似通っている。(中略)
 その中にあって、軍情報部とは、徳川幕府であるならさしずめ目付けであろう。今でも監視役や保護者のことを「お目付け役」と呼ぶことからわかるように、目付けとは幕府内の犯罪に目を光らせる組織であり、またお上(幕府)にたてつく者は武家といわず、町人・農民といわず徹底的に取り締まるのが役割だ。
 この役目をいちばん忠実に果たしたのが、まだ戦国の荒々しい空気が残っていた江戸初期に活躍した柳生一族だと私は考えることにした。(中略)
 話をミャンマーに戻すが、軍情報部はミャンマー幕府において、まさに柳生一族である。」
 そして高野さんをミャンマーに誘った、早大探検部の先輩の作家・船戸与一さんが、ミャンマーに入国する際にミャンマーの軍情報部が経営する旅行代理店を使うことを条件として出され、軍情報部つまりミャンマーの柳生一族を連れてミャンマーの旅をすることになったのでした。
 そして旅する中で、隣の敷地に勝手に自分の土地を拡張したりするという横暴な軍人の話を聞く一方で、酔っ払ってアメリカの悪口を言い合うことによって著者たちは柳生一族と息投合し、それ以降柳生一族は著者たちを監視するどころか、一緒に観光を楽しみだします。著者たちの旅を快適にしてくれたミャンマー人の社交的な様子と親切さが、昔から多民族国家であることに由来するのでは、と著者は考えます。そしてミャンマーの民主化と民族の自主独立というのが必ずしも両立しないことなど、ミャンマーの政治状況が詳しく述べられます。
 今まで読んだ高野秀行さんの本と同じように、ミャンマーという国を詳しく知ることができ、また読み物としても極上のエンターテイメントでした。またあとがきを書かれている椎名誠氏が高野さんのファンだと知って、心強くもなりました。これからも高野さんの本をどんどん読んでいこうと思います。文句無しにオススメです!