うれし涙を見るために・・・芽育学院

みんなの《うれし涙》を見るために・・学院長がソウルする!
 《うれし涙》こうして流す。
  《うれし涙》家族で流す。

ソソソ、ソヴィー!!!

2014-12-17 15:07:54 | 講師から

どうも!! 芽育学院八木校講師のソヴィーです

いつも私がブログを書くときは、何処かに行ってきたネタや、何かを見聞きした話を基にして、そこから生徒の皆さんにとって、少しでも響くような話を…というスタイルでブログをお届けしているのですが、今回はいつもとは少し変わって自分自身が考えた事についての話のみで、完全に自分の中で完結している、特にありがたくもない話を掲載していきたいと思います(その分のありがたいお話はほかの講師のみんなのブログを読んでください

少し前に山口県を訪れる機会があり、その時に少し寄り道で萩市という町を訪れました。


萩市は、かの幕末の思想家、吉田松陰ゆかりの地であり、「松下村塾」という私塾が開かれた土地としても有名です。


 「塾」と聞いて、塾講師としては是非とも行かなくてはいけない!と思い立ち、(本当のところは、道を通り過ぎる時に近くに偶然あることに気が付き、偶々寄ってみようと思っただけ、なのですが)そこで、松下村塾の詳しい歴史に触れることができました。

 そこに訪れる前の私の一般的な認識としては、吉田松陰が開き(実のところは最初にこの塾を開いたのは別の人物でした)、当時は武家の人間しか学ぶことができなかったようなレベルの学問の知識や思想を、身分の隔てなく学ぶことができ、そして日本の近代において重要な人物を多数輩出した、という程度でした。


 その程度の知識で訪れた資料館、そこで知ったこととして最も驚いたことは、松下村塾は一つの部屋で松陰が多くの生徒に向けて一度に語り掛けるというイメージだったのですが、実際は、小さな部屋の前に塾生たちが列をなして並び、一人一人が松陰に対して質問を投げかけ、問答をするといった、今で言うところの個別指導の塾で、芽育学院と同じタイプの塾だったという事です。

 そして、その中では学ぶべきものが明確には決まっておらず、生徒の方が一人一人学びたいことを自ら考え、そして、教える側がその生徒の考えを引き出す、という学習方法だったそうです。
 
正直なところ、テストで出る問題、学ばなければならない範囲がきっちりと決められている現代とこの時代を比べることはできませんが、少なくとも、今自分が学んでいる内容が「どうしてこのようになっているのだろう・学んだ内容をどのように使えばいいのだろう」と考えてもらえれば、それは生徒にとって、点数以上に大切なことにつながるのではないか。と考えました。


 私がこの塾で教えられる時間はあと少ししかありませんが、それでも少しでも意識をもって伝えられる授業づくりに励みたいと思います。

…完全な自分語りになってしまいましたが以上芽育学院八木校のソヴィーでした

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