富山県のおにぎり 日本史授業に役立つ小話・小技 14
埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。
埼玉県に住んでいる私にとっておにぎりとは、様々な具材を白い飯でくるんで、海苔で表面を巻いた物です。全国同じ様な物ばかりと思っていたのですが、富山県のおにぎりを見て大層驚きました。コンビニに行けばもちろん同じ様な物もあるのですが、富山県民はとろろ昆布を巻き付けたおにぎりが大好きなのだそうです。富山県民のソウルフードと表現する人もいました。
昆布が都まで運ばれていたことは文献史料に記述があり、『続日本紀』には、「霊亀元年…冬十月…丁丑。・・・・蝦夷須賀君古麻比留等言、先祖以来貢献昆布」と記されています。ただし商品としての大量な流通は、江戸時代まで下ることでしょう。授業では西回り航路や北前船について学習し、蝦夷地の産物が日本海沿岸の航路によって西国に運ばれたことまで話します。その時に必ず触れるのが、西国各地で北海道の水産物を見た、私の個人的経験です。岡山や大阪への修学旅行で買った昆布の加工品、京都で食べたにしん蕎麦、同じく昆布の載った鯖鮨、京都の錦市場で買った棒鱈、同じく昆布の専門店の若狭屋で買った長さ数メートル・幅30㎝の昆布などがあります。店の看板代わりに展示されていた物を、教材にしたいからと無理に頼んで買ってきました。「若狭屋」という屋号は、若狭で陸揚げされた昆布が、若狭街道・琵琶湖経由で京に運ばれていたことの名残でしょうし、岡山や大阪の昆布は、下関経由で瀬戸内海を運ばれたことの名残でしょう。これらの経験をしていましたから、 富山県では昆布はとれないのになぜとろろ昆布なのか、すぐにその理由はわかりました。そこには江戸時代以来の商品流通の歴史が隠れているわけです。そこでもう少し調べてみると、富山県は昆布の消費量が、日本で最も多いそうです。
ついでのことですが、昆布が全くとれない沖縄県も昆布の消費量が大変多く、出汁用ではなく、主菜としてモリモリ食べていました。それは沖縄修学旅行で確認したことです。何故沖縄なのか歴史的理由があるのですが、それはまた別の機会に譲ります。
埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。
埼玉県に住んでいる私にとっておにぎりとは、様々な具材を白い飯でくるんで、海苔で表面を巻いた物です。全国同じ様な物ばかりと思っていたのですが、富山県のおにぎりを見て大層驚きました。コンビニに行けばもちろん同じ様な物もあるのですが、富山県民はとろろ昆布を巻き付けたおにぎりが大好きなのだそうです。富山県民のソウルフードと表現する人もいました。
昆布が都まで運ばれていたことは文献史料に記述があり、『続日本紀』には、「霊亀元年…冬十月…丁丑。・・・・蝦夷須賀君古麻比留等言、先祖以来貢献昆布」と記されています。ただし商品としての大量な流通は、江戸時代まで下ることでしょう。授業では西回り航路や北前船について学習し、蝦夷地の産物が日本海沿岸の航路によって西国に運ばれたことまで話します。その時に必ず触れるのが、西国各地で北海道の水産物を見た、私の個人的経験です。岡山や大阪への修学旅行で買った昆布の加工品、京都で食べたにしん蕎麦、同じく昆布の載った鯖鮨、京都の錦市場で買った棒鱈、同じく昆布の専門店の若狭屋で買った長さ数メートル・幅30㎝の昆布などがあります。店の看板代わりに展示されていた物を、教材にしたいからと無理に頼んで買ってきました。「若狭屋」という屋号は、若狭で陸揚げされた昆布が、若狭街道・琵琶湖経由で京に運ばれていたことの名残でしょうし、岡山や大阪の昆布は、下関経由で瀬戸内海を運ばれたことの名残でしょう。これらの経験をしていましたから、 富山県では昆布はとれないのになぜとろろ昆布なのか、すぐにその理由はわかりました。そこには江戸時代以来の商品流通の歴史が隠れているわけです。そこでもう少し調べてみると、富山県は昆布の消費量が、日本で最も多いそうです。
ついでのことですが、昆布が全くとれない沖縄県も昆布の消費量が大変多く、出汁用ではなく、主菜としてモリモリ食べていました。それは沖縄修学旅行で確認したことです。何故沖縄なのか歴史的理由があるのですが、それはまた別の機会に譲ります。