うたことば歳時記

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

月の兎 日本史授業に役立つ小話・小技17

2024-01-23 17:55:10 | 私の授業
     日本史授業に役立つ小話・小技17
1

埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。

17、月の兎
月には兎が棲んでいると言う話を、子供の頃に多くの日本人が親から聞くことでしょう。そんな話が学校の日本史の授業で必要なのかと言われそうですね。確かに教科書には記述されていませんし、入試にも出題されません。しかし私はこの半世紀、毎年一回は必ず話し続けてきました。高校で日本史を学ぶ目的は、大学受験ではありません。月の兎の話をするのは、これも立派な歴史の一部であると思うからであり、日本人としての感性を養うのに役に立つと思うからです。幼い子が「月には兎さんがいるの?」と尋ねた時、「いるわけないでしょ」などと答える親になってほしくはありません。放っておいても、いずれわかることですから、その時までいることにしておけばよい。子供の感性を大切にする親になるよう、まずは高校生の感性を育てたいのです。
 月に兎がいるという理解は、紀元前の中国にあるそうです。また「烏兎匆々」(うとそうそう)という言葉がありますが、「烏」は三本足の烏が棲むとされる太陽のこと、「兎」は同じく月を表し、全体として月日のたつことの早く慌ただしいことを意味しています。ただし自分で原典を確認していないので、深入りはせず、伝聞的な表現にしておきましょう。
 授業では聖徳太子の死を悼んで、妃の一人の橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が渡来人の采女に作らせた天寿国繍帳について必ず写真を見ながら学習するのですが、そこには月に兎と長頸壷と樹木が刺繍で描かれていることを確認させます。樹木は月桂樹であり、壷には不老不死の仙薬が入っているのでしょう。この時は月には兎がいるという理解が、飛鳥時代には伝えられていたことを確認するに止めておきますが。そして平安末期の院政期の文化で『今昔物語集』を学習する際に、芥川龍之介の短編小説には『今昔物語集』に取材した話が多いことに触れます。そしてさらに兎と猿と狐が行き倒れの老人を介護して、ついには兎が焚き火に飛び込んで死に、老人が姿を変えた帝釈天に抱かれて月に昇り、月でなお生きているという話が、『今昔物語集』(巻五第十三話)に収録されていることに及ぶのです。この話は童話に仕立てられ、聞いたことのある生徒が多く、歴史を身近に感じさせることができます。また「うさぎうさぎ 何見てはねる 十五夜お月さん見てはねる」というわらべうたについて、中秋(仲秋)の月見で江戸の子供達が「いざり飛びて」歌うことが、江戸時代後期の風俗誌『守貞謾稿』(巻28遊戯)に記されていることにも言及します。生徒は月の兎一つにも、千数百年の歴史が隠れていることを初めて知って、それぞれに感動しているようでした。