日本史授業に役立つ小話・小技
埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。
18、上野にある岩倉高校
上野駅東口の近くに、私立の岩倉高校があります。この学校、なかなか古い由緒を持っていて、何と明治30年に私立鉄道学校として神田に設立されました。現在地に移転したのは明治34年。同36年には岩倉鉄道学校と改称。校章は岩倉具視の家紋である笹竜胆(ささりんどう)だそうです。因みに笹竜胆は源頼朝の源氏嫡流の家紋とされ、現在は鎌倉市の市章となり、鎌倉市の路上では、マンホールに鋳造されていて、どこにでも見られます。一般には頼朝の家紋は笹竜胆であるとされていますが、頼朝の頃には武家の家紋という文化はなく、頼朝家の家紋であったという歴史事実はありません。
不思議に思えるのは、鉄道と岩倉具視との関係ですが、このことについては高校の日本史の授業できちんと学習します。岩倉具視が中心となり、明治14年、華族達が秩禄処分で得た金禄公債を原資に、十五銀行が設立されました。そして同行が出資して日本鉄道株式会社という民営鉄道の会社が設立され、現在の東北本線・高崎線・常磐線となる鉄道が敷設されました。要するに現在のJR東日本の主要路線は、岩倉の呼びかけによって始められたものなのです。そして日露戦争で呉の軍港に兵士や諸物資を素速く輸送する主要鉄道が、民営と官営に分断されていることの問題点が浮上し、明治39年に西園寺内閣により国有化されるまで、日本鉄道によって経営されていました。因みに十五銀行は昭和2年に昭和金融恐慌の余波を受けた取り付け騒ぎにより倒産していまいます。
鉄道に由緒のある岩倉高校が上野にあることにも、歴史的な意味があります。東北本線が開業したのは明治18年とのことですが、始発駅は上野でした。東海道本線の始発駅は新橋駅に近い汐留駅でしたから、現在の東京駅の位置には駅はおろか線路すらありませんでした。後に現在の丸の内前の広大な土地を買収したのが三菱ですから、現在も東京駅前には三菱系列の企業の本社があるわけです。私は荘内は鶴岡の生まれですから、歌謡曲にも歌われているように、上野発の夜行列車に乗って帰省していましたが、その頃は上野発であることに岩倉具視が絡んでいることなど、全く知る由もありませんでした。
岩倉高校には建学の経緯により、かつては鉄道運転や車両整備などの学科があり、多くの鉄道関係の職業に就く卒業生を送り出してきました。もちろん現在でも普通科の他に運輸科があり、伝統が受け継がれているそうです。鉄道オタクの不埒な写真撮影が問題になることはありますが、鉄道マニアにとっては憧れの学校でしょうから、目的意識をはっきり持っている生徒も多いことでしょう。
埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。
18、上野にある岩倉高校
上野駅東口の近くに、私立の岩倉高校があります。この学校、なかなか古い由緒を持っていて、何と明治30年に私立鉄道学校として神田に設立されました。現在地に移転したのは明治34年。同36年には岩倉鉄道学校と改称。校章は岩倉具視の家紋である笹竜胆(ささりんどう)だそうです。因みに笹竜胆は源頼朝の源氏嫡流の家紋とされ、現在は鎌倉市の市章となり、鎌倉市の路上では、マンホールに鋳造されていて、どこにでも見られます。一般には頼朝の家紋は笹竜胆であるとされていますが、頼朝の頃には武家の家紋という文化はなく、頼朝家の家紋であったという歴史事実はありません。
不思議に思えるのは、鉄道と岩倉具視との関係ですが、このことについては高校の日本史の授業できちんと学習します。岩倉具視が中心となり、明治14年、華族達が秩禄処分で得た金禄公債を原資に、十五銀行が設立されました。そして同行が出資して日本鉄道株式会社という民営鉄道の会社が設立され、現在の東北本線・高崎線・常磐線となる鉄道が敷設されました。要するに現在のJR東日本の主要路線は、岩倉の呼びかけによって始められたものなのです。そして日露戦争で呉の軍港に兵士や諸物資を素速く輸送する主要鉄道が、民営と官営に分断されていることの問題点が浮上し、明治39年に西園寺内閣により国有化されるまで、日本鉄道によって経営されていました。因みに十五銀行は昭和2年に昭和金融恐慌の余波を受けた取り付け騒ぎにより倒産していまいます。
鉄道に由緒のある岩倉高校が上野にあることにも、歴史的な意味があります。東北本線が開業したのは明治18年とのことですが、始発駅は上野でした。東海道本線の始発駅は新橋駅に近い汐留駅でしたから、現在の東京駅の位置には駅はおろか線路すらありませんでした。後に現在の丸の内前の広大な土地を買収したのが三菱ですから、現在も東京駅前には三菱系列の企業の本社があるわけです。私は荘内は鶴岡の生まれですから、歌謡曲にも歌われているように、上野発の夜行列車に乗って帰省していましたが、その頃は上野発であることに岩倉具視が絡んでいることなど、全く知る由もありませんでした。
岩倉高校には建学の経緯により、かつては鉄道運転や車両整備などの学科があり、多くの鉄道関係の職業に就く卒業生を送り出してきました。もちろん現在でも普通科の他に運輸科があり、伝統が受け継がれているそうです。鉄道オタクの不埒な写真撮影が問題になることはありますが、鉄道マニアにとっては憧れの学校でしょうから、目的意識をはっきり持っている生徒も多いことでしょう。