日本史授業に役立つ小話・小技
埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。
16、古代の国名(2)
さて古代国名の学習の2回目です。二つの国名の1字を採ってつないだ形が結構あるのですが、一つだけその例を示します。私は関東地方に住んでいますから、房総半島を例として取り上げます。そして千葉県の半島であることを確認し、国名と見比べさせると、勘のよい生徒は、安房の「房」と上総の「総」が組んでいることにすぐに気が付きます。そうしておいて、似たような言葉を探させるのです。奥羽山脈・濃尾平野がわかれば立派なものです。筑豊炭田はもう学習しないかもしれません。鉄道の路線名にはたくさんあります。上野を経由して越後に行く上越線、信濃経由の信越線。土佐から讃岐へ行く土讃線、伊予から讃岐へ行く予讃線。日向から豊後へ行く日豊本線。他にも筑肥線・芸備線・播但線・越美線・伯備線・豊肥線・総武線・羽越線など、きりがありません。
さらに発展させて、上・中・下、前・中・後、遠・近などの文字を持つ国名を探させ、それが何を意味しているか考えさせてみましょう。都からの遠近により並んでいることがわかれば、それは褒めてやります。そして近江と遠江がわかったところで、「江」が何を意味するか考えさせます。地形図を見れば、勘のよい生徒なら琵琶湖と浜名湖であることは気が付くでしょう。そこで「遠江」に読み仮名を振らせるのですが、「都から遠い淡海(あわうみ)」という意味ですから、「とおとうみ」が正解です。もし「とおとおみ」「とうとうみ」と答えるならば、「遠江」と名付けられた理由を理解していないことになります。
ここで一つ難しい質問をします。都からの距離によって上・中・下、前・中・後が並ぶという原則がありましたが、一箇所だけそれが当てはまらない所があるので、それを探させるのです。それは上総と下総で、都からの距離を考えるならば、上下が逆になっているように見えます。実は古代の古東海道は、三浦半島から浦賀水道を渡って上総に上陸してから下総に延びていました。それは東京湾の最北部は、関東平野の大小の河川が乱流し、大湿地地帯となっていて、交通の障害となっていたからです。しかし次第に河川の渡河もできるようになり、771年には東海道は武蔵を経て下総に至るようになりました。ということは、武蔵国は初めは東山道に属していて、後に東海道に属するようになったということなのです。利根川が現在の流路となったのは江戸時代初期のことで、それ以前は東京湾に注いでいました。その痕跡は古利根川に残っています。古東海道が三浦半島から海を渡っていたことは、記紀の神話でも裏付けられます。日本武尊が東海道を東征した時、三浦半島から浦賀水道を渡るのですが、海が荒れて、妃の弟橘媛が海に身を投げて海神の怒りを鎮め、ようやく渡海したことが記されています。さすがに現代の高校生は知らないかもしれませんが、年配の方なら御存知でしょう。まあとにかく、これだけずらりと現代に残る古代国名の痕跡を並べれば、現代という瞬間が、歴史の積み重ねの上に乗っていることが理解できることでしょう。
埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。
16、古代の国名(2)
さて古代国名の学習の2回目です。二つの国名の1字を採ってつないだ形が結構あるのですが、一つだけその例を示します。私は関東地方に住んでいますから、房総半島を例として取り上げます。そして千葉県の半島であることを確認し、国名と見比べさせると、勘のよい生徒は、安房の「房」と上総の「総」が組んでいることにすぐに気が付きます。そうしておいて、似たような言葉を探させるのです。奥羽山脈・濃尾平野がわかれば立派なものです。筑豊炭田はもう学習しないかもしれません。鉄道の路線名にはたくさんあります。上野を経由して越後に行く上越線、信濃経由の信越線。土佐から讃岐へ行く土讃線、伊予から讃岐へ行く予讃線。日向から豊後へ行く日豊本線。他にも筑肥線・芸備線・播但線・越美線・伯備線・豊肥線・総武線・羽越線など、きりがありません。
さらに発展させて、上・中・下、前・中・後、遠・近などの文字を持つ国名を探させ、それが何を意味しているか考えさせてみましょう。都からの遠近により並んでいることがわかれば、それは褒めてやります。そして近江と遠江がわかったところで、「江」が何を意味するか考えさせます。地形図を見れば、勘のよい生徒なら琵琶湖と浜名湖であることは気が付くでしょう。そこで「遠江」に読み仮名を振らせるのですが、「都から遠い淡海(あわうみ)」という意味ですから、「とおとうみ」が正解です。もし「とおとおみ」「とうとうみ」と答えるならば、「遠江」と名付けられた理由を理解していないことになります。
ここで一つ難しい質問をします。都からの距離によって上・中・下、前・中・後が並ぶという原則がありましたが、一箇所だけそれが当てはまらない所があるので、それを探させるのです。それは上総と下総で、都からの距離を考えるならば、上下が逆になっているように見えます。実は古代の古東海道は、三浦半島から浦賀水道を渡って上総に上陸してから下総に延びていました。それは東京湾の最北部は、関東平野の大小の河川が乱流し、大湿地地帯となっていて、交通の障害となっていたからです。しかし次第に河川の渡河もできるようになり、771年には東海道は武蔵を経て下総に至るようになりました。ということは、武蔵国は初めは東山道に属していて、後に東海道に属するようになったということなのです。利根川が現在の流路となったのは江戸時代初期のことで、それ以前は東京湾に注いでいました。その痕跡は古利根川に残っています。古東海道が三浦半島から海を渡っていたことは、記紀の神話でも裏付けられます。日本武尊が東海道を東征した時、三浦半島から浦賀水道を渡るのですが、海が荒れて、妃の弟橘媛が海に身を投げて海神の怒りを鎮め、ようやく渡海したことが記されています。さすがに現代の高校生は知らないかもしれませんが、年配の方なら御存知でしょう。まあとにかく、これだけずらりと現代に残る古代国名の痕跡を並べれば、現代という瞬間が、歴史の積み重ねの上に乗っていることが理解できることでしょう。