日本史授業に役立つ小話・小技 10
埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。
10、製糸と紡績
製糸業と紡績業は、明治期の産業革命で同時に学習します。ところが生徒にはその区別がつかないことが多いのです。どちらも糸を作ることなのに、どこが違うのだろうというのでしょう。製糸と紡績の工程を実際に見たことがあれば、一目瞭然で説明は不要なのですが、見る機会はまずありませんから、無理もありません。
まず製糸は蚕の繭を湯煎してほぐれやすくし、糸の端末を探し当て、後はそれを手繰ってゆくだけです。もっとも繭一つの超微細な糸一本では生糸としては細すぎるので、数個の繭から同時に糸を引き出します。糸の表面には糊状の蛋白質があり、数本を一緒に引き出せば、撚りを掛けなくても自然に1本の糸にまとまってしまいます。小学生の頃に蚕を飼っていて、繭の糸の長さを計測しようとしたことがありました。円周10㎝の筒を用意して、10回巻き取れば1メートルということで、長さを測ろうとしたのです。しかしそれが小学生には不可能であることがわかるのに、それ程時間はかかりませんでした。先の見えない絶望的な作業だったからです。後に横浜の博物館に尋ねたのですが、千数百メートルあるそうです。要するに製糸とは生糸を作ることなのです。
紡績は紡ぐ(つむぐ)と績む(うむ)から成っていて、紡ぐとは綿状のものから短い繊維に撚りを掛けながら長い糸にすること。績むとは麻や苧麻の皮から採った長い繊維を結びながら長い糸にしてゆくことです。ですから綿花から綿糸を作ることは紡ぐ、麻の糸は績むと言います。しかし明治期の産業革命で学習する「紡績」は、事実上、綿糸を作ることと理解してよいでしょう。ただし厳密には毛糸も紡績するものであり、紬(つむぎ)という織物がくず繭を綿状にして紡いだ糸で織るように、繭の繊維を紡ぐこともありますから、実際には綿糸だけではありませんが・・・・。
そこで製糸と紡績の違いを視覚的に理解させたいのですが、その工程の仕掛けを教室に持ち込むことはできません。しかし簡単な小道具でその違いを理解させられます。私は以下のようにやって来ました。まずは製糸から。用意する物は毛糸を巻き取った玉状の物を数個だけです。それを洗面器のような器に入れて、糸の端を同時に引っぱるだけです。そうして実際には自然に糸が1本に接着することを話してやればよいのです。紡績は少し手間がかかります。綿花からまず種を一粒取り出して、繊維を左右に引っ張り、繊維の長さが2~3㎝しかないことを示します。そして数粒の種から繊維だけをむしり取り、綿状にします。それを机上に置き、その綿に伸ばした輪ゴムが触れるようにして弾くと、ゴムの震動により綿はふわふわの状態になります。年配の人ならこれが布団の綿の打ち直しの原理であることはすぐに気が付くことでしょう。昔は弓の弦を用いたのですが、取り敢えずは輪ゴムで用が足ります。そうしておいて綿を左手でそっと持ち、右手で綿の繊維を少しずつ引き出しながら、撚りをかけつつ真下に引くのです。そのとき糸が途切れないようにするには、少し練習が必要かもしれません。もちろん撚りの回転数が全く足りませんから、糸の強度はありませんが、紡ぐという工程の原理を見せることができます。
両方やって見せても、1~2分あれば十分です。もちろん市販されている視聴覚資料を見せてもよいのですが、家庭にある小道具だけで簡単にできてしまうことの方が面白いと思います。こういうことは一斉講義式だからできることです。アクティブラーニングでは不可能でしょう。
ついでのことに一つおまけの話もしています。綿花からむしった綿を水につけても、繊維に微かな脂分があるため、水を吸い取りません。それで脂分を除去するため、水酸化ナトリウムを溶かした液体で煮てやると、脂分が抜けて、水をよく吸い取るようになります。これが脱脂綿なのですが、「脱脂」の意味を知っている生徒は一人もいませんでした。説明してやると、妙に感心しています。祖父は満州にいた時、古い布団を買い取って苛性ソーダて煮て、大量の脱脂綿を作って売ったという話をよくしていました。
埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。
10、製糸と紡績
製糸業と紡績業は、明治期の産業革命で同時に学習します。ところが生徒にはその区別がつかないことが多いのです。どちらも糸を作ることなのに、どこが違うのだろうというのでしょう。製糸と紡績の工程を実際に見たことがあれば、一目瞭然で説明は不要なのですが、見る機会はまずありませんから、無理もありません。
まず製糸は蚕の繭を湯煎してほぐれやすくし、糸の端末を探し当て、後はそれを手繰ってゆくだけです。もっとも繭一つの超微細な糸一本では生糸としては細すぎるので、数個の繭から同時に糸を引き出します。糸の表面には糊状の蛋白質があり、数本を一緒に引き出せば、撚りを掛けなくても自然に1本の糸にまとまってしまいます。小学生の頃に蚕を飼っていて、繭の糸の長さを計測しようとしたことがありました。円周10㎝の筒を用意して、10回巻き取れば1メートルということで、長さを測ろうとしたのです。しかしそれが小学生には不可能であることがわかるのに、それ程時間はかかりませんでした。先の見えない絶望的な作業だったからです。後に横浜の博物館に尋ねたのですが、千数百メートルあるそうです。要するに製糸とは生糸を作ることなのです。
紡績は紡ぐ(つむぐ)と績む(うむ)から成っていて、紡ぐとは綿状のものから短い繊維に撚りを掛けながら長い糸にすること。績むとは麻や苧麻の皮から採った長い繊維を結びながら長い糸にしてゆくことです。ですから綿花から綿糸を作ることは紡ぐ、麻の糸は績むと言います。しかし明治期の産業革命で学習する「紡績」は、事実上、綿糸を作ることと理解してよいでしょう。ただし厳密には毛糸も紡績するものであり、紬(つむぎ)という織物がくず繭を綿状にして紡いだ糸で織るように、繭の繊維を紡ぐこともありますから、実際には綿糸だけではありませんが・・・・。
そこで製糸と紡績の違いを視覚的に理解させたいのですが、その工程の仕掛けを教室に持ち込むことはできません。しかし簡単な小道具でその違いを理解させられます。私は以下のようにやって来ました。まずは製糸から。用意する物は毛糸を巻き取った玉状の物を数個だけです。それを洗面器のような器に入れて、糸の端を同時に引っぱるだけです。そうして実際には自然に糸が1本に接着することを話してやればよいのです。紡績は少し手間がかかります。綿花からまず種を一粒取り出して、繊維を左右に引っ張り、繊維の長さが2~3㎝しかないことを示します。そして数粒の種から繊維だけをむしり取り、綿状にします。それを机上に置き、その綿に伸ばした輪ゴムが触れるようにして弾くと、ゴムの震動により綿はふわふわの状態になります。年配の人ならこれが布団の綿の打ち直しの原理であることはすぐに気が付くことでしょう。昔は弓の弦を用いたのですが、取り敢えずは輪ゴムで用が足ります。そうしておいて綿を左手でそっと持ち、右手で綿の繊維を少しずつ引き出しながら、撚りをかけつつ真下に引くのです。そのとき糸が途切れないようにするには、少し練習が必要かもしれません。もちろん撚りの回転数が全く足りませんから、糸の強度はありませんが、紡ぐという工程の原理を見せることができます。
両方やって見せても、1~2分あれば十分です。もちろん市販されている視聴覚資料を見せてもよいのですが、家庭にある小道具だけで簡単にできてしまうことの方が面白いと思います。こういうことは一斉講義式だからできることです。アクティブラーニングでは不可能でしょう。
ついでのことに一つおまけの話もしています。綿花からむしった綿を水につけても、繊維に微かな脂分があるため、水を吸い取りません。それで脂分を除去するため、水酸化ナトリウムを溶かした液体で煮てやると、脂分が抜けて、水をよく吸い取るようになります。これが脱脂綿なのですが、「脱脂」の意味を知っている生徒は一人もいませんでした。説明してやると、妙に感心しています。祖父は満州にいた時、古い布団を買い取って苛性ソーダて煮て、大量の脱脂綿を作って売ったという話をよくしていました。