うたことば歳時記

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『方丈記』高校生に読ませたい歴史的名著の名場面

2020-07-12 07:57:46 | 私の授業
方丈記


原文
 春は藤浪(ふじなみ)を見る。紫雲の如くして、西方(さいほう)に匂ふ。夏は郭公(ほととぎす)を聞く。語らふごとに死出(しで)の山路を契る。秋は蜩(ひぐらし)の声耳に満(みて)り。空蝉(うつせみ)の世をかなしむ楽(がく)と聞こゆ。冬は雪をあはれぶ。積もり消ゆるさま、罪障にたとへつべし。
 若(もし)、念仏物(もの)憂(う)く、読経(どきよう)まめならぬ時は、自(みずか)ら休み、自(みずか)ら怠る。妨ぐる人もなく、又、恥づべき人もなし。ことさらに無言をせざれども、独(ひと)り居(お)れば、口業(くごう)を修めつべし。必ず禁戒を守るとしもなくとも、境界(きようがい)なければ、何につけてか破らん。・・・・
 若(もし)、余興あれば、しば〳〵松の響きに秋風楽(しゆうふうらく)をたぐへ、水の音に流泉(りゆうせん)の曲を操る。芸はこれ拙(つたな)けれども、人の耳を悦ばしめむとにはあらず。独り調(しら)べひとり詠じて、自ら情(こころ)を養ふばかりなり。
 又、麓(ふもと)に一(ひとつ)の柴の庵(いおり)あり。即ちこの山守(やまもり)が居(お)る所也。彼処(かしこ)に小童(こわらわ)あり。とき〴〵来りて、相訪(とぶら)ふ。若(もし)、つれ〴〵なる時は、これを伴(とも)として遊行(ゆぎよう)す。彼は十歳、此(これ)は六十。その齢(よわい)ことのほかなれど、心を慰むること、これ同じ。或は茅花(つばな)を抜き、磐梨(いわなし)を採り、零余子(ぬかご)を盛り、芹を摘む。或は裾(すそ)回(わ)の田居(たい)に到りて、落穂を拾ひて穂組をつくる。若(もし)、うらゝかなれば、峰に攀(よ)ぢのぼりて、はるかに故郷(ふるさと)の空を望み、木幡(こはた)山・伏見の里・鳥羽(とば)・羽束師(はつかし)を見る。勝地(しようち)は主(ぬし)なければ、心を慰むるに障(さわ)りなし。・・・・帰るさには、折につけつゝ、桜を狩り、紅葉をもとめ、蕨(わらび)を折り、木の実を拾ひて、且(か)つは仏に奉り、且つは家(いえ)土産(づと)とす。
 若(もし)、夜しづかなれば、窓の月に故人をしのび、猿の声に袖をうるほす。叢(くさむら)の蛍は遠く槙(まき)のかゞり火にまがひ、あか月の雨は、自(おの)づから木の葉吹く嵐に似たり。山鳥のほろと鳴くを聞ゝても、父か母かとうたがひ、峰の鹿(かせぎ)の近く馴れたるにつけても、世に遠ざかるほどを知る。或(あるい)は又、埋み火をかき起こして、老の寝覚めの友とす。恐ろしき山ならねば、梟(ふくろう)の声をあはれむにつけても、山中の景気(けいき)、折につけて尽くる事なし。いはむや、深く思ひ深く知らむ人のためには、これにしも限るべからず。

現代語訳
 春には藤の花を見る。紫色の瑞雲の如く、(極楽浄土のある)西の方に美しく咲いている。夏には郭公(ほととぎす)の声を聞く。鳴くたびに、死出の山路を越える案内を頼む。秋には蜩(ひぐらし)の声を耳一杯に聞く。儚(はかな)いこの世を哀しむ調べの如く聞こえる。冬には雪をしみじみと見る。積もっては消える様子は、積もった罪業が、融けてなくなることに喩えられる。
 もし念仏に気がすすまず、読経もままならぬ時は、自分から休み、怠けたりする。しかしそれを妨げる人はなく、また恥ずかしく思わせる人もいない。殊更に無言の行をしているわけではないが、独りだけなので、(よからぬ事を口に出す)口の禍(わざわい)を犯すこともないだろう。しっかりと戒律を守ろうとしなくても、(周囲には戒律を破るような)境遇もないので、どうして戒律を破ることがあろうか。・・・・
 もし気分が乗れば、しばしば松風の音を「秋風楽」の曲と思って聞き、せせらぎの音を聞いては「流泉」の曲を琵琶で奏でる。拙い芸ではあるが、人に聞かせるためではない。独り奏で、ひとり歌を詠み、私自身の心を慰めるばかりである。
 また麓に一軒の粗末な小屋がある。これはこの山の番人が住む家である。そこに男の子がいる。時々訪ねて来て顔を合わせる。もし手持ち無沙汰な時には、その子を連れてあちこちに行く。彼は十歳で、私は六十歳。年齢は大層離れていても、心が和むのはお互い同じである。ある時は茅花(つばな)を抜いて噛(か)み、岩梨の実を採り、(山芋の)むかごを(籠に)もぎ取り、芹を摘む。またある時は山裾の田圃(たんぼ)に行き、落ち穂を拾い集めて穂組を作る。もしうららかに晴れていれば、山に登って前に住んでいた京の方を眺め、木幡(こはた)山、伏見の里、鳥羽、羽束師(はづかし)を見る。景色のよい所と言っても、主(あるじ)がいるわけではないから、眺めて心を慰めるのに何の問題もない。・・・・帰り道では、折々に桜を愛で、紅葉を訪ね、蕨を折り採り、木の実を拾っては仏に供えたり、家への土産にする。
 夜は静かなので、窓越しの月を見ては故人を懐かしく思い、猿の鳴き声を聞いては、涙で袖をぬらす。草むらの蛍は、(遠く宇治川の)槙(まき)の島の篝火(かがりび)と見紛うようであり、暁に降る雨(の音)は、自ずから木の葉に吹き付ける嵐の音に似ている。山鳥がほろほろと鳴く声を聞いても、父の声か母の声かと思い、峰の鹿が人馴れしているのにつけても、世間から遠く離れていることを知る。またある時は、灰に埋もれた炭火をかき起こしては、老いの寝覚めの友とする。恐ろしげな山でもないので、(気味の悪い)梟(ふくろう)の声をしみじみと聞くにつけても、山中の景色の風情は、四季の移ろう程に尽きることはない。まして(私より)深く思い、心ある人にとっては、それ(私が理解している風情)以上の風情があるはずである。

解説 
 『方丈記(ほうじようき)』は、鴨長明(かものちようめい)(1155?~1216)により、建暦二年(1212)に著された随筆です。長明は賀(か)茂(も)御(み)祖(おや)神社(下鴨神社)の神官の出身で、和歌や琵琶に優れていました。特に和歌は後鳥羽上皇に注目され、和歌所の寄人(よりうど)(勅撰和歌集編纂のための職員)に抜擢される程でした。そして上皇が長明を下鴨神社境内にある河合(かわい)神社の神官に推薦したのですが、同族の反対によりかないませんでした。結局これが契機となり、失望した長明は五十歳で出家します。そして京の東山、さらに洛北の大原から洛南の日野に移り、小庵を建てて隠棲しました。「方丈」とは一丈(十尺)四方のことですから、四畳半よりは広く、六畳よりは狭い程度です。
 ここに載せた部分には、山の庵における四季の風情と、日常生活が述べられています。藤の花は、阿弥陀如来迎時の紫色の瑞雲に見立てられました。郭公(ほととぎす)は、冥途に往く途中にある死出(しで)の山から飛んで来ると理解され、故人を偲ばせ、懐旧の情を起こさせました。蝉は短命であり、蝉の抜け殻の様子も相俟って、命の儚さを感じさせ、「日暮らし」という表記からは、寂寥感が増幅されました。雪は積もる罪業に見立てられていますが、罪業を覆い隠すものという理解もありました。松風の音は、琴の音に喩えられるのが常套でしたが、琵琶も似た様なものでしょう。茅花はチガヤの若い穂のことで、噛むとかすかに甘味があります。岩梨やむかごや芹は、現代でも採集して食べられています。穂組の詳細は不明ですが、落ち穂を集めて作ることが、子供の遊びとなっていたのでしょう。蕨を摘んでいますが、方丈内には「夜の床」として「蕨のほどろ」(延びきった蕨の葉)が敷き詰められていましたから、たくさん生えていたのでしょう。山中は人為的音はありませんから、耳が研ぎ澄まされ、鳥獣の鳴き声や、雨が木の葉を打つ微かな音も聞こえます。特に山鳥の声は、「山鳥のほろ〳〵と鳴く声聞けば父かとぞおもう母かとぞ思ふ」という行基の歌により、親を偲ぶ心をかき立てるものと理解されていました。長明と山守り子の交わりは、後の良寛と子供達の楽しそうな風景を連想させます。
 長明は神官の地位に価値を見出していましたが、それがかなわないという現実に直面したとき、彼の心の内で価値観が転換したのでした。折しも末法の世となって五十余年、自分自身の人生も長くは期待できない五十歳となり、世俗の欲望を自ら削ぎ落として行くことにより、ようやく心の平安を得たのでしょう。


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