一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

北沢方邦の伊豆高原日記【91】

2010-12-17 00:00:12 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【91】
Kitazawa, Masakuni  

 早々と落葉したクヌギ類の裸の枝々のあいだに、青々とした海を遠い背景に、まだ厳冬ではないと葉叢をつけているミズナラやコナラの樹々が、黄色く、あるいは赤茶けて油彩の絵のような風景をつくりだしている。傾いた陽射しを浴びて、コガラやヤマガラあるいはゴジュウカラやシジュウカラが忙しく飛び交っている。冬に備えて皮下脂肪を蓄えるべく、樹皮の隙間に入り込んだ虫を探し、ついばんでいるのだ。

日米安保はいつ同盟と化したのか 

 NHKスペシャル「日米安保50年」が、4回にわたってNHK総合テレビで放映された。すべてを見たわけではないし、第4回のいわゆる有識者たちの討論は、寺島実郎氏などの意見を聴きたくはあったが、珍しくひいた風邪で早く休まなくてはと失礼してしまった(したがってこの原稿もなるべく簡潔に済ませようと思う)。 

 それでも、1960年に改定された日米安全保障条約が、新同盟条約を締結したわけでも、根本的修正をほどこされたわけでもないのに、なぜ事実上の日米軍事同盟と化していったのか、その過程がかなり明確にえぐられた意欲的な番組であった。 

 ひとことでいえばそれは、既成事実を積み重ねていけば、政治家はもちろん、メディアも国民もそれをなしくずしに容認していくという、わが国の政治カルチャーを熟知した合衆国国防総省や国務省の「知日派」が、ひそかにその意を汲んで同調する日本の外務省・防衛庁(当時)の高級官僚たちと手をたずさえて、憲法第9条の制約のまえに躊躇する歴代首相たちを巧妙にあやつり、演出していった「成果」である。

 その最初の「繰り人形」が、社会党出身者でハト派であったひとのよい鈴木善幸首相であったのは象徴的である。1981年の訪米時に署名した日米共同声明に「同盟alliance」の文字がはじめて登場したが、鈴木首相はその重い意味(外交上の術語として同盟は必ず軍事共同防衛をともなう)さえ知らなかったのだ。

 だが1989年の東西冷戦終結までは、ほとんど文面上の「同盟」であり、せいぜい増強された航空自衛隊の対潜哨戒機P3Cによるソヴェト原子力潜水艦の監視といった程度の軍事協力であったが、その後90年代の終わり、中国の軍事力増強とハイテク化、北朝鮮の核兵器開発など極東の緊張の激化に対応する合衆国の強い要請と、さらにその後タカ派であり、新保守主義者である小泉純一郎政権の登場によって、日米軍事同盟は実質的な「暴走」をはじめることとなった。すなわち米軍による自衛隊の本土演習場の自由な使用、頻繁な共同軍事演習、米軍並にハイテク化された航空・海上自衛隊の密接な訓練と演習、アフガニスタン戦争への海上自衛隊の給油出動、イラクへの陸上自衛隊の派遣などである。

 数日前には、黄海上で韓国海空軍と共同演習を終えたばかりの原子力空母ジョージ・ワシントンその他の艦艇とわが国航空・海上自衛隊との共同軍事演習が、沖縄近海で展開されたばかりである。米軍艦艇には招待された韓国軍のオブザーヴァーたちが乗り組んでいたが、将来の日米韓3国の軍事同盟化(現在でもそれぞれ間接連携の可能な各2国間軍事同盟である)を見据えた動きといえよう。

 憲法第9条が改正されようとされまいと、もはやそれは存在しないにひとしい。集団自衛権は保有するが行使しないという政府解釈も、ほとんど無視されているといっていい。

 もし朝鮮半島有事があれば、わが国はかつてとは比較にならぬ破壊力によって戦われる第2次朝鮮戦争に確実に巻き込まれることとなる。国民にその覚悟はできているのだろうか?

 だが日米軍事同盟化のこの重い事実には、われわれにもその責任の一半があることを自覚しなくてはならない。なぜなら、既成事実の積み重ねの容認によって国家の政策を遂行するというわが国固有の政治カルチャーは、そういう政治体制・政治家を含め、われわれ自身が主権者として育ててきたからである。

 だがいまからでも遅くない。10年後にいつでも改訂あるいは破棄さえできる日米安全保障条約をどうするのか、いまから国民的議論をはじめるべきである。それとともに、戦争参加の運命さえ待ち受けているかもしれないこの日米軍事同盟の手かせ足かせを徐々に解きながら、極東あるいは環太平洋の集団安全保障確立の方向へと外交努力を行うような政権や政党あるいは政治家たちを育てていかなくてはならない。経済的閉塞状況だけではなく、わが国はいまや脱出困難な政治的閉塞状況に追い込まれていることをも認識しなくてはならないのだ。