一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

幸せを生きるホピの人たち

2012-04-23 12:00:08 | セミナー関連

幸せを生きるホピの人たち




               ホピのお茶【ホホイシ】  煎じて飲む

 

 4月15日から16日にかけて、ホピ在住の今井哲昭さんと時間を共にした。伊豆高原のヴィラ・マーヤでのひとときは、時間が停止したかのような、まことに不思議な体験であった。今井さんの話の内容もさることながら、その存在そのものが日本人を超越していて、彼と空間を共有していること自体がホピ体験であったような気がする。

 「そこが面白いんですよー」と会話がはずむごとに、今井さんは古くて大きな鞄からホピの証を取り出して見せてくれる。色とりどりのトウモロコシであったり、畑から発掘された化石であったり、カチナ(精霊)の絵であったり。私たちは紫色に煎じられたホピのお茶、ホホイシを飲みながら彼の話に耳を傾ける。爽やかな、どこか懐かしい味がする。

 ホピには、過去もなければ未来もないという。あるのは現在だけ。過去に縛られていては生きていけないし、未来のことは神のみぞ知る、ただ、「今」を生きなさい、ということだろうか。文字を持たないホピ族には、当然のことながら書かれた歴史書は存在しない。しかし、そうだからといって、歴史が存在しないことにはならない。人間が生きるということは、歴史を積み重ねていくことである。私たちは歴史から学ぶ一方、それに束縛され、押しつぶされそうでもある。ホピに於ける歴史とは何であるのか。

 「ただ生きていけばいいんだよ」。今井さんは、母上が亡くなられる直前に言われたこの言葉を大切にしている。ホピの人たちは、この母上が到達された境地を、日々生きているのだ。生まれてから死ぬまで、人々の役割はほぼ決まっている。家族と村(今井さんの村は700人位、全人口は約1万2千人)が生活の中心であり、農作業と祭りに明け暮れる毎日である。人と人の絆が固く、自らの立ち位置が明確な社会では、人は不幸を感じることはないだろう。自殺者がほとんどないのはもっともなことだ。

 ホピの人たちは西欧文明を意識的に遠ざけている。しかし学校は存在するし、テレビも家庭に入りつつある。ホピの人たちの今の暮らしのあり方は、はたして存続しうるのだろうか。この私の質問に、今井さんは明確に「イエス」と答えた。それは祭り(祭儀)があるからだと言う。ほぼ月に一度催される祭りにこそ、宗教を中心とするホピ社会維持の秘密がありそうである。それは、私たちには容易に知ることができない、しかしおそらく、高度に洗練された社会的システムであるような気がする。腰を落ち着けて、ホピの知恵を学ぶ必要がありそうだ。

2012年4月19日 j.mosa



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。